17 朝の災難
翌朝。クローディアの髪飾りを目にした父は明らかにそわそわした様子だったが、それについて自分から触れることはなかった。下手なことを口にして、クローディアの逆鱗に触れるのを警戒してのことだろう。
そこでクローディアは自分から水を向けることにした。
「お父様、この髪飾り、似合うでしょうか」
「あ、ああ、よく似合っていると思うよ」
「私もそう思いますの。お義母様にお礼を伝えておいてくださいませ」
「分かった。伝えておくよ」
父の返事はそれだけだったが、その表情からは隠しきれない喜びが伝わってきた。おそらく朝のうちに義母へ伝えに行くのだろう。
(お父様、嬉しそうだったわね)
学院へと向かう馬車の中、クローディアは一人苦笑した。
今日は朝からとても気分が良い。髪形は決まっているし、父の喜ぶ顔が見られたし、お待ちかねの魔法実践の授業もある。さあ、今日も楽しい学院生活の始まりだ。
爽やかな気分で馬車から降り立ち、教室へと向かおうとしたところで、ふいに声を掛けられた。
「お早う、クローディア」
見ればアレクサンダー・リーンハルトがこわばった笑みを浮かべて立っている。
「……お早うございます、リーンハルト様」
礼儀として挨拶を返したが、クローディアの胸の内は違和感でいっぱいだった。入学してこの方、アレクサンダーの方から挨拶をしてくるのはこれが初めてのことである。今まではクローディアが挨拶してもせいぜいうなずく程度だったし、リリアナが転入して以降はそれすらせずに、無視して通り過ぎるのが常だった。
それなのに今朝のアレクサンダーときたら、どういう風の吹きまわしだろうか。
「教室まで鞄を持とうか」
「いいえ、結構ですわ。そんなことをしていただく理由がありませんし」
「理由って……俺たちは婚約者同士じゃないか」
「いずれ解消予定の婚約者ですわ」
「まだそんなことを言っているのか」
「解消するまで言い続けますわ。ところでこれってご両親のご指示ですか? それともまさかリリアナ殿下でしょうか」
クローディアがその名前を口にした途端、アレクサンダーの顔に朱が走る。どうやら後者だったらしい。
「もしリリアナ殿下でしたら、臣下のプライベートにまで首を突っ込まないで欲しいとお伝えいただけないでしょうか」
「そんな言い方はないだろう? リリアナ様は優しいから、あの件をご自分のせいだと思って大層気に病んで下さっているんだぞ」
「それはそれは、勿体ないことですわね。でも正直いって有難迷惑なんですの」
「お前は……! リリアナ様の思いやりが分からないのか? なんでそこまでリリアナ様を憎むんだ」
「なんでそうなるんでしょう。私は殿下を憎んでなんかいませんわ」
かつては確かに憎んでいたが、今のクローディアにとってはただ厄介で煩わしいだけの存在である。
「リリアナ殿下が私とリーンハルト様の婚約解消を後押ししてくださったら、きっと大好きになると思いますわ」
「……言いたいことはそれだけか」
「そうですわね。今のところは」
「あんまり意地を張っていると、そのうち後悔することになるぞ」
アレクサンダーはそう吐き捨てると、クローディアに背を向けた。教室ではなく生徒会室の方に向かったところを見ると、事の次第をリリアナに報告するつもりなのだろう。
(つくづく厄介な王女様ね……)
クローディアは小さくため息をついた。
転生前のクローディアはリリアナのことを嫌いではなかった。「ちょっと無神経では?」と感じることはあるにせよ、総じていえば面白くて魅力的な主人公だと認識していた。
それはリリアナが誰かに迷惑を掛けるシーンはギャグとしてさらりと流される一方、アレクサンダーたち主要キャラクターの心を救うシーンはこれでもかとばかりに感動的な演出がなされていたため、後者の印象が強く残っていたせいだろう。
「困ったところもあるけれど、その明るさや素直さでみんなを救う王女様」というのが転生前のクローディアを含めた大多数の読者のリリアナ評だ。
しかしこうしてクローディアの立場になってみると、リリアナ王女の無神経さは「ちょっと」どころの話ではなかった。自分の見方が偏っていたことを、今さらながらに思い知らされた気分である。
(……なんか、朝からどっと疲れたわ)
早くルーシーに会って癒されたい。また昨日のように二人で女子トークをして盛り上がりたい。そんな思いを胸に速足で廊下を進むと、教室の前で目当ての後ろ姿を発見した。
柔らかそうな栗色の髪とほっそりした体つき。
クローディアは「ルーシー様!」と声を掛けようとして、慌ててそれを飲み込んだ。見ればルーシーは一人ではなく、精悍な赤毛の青年と一緒だった。
(あれってフィリップ・エヴァンズよね)
侯爵令息フィリップ・エヴァンズ。
騎士団長の息子にして生徒会庶務、そしてルーシーの婚約者である。
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