129 罪人の独白(前編)
※ケイト・エニスモア視点です。
渡された杯からは、ふわりと山梔子の香りがした。噂に聞く「眠るように死ねる毒」だろう。エニスモア侯爵家当主に対するせめてもの慈悲というわけだ。
ケイト・エニスモアが無言で杯を受け取ると、立ち合いのアシュリー・ラフロイ侯爵が「最後までなにも喋らないんだな」と嘆息した。
「君のことをお下げ髪の少女のころから知っている身としては、こんなことになって本当に残念だよ」
そう言う彼の表情に、ふと懐かしい男性の面影が重なった。
エドガー・ラフロイ。
ケイトの幼馴染で元婚約者。そして裏切り者。
杯を満たす赤い液体を見つめながら、ケイト・エニスモアはこれまでの人生を思い出していた。
ケイト・エニスモアは物心ついたころから、乳母が語る物語や子供向けの本に出てくる「神」に魅了されてきた。神――生贄と引き換えに人々に恩恵をもたらす大いなる存在。
むろん乳母にせよ本の作者にせよ、「神」をおどろおどろしく醜悪な存在として語っているのは明らかだったし、実際、最後には勇者アスランに退治されてめでたしめでたしとなるわけだが、ケイトにとって「神」は豊かで力強くて、死後の救済しか行わない光の女神などよりも、よほど崇めるに足る存在に思われた。
「神」を信奉する教団の幹部は、その力を借りて自由自在に天候を操り、不老長寿を楽しみ、様々な奇跡を起こしたと言われている。想像するだけで血沸き肉躍る光景ではないか。そのために不要な人々を捧げたからと言って、それがなんだというのだろう。
神への憧れは年を経るごとに増していき、ケイトは神について書かれた本を読みふける「変わった子」へと成長していった。
表向きは殊勝な顔で「こんなおぞましいことが二度と起こらないように、私たちは邪神や邪教徒のことをもっと良く知るべきだと思うのです」と説明していたが、やはり両親の目には異様に映っていたのだろう。
母はよく「あの子はなんだか薄気味悪いわ、なんとかして跡取りをクレアに変更できないかしら」とこぼしていたし、父は父で「気持ちはわかるが、理由もなく跡取りから降ろすわけにもいかんだろうな」と渋面を作っていたものである。
どうでもいい。あんな人たちに認められなくても構わない。両親は昔から妹のクレアがお気に入りで、ケイトは家庭内で孤立していた。孤立していたから「神」の教えにのめり込んだのか、「神」の教えにのめり込んだから孤立していったのか。果たしてどちらが先だったのか、今となってはもう分からないし、分かる必要もないことだ。
いずれにせよケイトは家庭内の異物であると同時に、この世界における異物だった。少なくともケイト自身はそう認識していた。女神の加護を受けた王族の治めるこの国で、自分はただ一人の異端なのだと。それが誤りだと知ったのは、王立学院に入る前年、ラフロイ侯爵邸で開かれた子供ばかりのお茶会に出席したときのことである。
母親に「同年代の子供と交流しなさい」と言われて半ば強制的に出席させられたものの、案の定、お茶会はケイトにとっては退屈極まりない催しだった。
主催者の息子であるエドガー・ラフロイは無口で気難し気な少年で、ろくに喋りもしなかったし、他の出席者も下らない俗物ばかりだったからである。
勇者アスランの子孫である王太子は傲岸不遜な態度が鼻について、これが光の女神の加護を受けた人間かと、呆れ果てるばかりだったし、クレイトン侯爵家の嫡男は、そんな王太子にお追従ばかり言う腰巾着。才女といわれるガーランド公爵令嬢の話すことと言えば、流行のドレスに流行の芝居、家で飼っている猫のことや、近所で見かける猫のことなど、実に凡庸なことばかり。彼らを取り巻く者たちも概ね似たり寄ったりで、その騒がしい笑い声は耳障りなことこの上ない。
ついに耐えかねたケイトはお手洗いに行くと言う口実で、会場となっているサロンをそっと抜け出した。そして迷ったふりをしながら屋敷内を歩き回っていたところ、ふと図書室の扉が開いているのが目に留まった。
(ラフロイ侯爵家の図書室って、どんな本があるのかしら)
魔が差した、というのだろうか。あるいは「神」に導かれた、とでもいうべきだろうか。
なんといっても宮廷魔術師団長を輩出しているラフロイ侯爵家の図書室だ、「神」に関する珍しい本が山ほどあるに違いない――ケイトはそんな誘惑に抗えずに、こっそり足を踏み入れた。
そして期待にたがわず「神」に関する稀覯本を発見したのだが、心を躍らせてページを開こうとしたところで、「そこでなにをしているんだ」と突然声をかけられて、ケイトは文字通りすくみ上った。
振り返ると人形のように綺麗な顔をした少年がこちらをじっと見つめている。
「君は……確かケイト・エニスモア嬢だったね」
一瞬遅れて、ケイトは少年がこの家の息子であるエドガー・ラフロイだと気が付いた。
「ええ。ごめんなさい、ドアが開いていたから、つい」
「別に構わないよ。……それより、君は邪教徒の歴史に興味があるのか?」
そう言うエドガーはサロンに居たときの退屈そうな様子とは異なり、どことなく高揚した表情を浮かべている。
「……ええ」
ケイトは短くそう答えた。何故かいつもの「こんなおぞましいことが二度と起こらないように、私たちは邪神や邪教徒のことをもっと良く知るべきだと思うの」という決まり文句を口にする気になれなかった。
「どういうところに、興味があるんだ?」
その声音はとても温かくて、どこか共犯者めいている。
「そうね、例えば――」
その後二人は手探りで、少しずつ、少しずつ互いの認識を確認していった。相手はどこまで許容できるのか。どこまで自分の「同類」なのか。慎重に慎重に。ときに冗談めかして、ときにあえて「嫌悪しています」という風を装いながら。
そして執事が二人を探しに来た頃には、ケイトとエドガーは互いが同胞であることを確信し、得も言われぬ幸福感に満たされていた。
その後、二人は互いの家を行き来しては、七百年前の黄金時代について語り合うようになった。
教団はどんな風に「神」に仕え、どんな風にこの大陸を支配したのか。「神」の御業は果たしてどんなものだったのか。互いに資料を持ち寄り、分析し、あれやこれやと想像した。
エドガーは「ケイトの視点は面白い」と良く口にしていたが、やはり一つ年上で、宮廷魔術師団長の息子であるエドガーの方に一日の長があるようで、ケイトはエドガーから教えられることが多かった。
たとえばケイトが「神の御業で子供を作り出すことは出来ないのかしら」と口にしたことがあった。
その日、ケイトは跡取りとして「子供の作り方」についての説明を受けて、憂鬱な気分だったからである。男性に組み敷かれて体内に異物を挿入されるのも、体内で異物を育てるのも、想像するだにおぞましい。己の肉体を使わずに後継を得ることが出来るなら、どんなにか素晴らしいことだろう、と。
対するエドガーはけして馬鹿にしたり笑ったりせず「さすがに人間を作ったという話は聞いたことないな」と至極真面目に返答した。
「だけど死んだ人間を蘇らせたことはあったらしいよ。そのためには大量の生贄が必要だったらしいけど」
「死者の蘇生! 素晴らしいわね。大量の生贄ってどれくらい? それに蘇った人間は、どれくらい生きられるものかしら」
「はっきりとは分からないけど、この資料から推測されるのは――」
そんなことを毎日のように語り合っていたものである。
むろん全ては他愛ない遊びに過ぎなかった。だって「神」は七百年も前に勇者アスランによって滅ぼされており、自分たちは彼の子孫が支配する国で暮らしているのだから。
二人でどんなに「神」に憧れ、その威光を、その素晴らしさを語り合ったところで、害もなければ益もない、秘密の戯れ、それだけだ。
王家は毎年聖剣の儀で「我が身を光の女神に捧げ、この聖なる剣をもって悪しき敵を討ち滅ぼさん」などと仰々しく誓っているし、宮廷魔術師も「邪神復活に備えるための組織」と言われてはいるものの、所詮は単なる権威付け。「神」の復活など現実的にはあり得ない――そんな風に思っていたのである。
それぞれが王立学院に入る年になっても、二人の関係は変わらなかった。ケイトにとってエドガーの他に付き合う価値のある人間はただの一人もいなかったし、エドガーの方も同様の感情を抱いているように思われた。
二人は相変わらず「神」に関する会合を続けていたが、ケイトの両親から若い男女が同室にいることについて注意を受けたこともあり、会合場所としてはもっぱらラフロイ侯爵邸が使用されるようになった。ラフロイ侯爵は仕事ばかりでほとんど家に居なかったので、二人きりで語り合う場所として都合が良かったからである。
ときおり二人で闇の森に分け入っては、エドガーが「絶対この辺りにあると思う」という地下神殿を捜索することもあった。互いが唯一の理解者であり、相棒だった。
そんな二人が結婚の約束をするに至ったのは、当然のことと言えるだろう。
とはいえ、今の段階でそれを公にすると、まず間違いなくケイトは跡取りから外される。元からケイトのことが気に喰わない両親にとって、ラフロイ侯爵家嫡男との婚約は、素晴らしい口実となるだろう。
エニスモア侯爵家はラフロイ侯爵家ほどではないにせよ、魅力的な資料を多く所有しているし、慣例として院長職を占めている王立学院は闇の森を調査するには打って付けの場所にある。大嫌いな者たちにそれらを任せ、侯爵家から追い出されるのは正直言って業腹だ。
だから「妹の婚約が決まるまでは秘密にしておきたい」というと、エドガーはいつもの共犯者めいた笑みを浮かべてケイトに賛成してくれた。
人生の共犯者。魂の片割れ。相棒。
妹の嫁ぎ先が――妹が家を出ることが正式に決定されたら、晴れて全てを公開し、二人で結婚式を挙げよう。昼間は光の女神の前で、夜は二人の信奉する「神」の前で生涯の愛を誓うのだ。大嫌いな両親や妹と離れてエドガーと共に暮らすのは、さぞや心地よいことだろう。子供を作るのは厄介だが、義務なのだから我慢しよう。双方の家の跡取りを出産したら、あとは乳母と家庭教師に一任して、その後は一切関わるまい。
自分の血を引く子供というのは、つまりは両親や妹とも血がつながっているということで、どこまでいっても異物である。ケイトに必要なのはエドガーだけ。エドガーに必要なのもケイトだけ。
二人の世界。二人きりの完璧な世界は永遠に続くのだと思っていた。あの女――アンジェラ・アーヴィングが現れるまでは。
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