54 婚約解消と最後のお茶会
「本日はおいでいただきありがとうございます、リーンハルト様」
しとやかにカーテシーをするクローディアに対し、アレクサンダーは「仕方ないだろう。それが慰謝料を払う条件だっていうんだから」とぶっきらぼうに返答した。
もう完全に婚約継続の可能性がなくなったためか、一時期の不自然な愛想の良さは綺麗に剥がれ落ちており、すっかり元の尊大さを取り戻している。
「それにしても、どういうつもりだ。今さら俺とお茶会をしたいだなんて」
「一種のけじめのようなものですわ。リーンハルト様はリリアナ殿下が転入なさって以来、私の誘いには一度も応じて下さらなかったでしょう? せめて最後に一度だけ、リーンハルト様と二人でゆっくりお茶会がしたかったんですの。そうすれば私も全てを吹っ切って、前に進めると思うんです」
「吹っ切るもなにも、もう俺にはとっくに愛想が尽きたとか言ってなかったか?」
「そんなことも言いましたわね。ですが十歳のころからずっと思い続けていたんですもの。いざ婚約解消となると、やっぱりいろいろとありますのよ」
「ふん……結局は未練たらたらというわけか。まあそんなことだろうと思っていたよ」
アレクサンダーはさも呆れた、と言わんばかりにため息をついたが、その顔にはまんざらでもない表情が浮かんでいる。
プライドの高い彼のことだ。やはり「クローディアに愛想をつかされて捨てられた」というよりは「クローディアが泣く泣くアレクサンダーをあきらめた」という方がはるかに受け入れやすいのだろう。
「お茶もお菓子も初めてお会いしたときと同じものを用意しましたの。北方産の紅茶と無花果のタルトですわ」
「飲んだ茶のことまでよく覚えてるな」
「あの日のことは全て覚えていますわ。場所はこの中庭で、季節もちょうど今頃でした。あのときも薔薇が満開だったのを、覚えていらっしゃいませんか?」
「……そういえば、薔薇が咲いていたような気がするな」
アレクサンダーが応じると、クローディアは「ええ、薔薇に囲まれたリーンハルト様はまるで絵本から抜け出した王子様のようでしたわ」と笑みを深くした。
それからしばらくの間、クローディアはとりとめもない思い出話を続けた。アレクサンダーはクローディアの話に「そうだったか?」「そんなこと、よく覚えているな」と呆れながらも、やはり「これが最後」という言葉に若干絆されたのか、いつになく素直に相槌を打っていた。
一通りの思い出話が出尽くしたのち、クローディアは「ああ本当に懐かしいですわ。あの日私は『こんな素敵な方と将来結婚できるのね』って嬉しくて、一日中幸せでしたのよ」と感慨深げに嘆息した。
「……でもリーンハルト様は、最初から私との婚約がお嫌だったんですよね?」
「まあ、俺は親の命令で来ただけだったからな。正直言って、あまり気は進まなかった」
「やっぱりそうでしたのね。公爵ご夫妻が席を外した後、リーンハルト様はむっつり黙り込んでしまわれましたもの。今ならそれが分かりますけど、当時の私は『私と二人きりになって照れてらっしゃるのだわ!』なんて思っていましたのよ。その後もずっとリーンハルト様のことを『異性と話すのが苦手な不器用な方』だと思っていました。……だからリリアナ殿下の前で楽しそうに笑ってらっしゃるのを見たときは、本当にびっくりしましたわ」
クローディアが切なげに微笑むと、アレクサンダーはさすがに気まずそうに視線を落とした。
「自分がリーンハルト様に嫌われていることを受け入れられなくて、悲しくて、悔しくて、必死でした。あの頃はリーンハルト様にはいろいろとご迷惑をおかけして、本当に申し訳なかったと思っておりますの。心からお詫びいたしますわ」
「いや……まあ、俺の態度にも全く問題がなかったわけじゃないからな」
「そうおっしゃっていただけるとほっとしますわ。だけどあの頃の私は本当に愚かだったと思いますの。私ごときがリリアナ殿下と張り合おうだなんて、身の程知らずにもほどがありますわ。リリアナ殿下は華やかなストロベリーブロンドにはしばみ色の瞳で、まるで花の妖精のようにお美しい方ですものね。それに引き換え私ときたら、髪は陰気な黒ですし、顔立ちもちょっときついでしょう? リーンハルト様のお心に適わなかったのは当然のことだと思いますわ」
「いや、別に……お前の容姿はそこまで悪くないと思うぞ。それにリリアナ様が美しい方なのは否定しないが、俺がリリアナ様を敬愛しているのは、あの方の容姿が優れているからではない」
「ええ、もちろん分かっておりますわ。見た目の美しさはあの方の魅力のほんの一部。リリアナ殿下の真のすばらしさは外見などではありませんわ」
「ああ、そうだ。その通りだ、あの方は――」
「あの方はなんといっても伝説のアスラン王の血を引く王女殿下ですものね。たかが新興伯爵家の娘風情が敵うわけがありませんでしたわ」
その瞬間、和やかだった空気がぴんと張り詰めた。
「……は?」
アレクサンダーのあっけにとられた表情は、すぐさま怒りのそれへととって変わった。
「おい、クローディア、おかしな言い方をするな。それじゃまるで、俺はリリアナ様が王女殿下だからお慕いしているみたいじゃないか」
「え、だってそういうことでしょう?」
「違う。俺はリリアナ様の気さくで飾らないお人柄を純粋に敬愛しているんだ」
「え、でもリーンハルト様は初顔合わせのときから私が気にくわなかったんですよね? まだ私の人間性も分からないうちから嫌っていたのは、私の外見が好みじゃなかったのに加え、新興伯爵家の娘だったからじゃありませんの?」
「いや、あのときは単に、援助目当てで勝手に婚約者を決められたことが不愉快で、能天気にはしゃいでいるお前に腹が立って、それで――」
「要は格下の伯爵家に売られたことが不愉快だったわけでしょう? 同じ政略結婚でも、お相手が王女殿下だったら、大喜びでお会いになったんじゃありませんの? 結局は顔と身分ですわよ。他のことなんて後付けですわ」
「違う! お前と一緒にするな。俺は顔や身分で人を好きになったりなどしない」
「ふふ、まあお気持ちはわかりますわよ。誰だって自分が相手の顔と身分しか見てない浅薄な人間だなんて、認めたくはないものですわ」
「いい加減にしろクローディア! 俺は本当にリリアナ様の素晴らしいお人柄を敬愛しているんだ。リリアナ様が伯爵令嬢だろうが男爵令嬢だろうが、いっそただの平民だろうが、あの方への思いは全く変わらない!」
「そこまでおっしゃるからには、誓えますか?」
「ああ、なんにでも誓ってやる」
「そうですか。それならちょうどいいものがありますわ」
クローディアは侍女のサラを呼び寄せると、自室から銀の小箱を持ってこさせた。中から取り出したのは、くだんの水晶玉である。
「これはちょっと事情があってお預かりしているアーティファクトです。これに対して『嘘偽りなく答える』と誓った者は真実を話さねばならなくなりますの。――さて、リーンハルト様、これに誓う勇気はおありですか? リーンハルト様の偽らざる本心が暴かれてしまいますけど、大丈夫ですか?」
クローディアが挑発的に問いかけると、アレクサンダーは「ああ、望むところだ。俺はリリアナ様に対する思いについて、疚しいことなどなにひとつない」と胸を張って返答した。
「では、手を置いて魔力を注ぎながら、自分はリリアナ殿下に対する気持ちについて、嘘偽りなく答えることを誓うとおっしゃってくださいませ」
「分かった。――俺はリリアナ様に対する気持ちについて、嘘偽りなく答えることを誓う」
アレクサンダーが手を乗せて宣誓すると、アーティファクトはぼうっと鈍く輝いた。
「成功ですわね。それじゃ、質問しますわね」
クローディアは軽く咳払いすると、明瞭な口調で問いかけた。
「魔法実践演習の当日、リリアナ殿下が率先して立ち入り禁止区域に入り込んだうえ、邪神の地下神殿にある巨人像を目覚めさせたことについて、リーンハルト様はどう思ってらっしゃいますの?」
「自由奔放で常識にとらわれないところはリリアナ様の長所だが、あれはさすがにやりすぎだったと思っている。もっと強くお止めすれば良かったと後悔している」
アレクサンダーは平板な声で返答した。
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