15 王家の事情
伯爵邸に帰宅すると、父が笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りクローディア、久しぶりの登校で疲れただろう」
「お父様、ただいま戻りました。ええ本当にもうくたくたですわ。今日は盛りだくさんの一日でしたの」
その後クローディアは父と晩餐を共にしながら、今日の出来事を話して聞かせた。父はアレクサンダーの言動に苦笑したり、モートンの態度に憤慨したりしながら熱心に耳を傾けていたが、ルーシーと友人になった件についてはことのほか喜んでくれた。どうやら娘に友人がいないことを、ひそかに心配していたらしい。
「そういうわけで、最後はユージィン殿下に助けていただいたんですの。本当に立派な方だと感服しましたわ」
クローディアはデザートのタルトを堪能しながら言葉を続けた。
「それで少し不思議に思ったのですけど、ユージィン殿下は何故まだ王太子になっておられないんでしょう」
ユージィンはこの国における唯一の王子に他ならない。リリアナと同学年だが、ユージィンの方が半年早く生まれている上、ユージィンの生母ヴェロニカは公爵家出身の正妃であるのに対し、リリアナの生母アンジェラは男爵家出身の側妃である。またルーシーに聞いたところによれば、ユージィンは成績も学年トップで、品行方正な優等生だとのこと。客観的に見て迷う理由などどこにもないのに、何故まだ立太子式を終えていないのか。
今まで「アレク様」以外は眼中になかったクローディアはまるで気に留めていなかったが、こうして改めて考えてみると、これはなかなか不可解だ。
「うん……表向きはお二人が成人なさるまでの間、陛下がそれぞれの資質をじっくり見極めたいから、ということになっているよ」
「実際には違うんですの?」
「滅多なことは言えないから、これはあくまで噂であることを心に留めておいて欲しい。間違っても表で口にしてはいけない」
「分かりました。約束しますわ、お父様」
「ヴェロニカ様が十年以上前から王宮ではなく北の離宮で過ごしていらっしゃることは知っているな?」
「はい。病気がちなので、涼しいところで療養なさっているとか」
「表向きはそうだが、実際には陛下のお怒りを買って幽閉されているとの噂がある」
「幽閉……ですか」
「繰り返すが、あくまで噂だ。ヴェロニカ様が具体的にどんな問題を起こして幽閉されるに至ったかも分からない。ただヴェロニカ様が離宮にお移りになって以来、国王陛下が一度も見舞いにいらしてないことや、陛下がヴェロニカ様そっくりのユージィン殿下を毛嫌いなさっていることは半ば公然の秘密となっている」
父の話は転生者であるクローディアにとっても初めて聞くことばかりだった。
少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』において、国王と言えば「リリアナを溺愛する愉快なおじさん」といった位置づけだ。再会するなり「パパって呼んでくれ!」とリリアナを抱きしめて号泣し、リリアナのやることなすこと感激し、リリアナの望みをなんでも叶えようとして暴走し、リリアナの男友達に対しては「許さん! パパは許さんぞぉ!」と激高する。言ってしまえばネタキャラだ。
それでもリリアナとの親子団欒シーンでは、たまにしんみりしたやり取りもあったりして、読者にも好評だったりしたのだが――。
(そういえばあの手の団欒シーンって、いつもユージィン殿下はいなかったわね)
「陛下としては最愛のアンジェラ妃の娘であるリリアナ殿下を跡取りにしたがっているが、ユージィン殿下を支持する貴族も多いことから、なかなか踏み切れないのではないかと言われているよ」
「つまりユージィン殿下の立場はとても不安定なんですね」
「噂だからな?」
「もちろん分かってますわ。噂ですね、噂」
とはいえその話は奇妙な説得力を感じさせた。ユージィンは少しでも瑕疵があればすぐにも放逐されかねない状況の中、薄氷を踏む思いで今まで生きてきたのだろう。
(それなのに結局は邪神騒動の巻き添えになって死んでしまうのよね、ユージィン殿下。つくづくリリアナにだけ優しい世界だわ)
記憶が戻ったばかりのころは、自分の悲惨な運命のインパクトが強すぎて、赤の他人のユージィンなど知ったことかという心境だったが、もはやそんな風には思えない。直接顔を合わせ、あまつさえ厄介な状況から助け出してくれた相手である。ユージィンが非業の死を遂げたなら、きっと胸が痛むだろう。
(でも、私が邪神に取り憑かれたりしなければ大丈夫なはずよね……?)
クローディアは今日会った美貌の王子様を思い浮かべながら、そんなことを考えていた。