3 少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』
(――ここまで全部『リリアナ王女はくじけない!』そのまんまなのよね)
クローディアはベッドの上でスープを飲みながらひとりごちた。
ここは自室ではなく客間の一室。
侍女の話によれば、クローディアは荒れ果てた自室で倒れているところを発見されたあと、三日の間昏睡状態だったらしい。医者の見立てでは「元から栄養失調や睡眠不足が重なっていたところに、すぐ近くで落雷を聞いたショックによるものだろう」ということだが、クローディアに言わせれば、間違いなく前世の記憶を取り戻したことが原因だ。
(十六歳の頭に、いきなり二十四年分の記憶が流れ込んできたんだもの。処理しきれずにパンクしちゃうのも当然だわ)
前世のクローディアは鈴木律子という二十四歳の会社員だった。連日の残業続きで朦朧としていたところで記憶が途切れているので、おそらく過労死したのだろう。生前の律子のささやかな趣味は小説や漫画を読むことで、『リリアナ王女はくじけない!』は律子が愛読していた少女漫画のタイトルである。
主人公はリリアナというストロベリーブロンドの溌溂とした少女。彼女は物心ついたころから庶民として市井で暮らしていたのだが、ある日王宮からの迎えが来て、実は幼いころに誘拐された王女であることが判明する。
王宮に戻ったリリアナは王立学院に転入し、王女らしからぬ振る舞いで様々な騒動を引き起こすが、その天真爛漫な人柄は次第に周囲の人々を魅了していく。
公爵家次男にして生徒会長のアレクサンダー・リーンハルトも彼女に魅了された一人である。
彼は幼いころから公爵家の道具になることを強要されて、半ば死んだように日々を過ごしていたのだが、リリアナに出会って人間らしさを取り戻し、やがて心から彼女を愛するようになっていく。
鈍感なところがあるリリアナは彼の恋心には気づかないものの、大人びたアレクサンダーを友人として慕い、なにかにつけて彼に頼り、行動を共にするようになる。
そして二人は様々なエピソードを経て絆を深めていくわけだが、そこに立ちふさがるのがアレクサンダーの婚約者であるクローディアである。
伯爵令嬢クローディア・ラングレー。またの名をヤンデレ令嬢クローディアは、アレクサンダーに異常に執着し、リリアナに敵意をむき出しにする不気味なキャラクターとして描かれている。
中でも雷鳴がとどろく中、悪鬼のようなクローディアが「アレク様を殺して私も死ぬわ!」と叫ぶシーンは圧巻で、掲載当時のネット掲示板は「キモい」「怖すぎ」「アレク様逃げてー」などといった感想であふれたものである。
もっとも掲示板に寄せられた感想の中には、少数ながらクローディアに同情するものも存在していた。
婚約者が他の女と仲睦まじくしていれば多少おかしくなって当然だ。そもそも婚約者のいる男性を頼るリリアナの態度こそ問題ではないか。「なんで分かってくれないのかしら。私とアレクはただのお友達なのに」というのがリリアナの口癖だが、そんなもの分からなくて当然ではないか、等々。
ちなみに鈴木律子もクローディアに同情していた一人である。
アレクサンダーが援助目当てで婚約させられたことを苦痛に思うのは当然だし、親に「売られた」ように感じてしまうのも無理はない。しかしその怒りをぶつけるべき相手は己の両親であって、クローディアではないだろう。ラングレー家の援助でなに不自由ない生活を送っておきながら、クローディアに対して一方的に被害者面をするのはあまりに身勝手が過ぎるのではないか、と。
(要するに八つ当たりなのよね、アレクサンダーのやってることは)
クローディアは一人うなずいた。
少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』の本来の展開では、あの後リーンハルト公爵家に押しかけたクローディアは魔法でアレクサンダーを攻撃するが、たまたま居合わせたリリアナによって返り討ちに遭ってしまう。
リリアナの慈悲によって処罰は免れたものの、顔面が焼けただれたクローディアは館に引きこもるようになる。そしてリリアナを呪いながら日々を過ごしているうちに、闇堕ちして邪神に憑依されてしまうのである。
邪神と同化したクローディアは国中を恐怖に陥れるが、リリアナとアレクサンダーが協力し合ってクローディアごとこれを撃破。二人は救国の英雄となる。
一方ラングレー伯爵家は責任を取る形で取り潰されて一家離散。リーンハルト家のラングレー家に対する莫大な負債も帳消しになる。晴れて自由の身となったアレクサンダーはリリアナに交際を申し込む、という流れである。
ちなみに騒動のさなかにリリアナの異母兄であるユージィン殿下が死んでしまい、リリアナが将来の女王になることが確定したりするのだが、まあそんなことはどうでもいい。
重要なのはこの世界が少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』に酷似していること、何の因果か知らないが、自分がヤンデレ令嬢クローディア・ラングレーに転生してしまったこと、そしてあのままいけば、自分は破滅待ったなしの状況だったということだ。
そこまで理解できた以上、今後の方針は決まり切っている。
(あんな男のために死なない。邪神を復活させたりもしない。円満に婚約解消してやるわ)
幸いなことにと言うべきか、前世の記憶を取り戻すと同時に、あれほど燃え盛っていたアレクサンダーに対する恋心は綺麗さっぱり消えていた。
アレクサンダーなんてリリアナにでもくれてやる。そして自分は自分で幸せになる。クローディアはそう心に決めた。