32 人の上に立つ者は
翌日。従姉弟のライナスによって中庭に呼び出されたエリザベスは、クローディアたちが予想した通りの反応を見せた。すなわち勧誘された当初は「私がユージィン殿下のグループに?」と目を輝かせていたものの、ユージィンからそのための条件――ダミアンに直接謝罪すること――を告げられるや、一転して態度を硬化させたのである。
「――そういうことでしたら、お受けすることはできませんわ」
エリザベスはこわばった表情を浮かべて言った。
「殿下にお誘いいただいたときは嬉しゅうございましたけど、まさかそんな条件を突き付けられるとは思いませんでしたわ!」
「おい、殿下に対してそんな言い方――」
「やめろライナス。――確かにこちらから誘っておいて条件を付けるのは、あまり礼儀にかなった態度とは言えないだろうな。しかし私としても、そこは譲れない一線なんだ」
ユージィンは苦笑しながら言ったあと、「つまり君は、どうあってもダミアン・ブラッドレーに謝罪出来ないということか?」問いかけた。
「ええ、だって私は謝罪するようなことをしていませんもの。汚らわしい者を汚らわしいと言って、一体なにが悪いのでしょう」
「ブラッドレー嬢、ダミアン・ブラッドレーはこの王立学院に入学を認められた生徒だ。君は初代国王アスランの打ち立てた『学院生徒はみな平等』という理念を踏みにじる気か?」
「え、いえ、そんなつもりはございません! 私はただ……」
「ただ?」
「ただ……ダミアンは私の母の仇なのです。母が早逝したのはあの下賤な女が男児を生んだことによる心労が祟ったからだと主治医も申しておりました。そのダミアンが我が物顔でブラッドレーの名を名乗って、あろうことか王族のお傍に侍るだなんて、許せる訳がありませんわ!」
「公爵夫人のことは気の毒に思うが、それはダミアン・ブラッドレー自身の咎ではないだろう。――彼はただ、生まれて来ただけなのだから」
(……悪いのはブラッドレー公爵と歌姫なのよね、ダミアンじゃなくて)
ユージィンの言葉を聞きながら、クローディアは心の中で付け加えた。
ダミアンの両親のエピソードは原作でもちらりと触れられている。若き日のブラッドレー公爵は高慢でヒステリックな妻にうんざりしていたところに可憐な歌姫と出会い、運命的な恋に落ちる。そして妻の度重なる妨害工作にもめげずに結ばれた二人は、ダミアンという愛の結晶を授かるのである。
事情を聞いたリリアナは「素敵! ダミアンのお父様とお母様も真実の愛で結ばれた二人なのね」と称賛するが、読者からは「でも、それってただの不倫だよね」「暴漢を雇って歌姫を襲わせようとする本妻も酷いけど、不倫カップルが一方的に被害者面するのもちょっと」と指摘する声もちらほら見られた。
とはいえ不貞をしてエリザベスの母親を苦しめたのはダミアンの両親であって、ダミアン自身に責任はない。エリザベスがやっているのは、言わばただの八つ当たり。親の決めた婚約に反発してクローディアをないがしろにしていたアレクサンダーと変わらない行いだ。
むろん気持ちとしては理解できなくもないのだが、だからといって肯定できるものでもない。
「それは……確かに理屈の上ではそうかもしれませんけど!」
「感情では割り切れないと?」
「……はい」
「公爵家の跡取りなら、割り切るべきだ」
ユージィンは諭すような口調で言った。
「演習の件は別にしても、君はダミアン・ブラッドレーに謝罪すべきだ。人の上に立つ者は、感情のままに動くべきではない。間違った行為は弱みになる。君を快く思わない人間に、君を攻撃する正当な理由を与えてしまう。場合によっては、それが公爵家自体を危険にさらすことにもなりかねない」
「ですが、あんな者に謝罪などしたら、母に顔向けできません!」
「あら、学院内で孤立している状態が続けば、『貴族社会で上手くやっていけない』と見なされて、跡取りの座を弟様に奪われるかも知れませんわよ? そうなったら、それこそお母様に顔向けできないんじゃありませんこと?」
クローディアが横から口を挟んだ。
「ちょっと貴方、おかしなこと言わないでちょうだい! あんな子が公爵家の跡取りだなんて、そんなふざけたことあるわけがないでしょう?」
「すまないが、私もあり得る話だと思う。地位のある男性が、その地位を愛する女性の子供に受け継がせたいと考えるのは別段珍しい話ではない。たとえ女性の身分が低くても、それを超えられるだけの大義名分を手に入れることができれば、迷わず実行に移すだろう」
そう言うユージィンはブラッドレー公爵だけではなく、自分の父である現国王マクシミリアン・エイルズワースのことをも語っているのかもしれない。国王マクシミリアンがリリアナの母である側妃アンジェラを溺愛していたことは、今も語り草である。エリザベスもそれを察したのか、言葉に詰まったように押し黙った。
「エリザベス、もし俺がお前の立場なら、さくっと謝罪して終わらせる。それで跡取りの座を守れるんなら安いもんだ。……まあ俺は元々お前の加入には反対だったし、お前がどうなろうと知ったことじゃないけどな」
ライナスが横から言い添える。
その後しばらく沈黙が続いたのち、ユージィンが「今日はここまでにしておこう」とエリザベスに告げた。
「ブラッドレー嬢、私はいつも中庭の四阿で昼食をとることにしているから、気が変わったらいつでも言いに来て欲しい」
「……はい」
「――あの、エリザベス様」
そこでルーシーがおずおずと口を開いた。
「エリザベス様は結界魔法に関して素晴らしい才能をお持ちだとうかがっています。もし実践演習で同じグループになっていただけたら、とても心強く思います」
エリザベスのためではなく、あくまで自分たちのために加入して欲しい、というルーシーの言葉からは、エリザベスのプライドに対する気遣いが感じられた。
「……考えておくわ」
エリザベスは素っ気なく言い捨てると、ユージィンに「それでは失礼いたします」と頭を下げて立ち去った。そしてその場はいったんお開きとなった。