120 誰のせい?(アレクサンダー視点)
アレクサンダーが目を覚ますと、そこは王立学院の院長室だった。生徒会長として何度も訪れたことのある部屋だが、なぜこんなところで眠っていたのか分からない。
戸惑いながらソファの上で身を起こすと、「気が付いた?」と横から声をかけられた。振り向くと、エニスモア学院長が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「すみません、ご迷惑をおかけしたみたいで……。あの、俺はなんでここで寝てたんでしょう」
アレクサンダーが問いかけると、学院長は「迷惑はかかっていないわ。私が頼んで、貴方をここに運んでもらったんだもの」と優しく微笑んだ。
「貴方の目が覚めたら、話し合いたいことがあったものだから。……気を失う前のことは思い出せるかしら」
「気を失う前のこと……そうだ、俺は確か友人と喧嘩をして、それで……」
――そりゃあリリアナ殿下だって、アレクサンダーより隣国の王太子の方がいいもんなぁ。
――ははっ あっちからもこっちからも捨てられて、惨めだよなぁ、アレクサンダー。
アレクサンダーの脳裏に友人たちの嘲り声がよみがえる。
そうだ。自分は彼らに煽られて、激昂して一人を殴り飛ばしたのだった。そしてもう一人の胸ぐらをつかんだところで、「アレク! なにしてるの!」というリリアナの叫び声が聞こえ、全身に衝撃が走ったところで、ふっつりと記憶が途切れている。
「……もしかして失神魔法ですか?」
「そうよ、リリアナ様の失神魔法。リリアナ様や生徒会の人たちが言うには、貴方はいきなりお友達に暴力をふるったそうだけど、事実かしら」
「え、それは……一回殴ったのは事実ですけど、挑発してきたのは向こうなんです」
アレクサンダーは必死に事情を説明した。
友人たちがしつこくアレクサンダーをからかってきたこと。繰り返し止めろと言ったのに、止めなかったこと。さらには「リリアナがアレクサンダーよりヴィクターを選ぶのは当然だ」「アレクサンダーはリリアナとクローディアの双方から捨てられて惨めだ」などと露骨に嘲笑してきたので、ついかっとなって手を出してしまったこと。
「それで、あいつの怪我はどうだったんでしょう」
「少し腫れて赤くなっている程度だから、心配いらないわ。治療師の先生が言うには、一週間もしたら治まるそうよ」
「そうですか、良かった」
アレクサンダーはほうと安堵の息をついた。それならば、大したことにはならないはずだ。
リーンハルト家にはラングレー家からもらった慰謝料があるから、あれを使って交渉すれば、相手も矛を収めるだろう。慰謝料を差し出すことについて、両親は良い顔をしないだろうが、アレクサンダーがこの先ずっと家の厄介者になるよりはましだと同意してくれるはずである。
「院長先生、経緯はどうあれ、手を出してしまったことについては深く反省しています。相手には俺からきちんと謝罪して、穏便に済ませてくれるように説得します。ですから、どうか、大ごとにしないでいただけないでしょうか。二度とこんな真似はしませんから、どうかお願いいたします」
そう言って頭を下げながら、アレクサンダーは学院長が同意してくれることを確信していた。
エニスモア学院長はこれまでも様々な不祥事をもみ消してくれた「実績」があるし、今回だって「仕方ないわね」と言いながら、なんとかしてくれるに違いないと、当然のように思い込んでいたのである。
しかしながら返って来た答えは、「残念ながら、一週間の停学よ。生徒会長も辞めてもらうことになるわね」という、思いもかけないものだった。
「え、停学? 生徒会長を辞める? そんな……冗談ですよね?」
「仕方ないのよ、大した怪我ではなかったけど、やっぱり暴力は暴力だもの」
「待ってください! 俺は婿入り先がなくなったので、文官を目指しているんです。停学になんかなったら、採用してもらえなくなってしまいます!」
「本当にごめんなさい。なんとかしてあげたいけど、無理なのよ。実はね、ここに来る前、貴方がなかなか目覚めないものだから、リリアナ様が心配して救護室に駆け込んだの。それで治療師の先生に『アレクがいきなりお友達に殴りかかって大暴れしてるから、咄嗟に失神魔法を使ったんだけど、やり過ぎちゃったみたいなの!』って伝えたらしいのよ。声が大きかったし、救護室には複数の生徒がいたから、もう学院中に広まってるだろうって治療師の先生が言ってたわ」
「そんな……」
愕然とするアレクサンダーに、学院長は「本当に残念だわ」と気の毒そうに言葉を続けた。
「貴方は別に凶悪犯というわけではないし、もっと穏便なやり方で止めることもできたはずなのに、リリアナ様はなんでいきなり失神魔法なんて使ったのかしら」
学院長の疑問は実に当然のことだった。
リリアナならば、軽くアレクサンダーの手を押さえるだけでも、いや言葉で「やめて!」というだけでも、アレクサンダーを簡単に止められたはずである。それなのに、なぜリリアナは授業で習ったばかりの失神魔法を使ったのか。使う必要があったのか。
「たぶん、使ってみたかったんだと思います……」
アレクサンダーは力なくつぶやいた。
ただ使ってみたかったから、使ってみた。好奇心旺盛なリリアナらしい行動だ。
思い返せば、これまでもずっとそうだった。自分の魔力量を考えずに大騒動を引き起こし、てへっと笑うリリアナと「今度から気を付けて下さいよ!」と怒るアレクサンダー。「やっぱりリリアナ様は最高だぜ」と茶化すフィリップに、「自由奔放で我が道を行く、それでこそ我らがリリアナ殿下だよ」としたり顔で頷くオズワルド。困ったように笑うダミアンと、「やれやれ、まったく君たちときたら」とため息をつくモートン先生。そして「今回だけですよ」と言ってもみ消してくれる院長先生。
そんな日常を当たり前のように送っていたのは、ほんの数か月前のことだった。
「……それでリリアナ様は、今どこに」
「貴方の体調に問題がないと分かったら、帰宅されたわ。王宮にバルモア語の先生が来る予定なんですって。ヴィクター殿下に『バルモアの下町をお忍びで視察するときに、言葉が分からなかったらつまらないぞ』って言われて、俄然やる気になったっておっしゃってたわよ」
学院長は淡々とした口調で説明してから、「あ、そうそう、リリアナ様から伝言を預かっているわ。『アレク、やり過ぎちゃってごめんね。でもお友達を殴るなんて絶対やってはいけないことよ。しっかり反省してね』だそうよ」と付け加えた。
「反省、ですか……」
アレクサンダーは乾いた笑みを漏らした。
反省――反省か。今さら自分はなにを反省すれば良いのだろう。
クラスの友人を殴ったことか。友人たちにクローディアが鬱陶しいと嘆いたことか。クローディアを邪険に扱ったことか。それともリリアナの無茶な行動をいつも本気で諫めなかったことか。それとも――それともあの日、リリアナ・エイルズワースと出会って恋に落ちたことだろうか。
アレクサンダーが項垂れていると、学院長はぽつりとつぶやいた。
「それにしても……リリアナ様は本当にアンジェラ様にそっくりね」
それは彼女の口癖だった。
今は亡き側妃アンジェラの親友として、ケイト・エニスモア学院長はことあるごとにそう口にしていたものである。目を細めて、とても懐かしそうに。
――リリアナ様は本当にアンジェラ様にそっくりね。
いつもと同じ科白なのに、今日は冷ややかに感じられるのは何故だろう。
「――本当にそっくりだわ。天真爛漫なところも、皆から愛されるところも……無神経で、なんの悪気もなく不幸を振りまいていくところも」
そう続けた口調には、はっきりと嫌悪の響きがあった。
「あの、院長先生は、アンジェラ様の親友だったんじゃないんですか?」
アレクサンダーが戸惑いながら問いかけると、学院長は「ええ、親友よ」と薄く笑って見せた。
「だってエドガー様に頼まれたもの。『アンジェラ嬢の友達になってやってくれ』って。『アンジェラ嬢は嫉妬されてしまうみたいで、女子の友達がいないんだ。だけど君なら下らない嫉妬なんかしないだろ』って」
「エドガー様?」
「アンジェラ様のせいで不幸になった人の名前よ。……あれはね、そういう血筋なの。愚かで、美しくて、ただ存在するだけで、周りの人間を不幸にせずにはいられないのよ」
学院長は特別な秘密を打ち明けるようにささやいた。
「だから……貴方も不幸になったのよ」
頭の隅で警鐘が鳴り響いている。目の前の相手はどこかおかしい。今すぐに会話を打ち切って、速やかにここから立ち去るべきだ。そう思うのに、身体が上手く動かない。
息苦しさを覚えて胸元に手をやると、なにやら奇妙な感触があった。いつの間にか、見たこともないペンダントが、己の首にかけられている。
「これは……もしかしてクローディアが言っていた……」
「クローディアさん? 貴方の婚約者だった子ね。美人で、大金持ちで、貴方のことが大好きだった」
学院長がそう口にした途端、そこにクローディアが現れた。記憶にあるままのクローディアが、熱っぽい眼差しでアレクサンダーを見つめ、「アレク様」と蜜のように甘い声音で呼びかけてくる。
「お慕いしています、アレク様」
「嘘だ……」
これが現実のはずがない。頭ではそう分かっているのに、目の前のクローディアはあまりにも存在が生々しかった。
艶やかな黒髪に、青い瞳のクローディア。
彼女と結婚するはずだった。結婚できるはずだった。
裕福なラングレー家の婿として、何不自由なく暮らしていけるはずだった。
アレクサンダーは最初からクローディアを毛嫌いしていたが、それでもリリアナが現れる前は、そこまで関係は悪くなかった。誘われれば十回に一回は応じていたし、刺繍したハンカチーフをプレゼントされれば受け取った。婚約者として最低限の交流は続けていたのである。
もしリリアナが現れなければ、自分たちはあのまま結婚していたことだろう。そして自分も多少は絆されて、それなりに夫婦らしい夫婦になっていたかもしれない。
「クローディア……!」
たまらない気持ちになって名前を呼ぶと、クローディアはそれは嬉しそうに微笑んでから、煙のように掻き消えた。
まるでそこには最初から誰もいなかったかのように。
いや、実際に誰もいなかったのだろう。
誰もいない。自分にはなにも残っていない。この先にあるのは絶望だけだ。
外そうと思っていたペンダントを、気が付けば握りしめていた――まるで命綱にすがりつくように。
もう一度あの幻が見たかった。
それだけが、残酷な現実から逃れるための、唯一の手段のような気がしていた。
「可哀そうに、リーンハルト君、貴方はとても不幸なのね」
学院長の手が、優しくアレクサンダーの頭をなでる。
そうだ。自分は不幸だ。とてつもなく不幸だ。
「誰のせい?」
その答えは、考えるまでもなく分かり切っている。
「リリアナ様だ、リリアナ様さえいなければ……!」
そう口にした瞬間、手の中のペンダントが生き物のように脈打った。
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