29 正統派の悪役令嬢
「貴方、随分と勝手な真似をしてくれたわね」
縦ロールを片手で払いながら、エリザベスは傲然と言い放った。
「下級生の分際で、私が知り合いと話しているときに割って入るなんて、礼儀知らずもいいところだわ」
「え、でもブラッドレー様、彼女たちにいじめられてましたよね?」
クローディアが「だからお助けしたのですけど」と続けると、エリザベスはきっとこちらを睨みつけてきた。
「冗談はよしてちょうだい! この私が、このエリザベス・ブラッドレーが、いじめられるわけがないでしょう? 単に知り合いの女生徒たちから挨拶を受けていただけよ」
「そういう雰囲気でしたっけ」
「……仮に! 仮に貴方からそう見えたとしても、誰も助けてくれなんて頼んでいないでしょう? それなのに勝手にしゃしゃり出てきて、不愉快だわ。貴女ごときがこの私に手助けなんて、おこがましくてよ」
エリザベスは「分かったら二度と余計な真似をしないことね」と言い捨てると、先ほどの令嬢たちと反対方向へ立ち去った。
ぴんと背筋を伸ばした後ろ姿は堂々として貫禄があり、いかにも高位貴族の令嬢然とした雰囲気だが、クローディアの目にはどこか虚勢を張っているように感じられた。
それにしても――。
「あのエリザベス・ブラッドレーが、なんでいじめられてるのかしら」
独り言のようにつぶやいたクローディアに、ルーシーが「たぶんリリアナ殿下の件だと思います」と痛まし気な声音で言った。
「エリザベス様はダミアン様のことでリリアナ殿下の叱責を受けて以来、複数の女生徒たちから嫌がらせを受けていると聞いたことがあります」
「あの件で嫌がらせを……そうでしたの」
ダミアン様ことダミアン・ブラッドレーはブラッドレー公爵家の庶子に当たる人物で、年はクローディアたちより一学年下の十五歳。黒い巻き毛に金の瞳が印象的な、ぞっとするほどの美少年である。
少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』によれば、ダミアンは数年前まで美貌の歌姫である母親と共に市井で暮らしていたのだが、その母親が流行り病で亡くなったことで、父親であるブラッドレー公爵に引き取られることになったという。そこで出会ったのが、ふたつ年上の異母姉エリザベス・ブラッドレーその人だ。
正妻の娘であるエリザベスはくだんの歌姫を「お母様の仇」と憎悪しており、彼女の息子であるダミアンのことも徹底的に拒絶する。そしてことあるごとにダミアンの立ち振る舞いに難癖をつけ、やっぱり下賤の出だから品がないとか粗野だとか、ねちねちと嫌味を言っていびりぬく、意地悪で高慢な令嬢として描かれている。
同じ悪役でも色物枠のクローディアに対し、いわば正統派の悪役令嬢といえるだろう。
王立学院においてもエリザベスは取り巻きを引き連れてふんぞり返っている一方、ダミアンはその複雑な生い立ちゆえに周囲から孤立していたのだが、そこに天真爛漫なリリアナ王女が転入してきたことで、事態は一変することになる。
リリアナは「私も市井で育ったのよ。懐かしいわ!」と自らダミアンに声をかけ、なにかと構うようになる。対するダミアンも次第に心を開き、リリアナを慕うようになっていく。
当初は素っ気なかったダミアンがだんだんと打ち解けていく様は、まるで警戒心の強い野良猫が少しずつ懐いていくようで、読者目線でも大変微笑ましく感じられたものである。
そんな二人の接近にいら立ちを募らせたエリザベスは、「殿下、あんな汚らわしい者をお傍に置くべきではありません」とリリアナに進言するが、そのことが逆にリリアナの逆鱗に触れてしまう。そして皆の前で「人の生まれを侮辱するなんて最低だわ! 貴方みたいな心根の卑しい人より、ダミアンの方がずっとずっと素晴らしいわよ!」と叱責されたうえ、「私は貴方みたいな人大嫌い。もう二度と私の前に姿を見せないでちょうだい!」と突き放されて、打ちひしがれて退場する、という流れである。
リリアナが持ち前の正義感を発揮して意地悪なエリザベスを成敗し、ダミアンを生徒会会計として迎え入れる展開は、感動的な名シーンとして読者にも大変好評だった。
一方のエリザベスはすっかり面目を失ってしまい、取り巻きもいなくなってしまったことが、エピソードの「落ち」として軽く触れられていたのだが――。
(まさか嫌がらせにまで発展しているとは思わなかったわ……)
しかし改めて考えてみれば、この王立学院において王女殿下に糾弾されるというのは、それだけのインパクトがあるのだろう。ことに同じ学院に通う生徒に対する「二度と姿を見せるな」という発言は、言葉を変えれば「退学しろ」と命じたようなものである。
むろん天真爛漫なリリアナ王女にそこまでの意図はないにせよ、結果的にはエリザベスを気に入らない生徒たち――例えば対抗派閥の人間などに、「在学中のエリザベス・ブラッドレーをいくら攻撃しても構わない」というお墨付きを与えたのも同然だ。
「嫌がらせの中心にいるのは、先ほどの赤毛の方……アデライド公爵家のジェイン様だそうです」
ルーシーはブラッドレー公爵家と対立している名門公爵家の名を挙げた。
「元々お二人はライバル関係にあったのですが、リリアナ殿下の一件で派閥の均衡が崩れてしまったみたいで……。エリザベス様の取り巻きだった方々も、『王族の意向を無視するのか』と言われるのが恐ろしくて距離を置いているようですわ。ブラッドレー公爵家の寄り子の方々も、公爵家の当主が可愛がっているダミアン様をエリザベス様が蔑んだことが発端ですから、態度を決めかねているんだとか」
「高位貴族ってやっぱりドロドロしてますわね……」
クローディアは思わず嘆息した。
ちなみに公爵令嬢ジェイン・アデライドは少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』においては、物語の後半に愉快なわき役として登場するキャラクターだ。リリアナに対しては終始笑顔で接してくるため、能天気で人のいい令嬢といったイメージがあったが、あの好意的な態度の裏には、犬猿の仲であるエリザベス・ブラッドレーを追い落としてくれたことに対する感謝の念があったのかと思うと、なにやらうそ寒い心地がする。
――あらまあ、まだ学院をお辞めになっていらっしゃらないんですの? リリアナ殿下がおっしゃったことをお判りにならないわけではないでしょう?
嬉々としてエリザベスを責め立てるジェインの姿が、クローディアの脳裏によみがえる。
むろんリリアナがエリザベスを叱責したこと、それ自体が間違っていたとは思わない。「人の生まれを侮辱するのは最低だ」という指摘は至極真っ当なものだし、誰かが叱責することは必要だったとも言える。
とはいえ己の立場と影響力を考えれば、もう少し言葉を選ぶとか、人目に付かない場所でやるとか、多少の配慮があっても良かったのではなかろうか。
クローディアは先ほどのやり取りを思い返しながら、複雑な思いをかみしめていた。