125 解放
ユージィンと共に現れたラフロイ侯爵、そして宮廷魔術師たちがすぐに結界の維持を担う一方、クローディアたち三人は結界から引き離された。
「みんな、遅くなってすまない! ところで――」
ユージィンが「ルーシー嬢は?」と口にしたのと、クローディアが「ルーシー様が戻ってこないんです!」と訴えたのは、ほぼ同時だった。
「ルーシー様はだいぶ前に薬学準備室に行って、まだ戻ってこないんです。行く前から魔力切れだったし、なにかあったんだと思います」
「そうか、それは危険だな、校舎の中には魔獣も入り込んでいるようだし」
クローディアの言葉に、ユージィンも不安の色を見せた。ただでさえ戦闘が苦手なルーシーが、身体強化も使えないとなれば、小型の魔獣にだって殺されかねない状況だ。
「分かった、すぐに――」
ところが皆まで言い終わらぬうちに、当のルーシーが角の向こうから現れた。隣にはなぜかイアン・トラヴィニオン辺境伯の姿も見える。
「ルーシー様、無事だったんですね!」
「ルーシー嬢、良かった」
「ルーシーさん、心配したわよ!」
「本当に、心配してたよ」
クローディアとユージィン、エリザベス、そしてライナスがそろって喜びの声を上げると、ルーシーも「皆様もご無事で良かったです!」と涙を浮かべて微笑んでから、「遅くなってすみません、回復ポーションをあるだけ全部持ってきました」とそれぞれに数本ずつ手渡した。
受け取ったポーションを口にすると、諸々の不快感が淡雪のように消えていく。
エリザベスとライナスもその素晴らしい効能を実感しているようで、特にライナスは「ああ、死ぬかと思った……」としみじみした調子で呟いている辺り、本当に限界だったのだろう。
三人がポーションで回復を図っている間にルーシーが語ったところによれば、彼女は地震で倒れてきた薬品棚と壁の間に閉じ込められていたらしい。おまけに侵入した魔獣が近くをうろついていたために、呼びかけられても返事も出来ずに息をひそめていたとのこと。
「途中で魔獣に気付かれて、もう駄目かと思ったところに、イアン様が来て下さったんです」
そう説明するルーシーの横から、トラヴィニオン辺境伯が「ルーシーから、最近ポーション作りの練習で遅くまで学院に残ることも多いって聞いていたから、もしかしたらと思ってね。魔獣がうろついている状況で残ってたら大変だと思って一応来てみたんだが……来て良かったよ」と照れたように付け加えた。
今日ルーシーが学院にいたのは別件だが、結果的には大正解だったわけである。ちなみに王都の中心部に現れた魔獣の群れには、エヴァンズ侯爵率いる騎士団が的確に対処しているので問題ないとのことだった。
(良かった、それじゃお父様たちは大丈夫ね)
クローディアは二本目のポーションを味わいながら、ほっと安堵の息をついた。
諸々の懸念は払しょくされた。体調もだいぶ回復したようだし、次はいよいよ邪神との正面対決、といきたいところだが、その前にユージィンに伝えねばならないことがある。
「……あの、ユージィン様、邪神について重大なご報告がありまして。大変言い辛いというか、ちょっと馬鹿みたいに聞こえるかもしれませんが」
「リリアナが依り代になったんだろう? 父から聞いたよ」
ユージィンは苦笑いを浮かべて言った。
「え、なんで陛下がご存じなんですか?」
「父は巨人騒動の一件以来、リリアナに命の危険が迫ったときに、その状況を知らせるアーティファクトを持たせていたんだ。父はそれでリリアナの状況を知って、私が聖剣を持ち出すのを阻止しようとしたんだよ。……私が聖剣を使ったら、リリアナを殺してしまうと思ったらしい」
ユージィンは淡々とした口調で説明した。
「争っているうちに事情が分かって、そんなつもりはないと言ったんだが、父は聞く耳を持たなくてね。結局、少し乱暴な形で持ち出す羽目になってしまった。手間取ったおかげで来るのが遅れてしまって、皆に……特にライナスには無理をさせてしまったな」
「いえ、別に無理なんかしていません」
ライナスは即座に否定してから、「あ、死ぬかと思ったというのは単に言葉の綾ですから!」と慌てた調子で付け加えた。
彼のあからさまな嘘に、ユージィンはなにも言わずに、ただ感謝の笑みを浮かべた。
「――それで、陛下は邪神を放置なさるおつもりだったんでしょうか」
クローディアが眉をひそめて問いかけると、「父は自分で聖剣を使うつもりだったようだ」との返事。
「しかし……あの人には無理だ。魔力量はリリアナには遠く及ばないし、もう心の通じ合う者も残っていないからな」
「心の通じ合う者?」
「聖剣を使えるのは基本的に王族だけだが、心の通じ合う者となら、共に行使できるんだ」
ユージィンはそう言うと、クローディアに右手を差し出した。
「大変な思いをさせたばかりですまないが……私と一緒に来てくれるか、クローディア」
「ええ、もちろん。お供いたします」
差し出された手を取りながら、クローディアは読者に「ケーキ入刀!」と冷やかされた原作のクライマックスシーンを思い返した。
原作のリリアナとアレクサンダーが力を合わせて聖剣を使い、邪神クローディアを倒すことができたのは、あのときの二人の心が通じ合っていたからなのだろう。
自分が前世の記憶を取り戻したことによって、彼らの運命をここまで捻じ曲げてしまったことには複雑な思いを禁じ得ないが、だからこそ自分は責任をもって、彼らに憑いた邪神を打ち滅ぼすより他にない。
戦いに備えるように、トラヴィニオン辺境伯が結界の維持に加わった。
続いてルーシーが、エリザベスが、そしてライナスが再び結界の維持に参加した。
「君たちはまだ休んでいた方が良いんじゃないかね」
ラフロイ侯爵が心配そうに口にする。
「いえ、あの、もう回復しましたし、ほんの少しでもお力になりたいんです」
「私もブラッドレー公爵家当主として、こんなときに休んでなんかいられませんわ!」
「俺も……ユージィン殿下とクローディア嬢が戦うのに、ここでなにもせずに見ていたくはありません」
それぞれの言葉からは、これまで共に困難を乗り越えてきた者としての思いが感じられた。
「……そうだな。みんな、頼む」
ユージィンの言葉に、三人が「はい」と力強くうなずいた。
聖剣に触れた瞬間、クローディアはなにか大きな力に守られているような、心の深いところが満たされたような、不思議な感覚を味わった。
(これが女神の加護の力なのかしら。漫画だとこういう感覚的なものは分からないものね……)
クローディアはユージィンと共に聖剣に触れながら、結界の内へと足を踏み入れた。中には瘴気が充満しているはずだが、今はなにも感じない。
二人はためらうことなく前へと進み、ついに邪神と真正面から対峙した。
邪神は巨大な汚泥の塊のようになって、どろどろと絶え間なく形を変えながら、激しく咆哮を上げている。「それ」から感じられるのは、激しい飢えと怒りである。七百年ぶりに復活したというのに、未だに一人の命も奪えていないことに対して苛立っているのかもしれない。
ユージィンと共に剣を構えようとしたとき、ふいに頭の中で、『憎いだろう?』という声が響いた。
『憎いだろう?』
『お前を裏切った男が憎いだろう?』
『お前の男を奪った女が憎いだろう?』
『憎くて憎くてたまらないだろう?』
声は繰り返し執拗に呼びかけてくる。
(これって邪神の声? もしかしてユージィン様には別の言葉が聞こえているのかしら)
そう思って隣を見やると、こちらを見つめるユージィンと目が合った。
「……なにか聞こえました?」
「ああ。こいつも父と同じだな。私がリリアナを憎んでいると思っているようだ」
ユージィンは苦笑しながら言った。
「だけど私はリリアナを憎むどころか、むしろ感謝してるんだ。だって、あの子のおかげで君に会えたからね」
「そういえば、そうでしたわね」
――失礼だが、君たちはリリアナの友人なのか?
――いいえ、滅相もございません。リリアナ殿下とお友達だなんてそんな恐れ多いこと、考えたこともありませんし、考えたくもありませんわ!
思えば、あれが自分たちの出会いだった。
「それじゃ、私もリリアナ殿下には感謝しなければなりませんわね……!」
二人は微笑みを交わしてから、改めて目の前の存在に向き直った。
「残念だが、お前の攻撃は我々には通じない。勇者アスランの血を受け継ぐ者として、七百年前の雪辱を果たさせてもらう」
ユージィンはそう宣言すると、クローディアと共に聖剣を構えた。
「今ここで、お前を完全に消滅させる」
――勇者アスランは聖剣を授かるときに女神さまからこう告げられたそうよ。『けして悪意を抱いてはならない。怒りや憎しみに呑まれてはならない。ただ民を救いたいという純粋な心をもって振るうべし』と。
ふと、王妃の言葉がクローディアの脳裏に蘇る。
実際のところ、リリアナ・エイルズワースのことは苦手だし、なるべくなら関わりたくない存在だ。とはいえ、憎しみまでは感じない。アレクサンダーに対しても、もうわだかまりは残っていない。
それは今のクローディアがこの上なく幸せだからだろう。
そんなことを考えながら、ユージィンと二人で剣を振り下ろす。
その切っ先が汚泥のような身体に触れた瞬間、凄まじい断末魔の悲鳴が響き渡った。それと同時に、溢れだした瘴気の塊がどっとこちらに押し寄せてくる。
しかし汚泥のような瘴気は二人を呑み込む寸前に、無数の光の粒へと変わった。
(これは……?)
まるで蛍の群れのように、クローディアたちの周りを乱舞する光、光、光。
一瞬、邪神による最後の攻撃かと思ったが、そこから敵意は感じられない。
クローディアとユージィンが呆然として見惚れていると、どこからか「ありがとう」という声が聞こえてきた。ありがとう、ありがとう、やっとみんなのところへ行ける、ありがとう、と嬉しそうな声がする。
光の粒はしばらくの間、クローディアたちの周りを楽しげに飛び回っていたものの、やがて満足したように、天へ天へと昇って行った。
「……もしかして今まで邪神に捧げられた生贄たちの魂でしょうか」
「ああ。きっとようやく解放されて、女神様の御許に行くんだろうな」
死後に救済を与えるという光の女神が、彼らを快く迎え入れてくれることだろう。
不思議な光が消えたあと、邪神がいたところには、リリアナとアレクサンダーが折り重なるようにして倒れていた。
「……二人とも、息があります!」
駆け寄ったラフロイ侯爵が嬉しそうにそう告げた。
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