59☆あなたは神の存在を信じますか?《エミリー・ウォルナット視点》
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「私は、リリィ・ハルモニアと申します」
そこにいたのは、夢の中の《大聖女様》と同じ髪と瞳をした聖女様がほほ笑んでいた。
「は、はじめまして……エミリー・ウォルナットと申します!」
あわてて、覚えたてのカーテシーを披露する。といっても、慌てていたのでふらつきがひどく、指先も震え、みっともないカーテシーだった。
しかし、それを見た聖女様は驚いた様に目を見開くわけでもなく、ただただ、にこやかに微笑んでいた。
そのことに、少しほっと安堵する。
先ほどの、ベアトリーチェの意味深な言葉もあるが、一度だけ聖女様を神殿主催のイベントで遠目で拝見した時。
にこやかに民衆に手を振るベッファ高位神官の後ろで、張り付けたような笑みを浮かべて立つ聖女様の姿に、得体のしれない恐怖を感じたことがあったのだ。
記憶の中の大聖女様と同じ髪色と瞳なのに、なぜか怖い。
エミリーは震える指先を隠すように、ぎゅうっと手を握りつつ、執事に促されるようにして聖女の向かいの席についた。
「突然の訪問をお許しください。どうしてもウォルナット嬢とお話がしたくて」
いいつつ、聖女が紅茶の支度をする執事をちらりとみる。
執事は聖女の視線に気づくと、人のよさそうな表情を、困ったように変えて眉を下げた。
「………エミリー様と、二人でお話がしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「申し訳ございません、聖女様。エミリー様は、自室以外では決してお一人にしないようにとグイード様よりきつく申し付けられておりまして」
そう、あくまでエミリーは調査対象。
それは義理の妹であろうと同様で、自室以外では侍女か執事がつくようになっている。
「私は聖女ですが、それでもいけませんか?」
「はい。アジュールの者以外がついてはならぬと―――」
言葉の途中で、執事の声が途切れる。
疑問に思い、執事を見る。すると、執事はそれまでの真摯な瞳がくもり、どこか遠くを見つめているかのように視線が固定されていた。
「………しかし、ほかならぬ聖女様とあれば、グイード様も納得してくださるでしょう」
「え……?」
「ありがとう。下がっていいわ」
「はい。何かご入用があればお申し付けください」
「あ、え……!?」
いいつつ、執事が退室していくのを、エミリーは呆然と見つめていた。
寝不足だったから、話を聞き落としていたのだろうか。
どうして、あの主人に忠実な執事が急に意見を変えたのだろう。
目の前で起きたことに納得ができず、エミリーが戸惑っていると「それでは、エミリー様」と聖女がにこやかにこちらを見る。
「エミリー様、あなたは《神の存在を信じます》か?」
「え……?」
「もちろん、信じますよね?」
「私が、あなたの神です」
「……え」
目の前に箱を置かれる。美しい細工の施された民芸品のような箱。
聖女様は穏やかな顔で、その箱の中身をエミリーに見せるようにして開けた。中には―――何かが、入っている。
でも、その『何か』が理解できない。
確かに視認しているはずなのに、脳でその形状を比喩できない。
まるで、脳がこの箱の存在について『記憶するな』と命令しているかのように。
「エミリー・ウォルナット、あなたは、違法薬物の製造に加担しましたね?」
「………」
なにを、言っているのだろう。
箱の存在に気を取られ過ぎて、何を言われたのか一瞬理解できなかった。しかし、一拍遅れて「疑われているのだ」と理解したとたん、弾けたようにその場から立ち上がり「違います!!」と叫んでいた。
「私は《違法な薬物》なんてつくっていません!! 加担だなんて……!!」
「かわいそうに。ベアトリーチェ・スカーレットに脅されて、仕方なく加担したのですね」
「な、なにをいって……」
「正直にお話しください、私はあなたの《味方》です」
おかしい。
違うと言っているのに、話を聞いてくれない。
エミリーは、「ち、ちがうんです、話を聞いてください、聖女様……」と声を震わせ、首を左右に振った。
「違いまッ―――がはッ!?」
声が出ない。
喉がつっかえたようになって、言葉が出てこない。苦しい。ぐらりと身体が揺れて、テーブルにつっぷすように倒れ込むと、執事の用意した手つかずの茶器が落ち、激しく割れた。
どうして、とかすむ視界の中、自分の身体を見る。すると、あの小さな箱の中から無数の赤黒い『手』のようなものが這い出て、エミリーの首や手首、足を押さえつけていた。
「な、に゛…っ、……」
「―――ああ、お可哀そうに。罪の意識を感じているのですね」
エミリーが恐怖で青ざめ、床にうずくまる中、聖女は白く可憐な指先を口元に添え、慈愛の表情を浮かべる。
「大丈夫です。神は全てみておられます」
「だから、そんなにご自身を責めないでください」
違う。違います。
私は、何もしていません。
そういいたくても、声が出ない。苦しさと悔しさで涙が溢れて頬を伝う。
「悪いのは、貴女を唆した悪女ベアトリーチェ・スカーレットなのですから」
違います!
ベアトリーチェ様はそんな方じゃない!!
「―――ああ!! おやめください!エミリー様」
突然、演技がかった聖女の声と同時に自分の手に《痛み》が走る。
顔が動かせないので、目線だけを下に向けると、割れた茶器の欠片を握りしめていた。指の間から、つうと鮮血があふれ、伝い、ぽたりと床に落ちる。
「っ、ひいッ………!!」
「ご自身を責めないで!! 仕方のない事なのです!!」
「ち、ち、……ちが………」
聖女が叫ぶたびに、身体が勝手に動く。抵抗したくても、あの赤黒い、怪物のような手が放してくれない。
ゆっくりと、震える手で鋭い茶器の破片を、自分の首筋へと押し当てる。首に鋭い痛みが走り、恐怖で全身ががくがくと壊れたように震えるが、からだは全くいう事をきかない。
まるで、操り人形のように。
「た、すけ……」
誰か、誰か助けて。
おとうさん、おかあさん。
グイード様。
――ベアトリーチェ、様。
あの、燃える様な紅い髪を思い浮かべた瞬間、左手の小指に、じりじりと灼けつくような痛みが走った。
「無駄よ」
ひどく冷たい声に前を見る。
そこには、聖女とは思えないほど残忍な笑みを浮かべた銀髪の女。
(死 に な さ い 。 私 の た め に )
「――――ッ!!」
熱い。痛い。
首を刺したのに、脳をつくような痛みが走る。
噴き出す血潮。熱く、ぬめる指先。口の中に広がる鉄の味。
「きゃああああ!!! エミリー様!! エミリー様が!! だれかぁあ!!」
悲痛に叫ぶ聖女。
慌てて室内へ入ってくる執事。遠くから聞こえる、グイードの声。そして、目の端で、自分を拘束していたあの赤黒い無数の手が、聖女の箱の中へとするすると収まっていく様子がみえた。
すべてが静止画のようにゆっくりと流れていく。
「エミリー!! なにがあっ………ッ」
室内に駆け込んでくるグイード―――ああ。グイード様だ。
酷く青ざめていて、蒼の瞳が揺れている。
彼はエミリーを見るなり、大きく目を見開いてエミリーにその手を伸ばした。
エミリーは、それに応えようと血だらけの手でグイードにむけようとするが、エミリーに駆け寄るグイードを引き留めるかのように、泣きわめく聖女がその広い胸に飛び込み、妨害した。
エミリーの瞳が、涙と絶望で濡れるのを聖女はグイードの胸にしがみつきながらこちらを見、横目で嘲笑った。
「あぁ! ごめんなさい! グイード様! 私のせいなのです!!」
お優しいエミリー様は罪の意識を感じてご自分で命を……!!!
その、最悪な光景を最後にブツリと途絶える視界。
そうして、エミリーの意識は泥沼へと沈んだ。
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