117 本気のわけがないだろう?(アレクサンダー視点)
クローディア・ラングレーがエドガー・ラフロイについて聞かされていたのと同時刻。アレクサンダー・リーンハルトは仲間と共に生徒会室で事務仕事に勤しんでいた。
オズワルドら三人が抜けた穴をクラスの友人たちで補ってはみたものの、やはり慣れない作業とあって、仕事はなかなか終わらない。リリアナはすっかり飽きてしまったようで、先ほどから作業の手を止めたまま、あれこれとアレクサンダーに話しかけてくる。
以前ならそういうちょっとしたお喋りも嬉しく思っていたものだが、つい先日完全に振られた身とあっては、甘酸っぱい気持ちになれようはずもない。ことにリリアナが語っているのが、ヴィクターが手紙でこんなことを言ってきたとか、バルモアに嫁いだらこんなことをするつもりだとかいった内容だから猶更だ。
アレクサンダーが内心いら立ちを募らせていると、リリアナがふと思いついたように「それにしても、アレクが文官を目指すなんて驚いたわ、お兄様やクローディアさんの下で働くことになるわけだけど、大丈夫なの?」と問いかけてきた。
「大丈夫って、なにがですか?」
「なにがって、アレクはクローディアさんと婚約してたわけでしょう? それにほら、地下し――」
「大丈夫です」
アレクサンダーは若干食い気味に断言した。生徒会室にはクラスの友人たちもいるというのに、リリアナは無防備にもほどがある。
「実を言うと、俺が体調を崩して休んでいた日に、ユージィン殿下とラングレー嬢が我が家にお見舞いに来てくださったんです」
「え、あの二人が一緒にアレクのところに来たの?」
「はい。それで、その、ユージィン殿下は俺が文官になるつもりなら、過去のことで冷遇するつもりはないとおっしゃって、それからクローディア嬢にも色々と励ましていただきました」
「そうだったの……。じゃあ安心ね!」
リリアナは愛らしい笑みを浮かべて言ったあと、「実を言うとね、私、クローディアさんがお兄様と婚約したとき、ほんのちょっとだけ心配だったの」と言葉を続けた。
「クローディアさんはまだアレクに未練があるのに、無理して意地を張ってるんじゃないかって。だからアレクが王宮に入ったら、また色々揉めるかもって思ってたんだけど……でもお兄様と一緒にアレクを励ましに来るくらいなら、クローディアさんはもうアレクのことなんとも思っていないのね!」
「……ええ、そうみたいです」
「良かった。そういえば、あの二人って結構お似合いかもしれないわ。エイルズワース祭のときも仲が良さそうだったもの。いつか私とヴィクターと四人でダブルデートしたら面白そう」
リリアナは嬉しそうに話しているが、アレクサンダーにとっては、先ほどとは別の意味であまり好ましい話題ではなかった。
「あの、リリアナ様。すみませんが、この書類を院長先生に届けていただけませんか?」
「これをケイト先生のところに持っていけばいいの?」
「はい、使い走りのようなことをお願いして申し訳ありませんが、俺は今ちょっと手が離せなくて」
「いいわよ。それじゃひとっ走り行ってくるわね!」
リリアナは元気よく立ち上がると、軽やかに生徒会室を出て行った。椅子に座って作業するより、身体を動かしている方が性に合っているのだろう。
生徒会室に静寂が戻り、アレクサンダーがやれやれと息をついた。
さて作業に集中しようと思っていると、何故か今度は友人たちがアレクサンダーに声をかけてきた。
「おい、アレクサンダー、今言ってたことって本当か?」
「今言ってたこと?」
「だから、ユージィン殿下とラングレー嬢が見舞いに来て、励ましてくれたって話だよ」
「ああ、本当だよ」
「そうか。なんか意外だな。ユージィン殿下って、そんな風に気を配るタイプだったのか」
「多分ラングレー嬢がユージィン殿下に取りなしてくれたんだと思う。ダンスの授業でペアを組んだときも、俺に気を落とさないで前向きに頑張って欲しいって言ったし」
「へえ、いい子だな、ラングレー嬢って」
「ああ、そうだな」
アレクサンダーが素直に同意すると、相手はにやりと下卑た笑みを浮かべて、「それに、美人だしな」と付け加えた。
「だよな。リリアナ殿下も凄く可愛いけど、俺は正直言ってラングレー嬢の方が好みだな」
「分かる。凛とした知的美人って感じでいいよなぁ」
他の二人も口々に賛同の声を上げる。
「おい、やめろよ。次期王妃にそういうのって、いくらなんでも不敬だぞ」
「いいじゃないか。次期王妃っていってもクラスメイトだし、お前の元婚約者でもあるんだからさ。正直言って、勿体ないことしたなーって思わないか?」
「だからやめろって、そういうの」
「本当に勿体ないよなぁ。美人で優秀で性格もいいって最高じゃないか」
「おまけにアレクサンダーと婚約してたころはラングレー家の跡取り娘だったんだもんなぁ」
「ラングレー伯爵家って国内きっての資産家だし、婿入り先としては最高レベルだろ、本っ当に勿体ないよなぁ」
「おい、いい加減にしろよ、冗談にしてもしつこいぞ!」
アレクサンダーは思わず声を荒げた。
勿体ないことをした――それはアレクサンダー自身、散々思ってきたことだった。
見舞いに来たクローディアに、にっこりと微笑みかけられたとき。
軽やかにダンスを踊るクローディアに優しく励まされたとき。
教室で、廊下で、中庭で、そのすらりとした姿が視界に入るたび、ついつい目で追いながら、繰り返し繰り返し。
勿体ないことをした。
もっと大切にすれば良かった。
あんな風に邪険にするんじゃなかった。
そうしたらクローディアは今でも自分を愛していただろうに。
自分は美人で愛情深いクローディアの夫として、裕福なラングレー家の婿として、幸せに暮らしていけただろうに、と。
しかしそんな考えが浮かぶたび、とめどない後悔が溢れ出しそうになるたびに、必死な思いで気持ちに蓋をしてきたのだ。
だって時間は戻らないし、考えたところで仕方がないから。今あるものを大切に、前向きに努力する他ないのだと――。
「だって実際、どう考えても勿体ないだろ?」
友人がなおも食い下がる。
「だからしつこいって言ってるだろ! 大体お前らだって今まで散々ラングレー嬢の悪口を言ってたじゃないか。それを今になってなんなんだよ!」
アレクサンダーは感情のままに怒鳴りつけた。
クローディアがストーカーと化して以降、クラスの大半は彼女を嫌悪していたが、中でもこの三人は特に当たりがきつかった記憶がある。
――いやいや、見た目は美少女でも中身がどうしようもないからな。そうだろ? アレクサンダー。
――だよなぁ。
――いくら見た目が良くてもあれじゃぁな。
クローディアがおかしな化粧をやめた当日の朝も、彼らはそう言って笑っていた。
いや、思い返せば学院で知り合った当初から、「ラングレー家って金はあるけど新興伯爵家だろ? お前ならあんな成金よりもっと良い相手と婚約できたんじゃないか?」「あの子のアレク様って言い方、なんか気持ち悪いよな」「ああ、アレクサンダーが嫌うのも無理ないよ」などと口にして、アレクサンダーに同情していたのではなかったか。
それなのに、今頃になって一体なにを言っているのか。
「お前らだって『あれが婚約者だなんて、お前も大変だな』っていつも言ってただろ。それを、今さら――」
「馬ぁ鹿、あんなの本気のわけがないだろう?」
友人は呆れたように吐き捨てた。その目に浮かぶのは、紛れもない侮蔑と嘲笑だ。
(なんで……)
呆然としているアレクサンダーに対し、友人は楽しげな笑みを浮かべて言葉を続けた。
「むかつくんだよ。こっちは貧乏子爵家だって婿入り出来たら御の字で、必死に婚約者のご機嫌取ってるってのに、お前は大金持ちの跡取り娘にべたぼれされて鬱陶しいとか言っててさ」
「ああ、『俺は親に売られたんだ』とか『あいつは俺の顔と身分にしか興味がないんだ』とか、いつも不満たらたらで、羨ましいなんて意地でも言ってやるもんかって思ったよ」
「しかしまぁ、ちょっとこじれたらいいとは思ってたけど、まさか本当に婚約解消まで行くとは思わなかったぜ」
「どうせ『クローディアと婚約解消しても、リリアナ様に婿入りできるから丁度いい』って高くくってたんだろ? 馬鹿だよなぁ、リリアナ殿下には全然相手にもされてないじゃないか」
「……黙れ」
漏れ出た声は、かすれていた。
頭がかあっと熱くなり、心臓がばくばくと音を立てている。
「怖い顔すんなよアレクサンダー、ラングレー嬢に捨てられたのはお前の自業自得だろ?」
「でもリリアナ殿下の件はさすがにちょっと同情したわ。お前があれだけ尽くしてたのに、会ったばかりの男とあっさり婚約するんだもんなぁ」
友人はなおも嘲り続ける。
「仕方ないよ。そりゃあリリアナ殿下だって、アレクサンダーより隣国の王太子の方がいいもんなぁ」
「ははっ あっちからもこっちからも捨てられて、惨めだよなぁ、アレクサンダー」
「黙れ! 黙れよ!」
アレクサンダーは絶叫すると、無我夢中で彼らに殴りかかって行った。
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