100 私たち姉妹になるんだもの!
昼食会から三日後。クローディアは久しぶりに王立学院に登校した。
今日から最終学年。新しい教室に入ると、クラスメイトたちが三々五々に固まって、それぞれの夏季休暇について語り合う声が聞こえてくる。クローディアもルーシーと三日ぶりの再会を喜び合って、早速他愛もないお喋りに花を咲かせた。
と言ってもユージィンとの婚約は当分の間秘密にすることになっているので、話題はそれ以外のことに限られるわけだが、ルーシーの辺境伯領での様々な体験や王立大学への進学のこと、王都で流行している芝居やスイーツのことなど、話の種はいくらでも尽きることはなかった。
恋愛小説の最新刊についてひとしきり盛り上がったのち、ルーシーがふと思い出したように「そういえば、昨日エヴァンズ様から手紙が届いたんです」と口にした。
「エヴァンズ様って、ご子息の方のエヴァンズ様ですの?」
「ええ。フィリップ・エヴァンズ様ですわ。手紙によると、男爵領での生活がすごく性に合っていらっしゃるそうで、食べ物は美味しいし、魔獣を倒すたびに領民たちから英雄扱いされるし、なにより毎日勉強もしないで剣をふるっていられるのが最高だっておっしゃっていました」
「それはなんというか、エヴァンズ様らしいですわね」
「ふふ、私もそう思いました。男爵夫妻にも気に入られているので、跡取りは間違いないそうです。あといつも一緒に戦っている女性騎士の方と仲良くなって、もう婚約の話も出ているともおっしゃっていました」
「大変結構なことですけど、なぜそれをわざわざルーシー様に言ってくるのでしょう」
「自分は元気にやっているから心配しないで欲しい、ということだと思います。手紙の最後にそのようなことが書いてありました」
「あらまあ、エヴァンズ様ったら」
クローディアは「誰も心配なんかしてませんわよ、ねえ?」と言いかけたものの、ルーシーが「少し心配だったので、ほっとしました」と嬉しそうに微笑んだので、慌ててそれを呑み込んだ。
なんというか、人間としての器の違いを見せつけられた気分である。
「エヴァンズ様はクローディア様にもよろしく伝えてくれっておっしゃっていました」
「私に? どういう風の吹き回しでしょう」
「色々あったけど、結局クローディア様の忠告に従って良かった、今は感謝しているとのことでしたわ」
「エヴァンズ様、本当に浄化されましたのね……」
かつてのフィリップ・エヴァンズからは考えられない言動だが、領民のために汗を流す毎日が、彼を成長させたのかもしれない。あるいは「悪い仲間」と手を切ったことで、彼の本来持っていた善良な性質が表に出てきたということだろうか。
クローディアがなんとはなしに、「悪い仲間」の一人であったアレクサンダーに目をやると、彼は友人たちを説得している真っ最中だった。
「なあ、頼むよ。一気に人手がなくなって大変なんだ」
「うーん、俺は婿入り先の子爵家から領地経営の手伝いをするように言われてるからなぁ」
「俺も文官試験のために少しでも成績を上げておきたいから、ちょっと時間が取れそうにないな」
「そう言うなよ。少し手伝ってくれるだけでいいからさ。それに文官を目指すなら、生徒会をやってたっていうのは採用で有利に働くはずだぞ」
「そういう見方もあるか……。まあ考えておくよ」
アレクサンダーは「ああ、期待してるぞ。リリアナ様も――」と言いかけて、はっとしたように目を見開いた。
クローディアが振り返ると、今まさにストロベリーブロンドの王女殿下が教室に入ってくるところだった。クラスは三年間変わらないので、リリアナはこの教室ではないはずだが、アレクサンダーに用事でもあるのだろうか。
「リリアナ様、お早うございます! どうなさったんですか? 今朝は生徒会室にいらっしゃらなかったので心配したんですよ!」
高揚した面持ちで駆け寄ってくるアレクサンダーに、リリアナは「お早うアレク! 今朝は行けなくてごめんね、ちょっと寝坊しちゃったのよ」と元気よく返事をしてから、クローディアの方へと向き直った。
「クローディアさん、お早う!」
「お早うございます、リリアナ殿下」
立ち上がって頭を下げるクローディアに、リリアナはぷう、と頬を膨らませた。
「もうクローディアさんたら、そんな堅苦しい言い方必要ないでしょ? 私たち姉妹になるんだもの!」
突然の爆弾発言に、騒がしかった教室が一瞬にして静まり返る。
「あの、お待ち下さい、一体なにをおっしゃっているのか、私にはさっぱり」
「だってクローディアさんはお兄様と婚約したんでしょ? だったら私とはもう家族みたいなものじゃない。いきなり王族になって色々大変かも知れないけど、私はクローディアさんの一番の味方だから! 今日はそれだけ伝えたかったの」
励ますように言うリリアナに、教室のそここから「え? 本当に?」「ユージィン殿下とラングレー嬢が?」「そういえば王宮舞踏会でもパートナーだったよね」「それじゃラングレー嬢は未来の王妃様?」などと囁きかわす声が聞こえてくる。
「リリアナ様、それは本当なんですか?」
アレクサンダーがあたふたしながら問いかけると、リリアナは「もちろん本当よ、今朝パパから聞いたんだもの!」と胸を張って言い切ったのち、「あ、いっけない、これまだ秘密なんだった!」と口を押えた。
「そういうことだから、みんな、今日聞いたことは絶対秘密にしておいてね。それじゃ、私そろそろ教室に帰らないと! アレク、またあとでね!」
言うだけ言って、リリアナは風のように去っていき、あとに残されたクローディアは衆目の中で立ち尽くすより他になかった。
「すまないクローディア、父には口止めしていたんだが」
昼休み。いつもの中庭で深々と頭を下げるユージィンに、クローディアは「いえ、ユージィン様のせいじゃありませんわ……」と力なく微笑んだ。
「しかし厄介なことになったな。生徒たちが親に伝えれば、当然社交界に広まるだろうし」
ライナスが眉を顰めると、ルーシーも「ええ、そこから各国大使に伝わるのは時間の問題だと思います……」と心配そうにうなずいた。
ユージィンとクローディアの婚約を当分の間伏せることに決めたのは、一か月後に迫るエイルズワース祭において、クローディアが準王族として各国の来賓をもてなす立場になるのを避けるための措置である。
今回のエイルズワース祭はユージィンの王太子としてのお披露目を兼ねているため、その隣に立つ婚約者もまた注目の的になるのは避けられない。まだ王妃教育も受けていないクローディアがいきなり外交の大舞台に立って失敗のリスクを冒すより、ある程度王妃教育が進んでから婚約を公にして、まずは王国内の公務で場数を踏んだ方がいいのではないか、とヴェロニカ王妃が提案し、ユージィンとクローディアも賛成した。そして国王マクシミリアンもそれで納得していたはずなのだか。
「国王陛下は一体何を考えておられるんでしょう。リリアナ殿下はあの通りのあけっぴろげな方ですし、こうなることは分かっていらしたと思うのですが」
ルーシーが困惑したように首を傾げた。
「情けない話だが、おそらくわざとだと思う。父は王宮舞踏会の件で私に対して思うところがあるようだから」
苦々し気に言うユージィンに、クローディアが「率直に申し上げて、逆恨みもいいところですわね」とため息をつくと、ライナスも「不敬もいいところだけど、正直俺も同感だな……」とうなずいた。温厚なルーシーも、「そんなことに、外交の場を利用するなんてひどすぎます」と眉をひそめている。
まあ百歩譲って「己の面子を潰された腹いせに、ユージィンに恥をかかせてやろう」という発想自体はまだ理解できるにしても、そのためなら国益を損ねても構わないという感覚は理解しがたい。この人物が当分は王座に居座っているのは実に厄介な話である。
――などと愚痴を言っても始まらない。今考えるべきは、目前の問題をどうするかだ。
「まだ公式発表したわけではないし、来賓から婚約のことを言われても、知らぬ存ぜぬで押し通せないこともないんだが……」
ユージィンの発言に、ライナスが「でもそれだと『婚約者がちょっとアレなんで、表に出せる状態じゃないんです』と宣言するようなものですよ?」と深刻な表情で指摘する。
クローディアとしては「ライナス様、ちょっとアレってなんですの? ちょっとアレって」と突っ込みたい気持ちでいっぱいだったが、具体的に説明されても嫌なので、あえて口にはしなかった。
「……こうなった以上は仕方ありませんわね。まだ一か月近くあるわけですし、それまでになんとかしてみせますわ。いっそ短期集中で臨んだ方が効率的かもしれませんし」
さしあたって必要なのは共通語を滑らかに話せる技術と来賓の文化や歴史についての理解だろうが、一か月良い教師について集中的に学んだら、それなりの向上を見込めるはずだ。
「すまない、私と母もできる限りフォローさせてもらう」
「ええ、お願いしますわね」
「あの、私も、もしなにかできることがあれば」
「俺もできることがあったら何でも言ってくれ。エリザベスにも声をかけておく」
「ええ、皆さまもよろしくお願いします。とにかくできるだけのことはしてみますわ!」
腹をくくったクローディアは、力強くそう宣言した。
脳裏に浮かぶのはエリザベスの卒業を懸けた試験勉強の日々のこと。あのときもなんとかなったのだし、今回も何とかなるだろう、多分。
そして怒涛の一か月が幕を開けた。
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