122 邪神の毒
アレクサンダーは立ち直ったはずなのに、なぜそんな姿になっているのか。衝撃の余り反応の遅れたクローディアの身体を、ユージィンが後ろから抱きかかえて飛びのいた。
間一髪、立っていたところにどろどろした物が降りかかり、しゅうしゅうと異様な音を立てる。
「大丈夫か? クローディア」
「ありがとうございます、ユージィン様」
ほっと息をついて振り返ると、後から駆け付けたエリザベスが結界を張ってアレクサンダーを封じ込めたところだった。結界の中でアレクサンダーが吠え猛り、意味不明な声を発しながら瘴気を結界にぶつけては破ろうと試みている。
クローディアとユージィンは急いで結界の強化に動き、続いて到着したライナスも加わった。アレクサンダーが暴れる度に、びりびりと結界が揺れるのが伝わってくるが、どうやら問題なく抑え込めているようである。
一方、ルーシーは倒れている女生徒に駆け寄って、「これは……!」と驚きの声を上げた。見れば女性の足は変色して爛れたようになっており、見るも無残な有様だった。
「あの瘴気にやられたんですか?」
「はい……。あのどろどろがかかったとこから下が動かないし、全然感覚がないんです」
女生徒は半泣きになって訴えた。
「そうですか……。見た目も症状も暗黒竜の毒にそっくりですが、それ用のポーションを使って良いのかどうか」
「あ、大丈夫ですわ。邪神の瘴気は暗黒竜の毒と同じものなんです」
クローディアは咄嗟に口を挟んでから、「……って、宮廷魔術師が言ってましたわ」と付け加えた。
ちなみにこれは少女漫画『リリアナ王女はくじけない!』の世界において、邪神クローディアの瘴気が大量の死者を出したあと、作中の宮廷魔術師団が死に物狂いで突き止めた情報なので、一応嘘はついていない。
「それなら対処できるポーションがありますから、すぐに行って取ってきます」
ルーシーはほっとしたように言ってから、薬学準備室の方に駆け出していった。希望の光が見えたおかげか、女生徒は少し落ち着いたようだった。
「君、こんな状況ですまないが、なにがあったのか話してもらえるかな」
ユージィンが問いかける。
「それが、私にもなにがなんだか……。ついさっき院長室の前を通りかかったら、中からリーンハルト先輩が出てきて、いきなりあのどろどろをぶつけられたんです。咄嗟に飛びのいたけど、間に合わなくて……。あの、先輩はさっき邪神の瘴気とおっしゃっていましたが、リーンハルト先輩は邪神に取り憑かれてしまったんでしょうか」
「ええ、そのようですわ」
クローディアがため息と共に返答した。
実に残念なことながら、この状況ではそう認めざるを得ないだろう。
傍らではエリザベスとライナスが「ねえ、あれってやっぱり邪神なの?」「なにをどう見ても邪神だろ。つか、青くなって瘴気噴き出す奴が邪神化してなかったら逆に怖いわ」などと囁き合っている。
実際、結界の中のアレクサンダーは肌が青黒く変化しており、人間離れした様相だ。
そういえば、巻頭カラーで描かれた邪神クローディアはこんな色合いだったな、などと今さらながらに思い出す。先ほど見たとき普通の顔色だったのは、現在進行形で憑依が進んでいる証だろう。
「おそらく邪神は憑依した身体に馴染むまでに、少し時間がかかるんだろうな」
ユージィンが考え込むように呟いた。
「学院長が完全に同化する前に部屋を出たのは、目覚めた邪神の『狩り』を邪魔しないためだろう」
「ええ、私もそう思いますわ」
クローディアは頷いた。
邪神アレクサンダーはつい先ほど、ようやく動ける程度に馴染んだために部屋を出て、たまたま遭遇した女生徒に襲い掛かったのだろう。
言葉を変えれば、邪神アレクサンダーにとってはあの女生徒が最初の獲物というわけだ。彼女にとっては不運だったが、それでも死者が出る前に邪神を確保できたのは、不幸中の幸いである。
ほどなくして戻って来たルーシーが女生徒に持ってきたポーションを飲ませてから、別のポーションを足に振りかけて、持って来た布で湿布をした。
「足の感覚はどうですか。少しだけ動かしてみてください」
女生徒は恐る恐るそれに応じてから、「あ、動きます、動きました……!」と涙交じりの声を上げた。
「もう大丈夫です。対処が早かったので、すぐに影響はなくなります」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
その嬉しそうな声色に、皆の間にもほっと安堵が広がっていく。
「さすがルーシー様ですわ」
クローディアが言うと、ルーシーは「いえ、クローディア様が毒の正体を教えて下さったおかげです。それに見本用のポーションが薬学準備室にあったので助かりました」とはにかむように微笑んだ。
「念のため、帰宅したらご家族にこの名前のポーションを一瓶取り寄せてもらって、用法通りに服用してください。普通の店には置いてないかもしれませんが、この薬問屋なら手に入るはずですから」
ルーシーはそう言いながら、メモ用紙にポーション名と店名をしたためて女生徒に手渡した。暗黒竜は劇場で出現した褐色竜などとは異なり、かなり珍しい生き物なので、対処できるポーションも一般的ではないのだろう。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
女生徒は深々と頭を下げてから、軽く足を引きずりつつ、その場を去った。
その姿を見届けてから、ユージィンが皆を見回して行った。
「みんな、聞いてくれ。私はこれから王宮に行って聖剣を取ってくる。それまでの間、君たちにこの場を任せて良いか」
ユージィンの言葉に、ライナスが「はい、お任せください」と即答し、エリザベスも「これくらい余裕ですわ」と宣言し、ルーシーも「はい、あの、頑張ります」とうなずいた。クローディアも「はい、ユージィン様のお留守をお守りいたします」と微笑んだ。
「それでは、行って来る」
ユージィンが結界から離れ、走り去る。
その瞬間、邪神アレクサンダーが激しく暴れて結界から逃れようとしたようだが、皆で力を合わせて事なきを得た。
アレクサンダー一人の力とは思えないくらいに強い魔力を感じるのは、邪神の憑依によって、彼の潜在力が十全に引き出されているからだろう。
とはいえ、クローディアたちの魔力量で対処できないほどではない。ことに結界の名手であるエリザベスが作った防御結界を基礎にしているのだから猶更だ。
(良かったわ。この分ならなんとかなりそうね)
クローディアはふっと笑みを漏らした。
努力の甲斐なく邪神は復活してしまったが、考えてみれば、今の状況はそこまで悪いものでもない。
聖剣による邪神討伐に必要なのは、使い手の魔力量が依代のそれを上回っていること、そして使い手が怒りや憎しみに囚われていないことだが、ユージィンの方がアレクサンダーより魔力量は上だし、アレクサンダーをことさら憎悪する理由もない。幸いなことに、邪神アレクサンダーはまだ誰も殺していないのだから、ユージィンが勇者アスランと同じ失敗をすることはないだろう。
ユージィンが聖剣を振るえば、依り代のアレクサンダーを殺すことなく、邪神だけを滅ぼすことが可能なはずだ。
(紆余曲折あったけど、ぎりぎりのところで間に合ったってことなのかしらね。予言を聞いていたおかげだわ)
――この御子はいずれ邪神と対峙することになるでしょう。
そういえば、あの予言は結局どうなったのだろう。占星術師は「あれはとても強い運命です。今占っても、同じ結果が出るでしょう」と言っていたが、クローディアたちの行動によって、リリアナの運命は覆されたということなのか。
ふと心に浮かんだ疑問に応えるかのように、鈴を振るような声がクローディアの耳に響いた。
「そこにいるのって、もしかしてアレク? アレクったら……一体どうしちゃったの?」
振り返ると、他でもない予言の少女、リリアナ・エイルズワースが立っていた。
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