2 クローディアとアレクサンダー
クローディア・ラングレーがアレクサンダー・リーンハルトと婚約したのは十歳のとき。高位貴族との繋がりが欲しいラングレー伯爵家と、金銭的援助が欲しいリーンハルト公爵家の利害が一致した結果である。つまり全くの政略によるものだったが、幸か不幸か、初顔合わせの席でクローディアはアレクサンダーに一目ぼれしてしまう。
アレクサンダーは華やかな金髪に緑の瞳の美少年で、「初めまして、クローディア嬢」と微笑む顔にはどこか物憂げな色香があった。今思えばクローディアとの婚約が憂鬱だったからだろうが、当時のクローディアはそんなこととはつゆ知らず、「こんな素敵な殿方と将来結婚できるのね!」とすっかり舞い上がってしまう。
そして婚約後は子犬のようにアレクサンダーに付きまとった。
「アレク様、一緒にお芝居を見に行きませんか?」
「アレク様、このハンカチーフ、私が刺繍したのです」
「アレク様、王立学院に入学したら一緒に登校しましょうね」
「アレク様、生徒会長就任おめでとうございます」
アレクサンダーは自分からクローディアに近づくことはけしてなかったが、それでもクローディアが誘えば十回に一回は応じてくれたし、話しかければ一応答えてくれたので、クローディアはめげずにせっせとアピールを続けていた。そして「今日は三回もアレク様と目が合ったわ!」などというささやかな幸せをかみしめて、日々を送っていたのである。
ところがそんなクローディアの日常は、ストロベリーブロンドの転入生によって一変してしまう。
王女リリアナ・エイルズワース。
ある特殊な事情から市井で育った王女殿下は、王立学院に転入早々生徒会入りし、生徒会役員たち、とりわけ生徒会長のアレクサンダーと行動を共にするようになる。
以来クローディアがいくらアレクサンダーを誘っても、「リリアナ様と下町の視察に行くから」「課題はリリアナ様と組むことにしたから」と毎回断られるようになり、クローディアとの時間は全くと言っていいほどなくなってしまった。
さみしさと嫉妬に駆られたクローディアは、アレクサンダーのあとをつけ回したり、連日長文の手紙を送りつけたりといった風に行動をエスカレートさせていき、それと比例するように、アレクサンダーの方もクローディアに対する嫌悪を隠さなくなっていく。
要は元から嫌っていたクローディアに対し、それを取り繕わなくなったわけだが、当のクローディアはそれを全てリリアナのせいだと考えた。
そして思い余ったクローディアは帰り際のリリアナを捕まえ、直訴した。
「リリアナ殿下、アレク様とあんまり親しくなさらないでください!」
「そう言われても、アレクは私の大事なお友達なのよ? お友達と仲良くしたらいけないの?」
「友人にしては距離が近すぎます!」
「そうかしら」
「そうです! 腕を絡めたり、髪に触ったり、あまつさえこの前はひっ膝枕を……!」
「あら、私が育った市井では、あれくらい普通のことなのよ?」
「ここは市井じゃありません! いいですか? アレク様は私の婚約者なんです! それなのに殿下の振る舞いはあまりにも――」
「クローディア! 貴様なにをやっている!」
そこに激高したアレクサンダーが割って入った。
「アレク様……なぜここに……」
「お前がリリアナ様に言いがかりをつけていると、友人が知らせてくれたんだ」
「言いがかりではありません! 私はただ婚約者のいる殿方に対する距離感についてお話ししていただけです。だってアレク様は私の婚約者なのに、リリアナ殿下は――」
「ああそうだ、俺はお前の婚約者だ。忌々しいことにな!」
アレクサンダーは吐き捨てるようにそう言った。そして憎悪に満ちた眼差しでクローディアを見据えて言葉を続けた。
「いいかクローディア、どうせ俺はお前の家に買われた身だ。お前と結婚することは仕方がないとあきらめている。しかし結婚したからといって、俺に愛されるなどと思わないことだ。お前を見ていると虫唾が走る。結婚しても生涯お前を愛することはない!」
それからどうやって伯爵邸まで帰ったのか、クローディアには記憶がない。
ただ帰宅してから心配する父を突き飛ばし、自室にこもって荒れに荒れたことは覚えている。
家具を引き倒し、物を投げつけ、鏡をたたき割り、そして絶望の中で絶叫したのだ。「アレク様を殺して私も死ぬわ!」と。