50★私に触れないで⑤
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「おい、止めろ」
耳元で聞こえるザリザリとした音と、刺々しい何かで擦られたような痛みを感じた瞬間。
いつの間にか隣に移動していたらしい皇帝が、ベアトリーチェと神獣の間に手を差し込み、そのまま大きな手で神獣の口を覆うと、ぐぐぐぐっとベアトリーチェから引き離すように押しのけた。
『ガッ、ゴァアア…ッ……!』
「テオ。お前、誰の許可を得て触れてる……?」
嘘でしょ。
神獣に対して、なんて態度。
偉大なる神獣を素手で押しのけた挙句、首を舐めただけでまるで重罪犯を追い詰めるかのような瞳と声。こちらが震えあがるほどの狂気を孕んだ皇帝の瞳にベアトリーチェが声を失っていると、「悪いな」と神獣を押しやる姿勢のまま隣にどかりと座ってきた。
「こいつはどうやら令嬢のクビに執心しているようだ」
「……………」
どう答えろと言うのだ。
とりあえず、にっこりと微笑み返してみているが、皇帝の手で押しのけられているテオスカトリが『がう、あう……』と息苦しそうに鳴いているのが可哀そうで仕方ない。神殿で出会った時はあんなに恐ろしかったのに、今は粗相をしてしまった大型猫にしか見えない。
皇帝が故意に顕現させたわけではないのだろうか。
「わたくしには何も見えないので、なんとも言えませんが」
いいつつ、ベアトリーチェは神獣の顔を押しのける皇帝の大きな手を白い手で絡めとり、自分の首に添えた。
「――差し上げたくても、この首はひとつしかございませんので」
嫣然と微笑みながら、見開かれた皇帝の瞳を見返す。
目の端で、皇帝の手から逃れた神獣が光の粒になって消えていく様子を確認し、内心で安堵する。
本来なら、このように弱点を晒すような行為はしたくなかったのだが、これ以上、神獣を蔑む行いは見過ごせない。
「……なるほど、アレを逃がしたのか?」
「なんのことだか」
皇帝の仄暗い瞳が細められ、首に触れさせた大きな手がベアトリーチェの細い首を掴むように撫でられる。
少しかさついた男らしい節ばった指先が、皮膚の薄い首筋をなぞる様に触れられ、びりびりと神経を撫でられたかのように背中がひりつく。
大丈夫。これは、《皇帝を愛していたベアトリーチェの身体》が、過剰に反応しているだけ。
皇帝のしぐさに他意はない、と指先の意図を考えないように「このまま指先に力をこめられでもしたら、一瞬でへし折られるのだろうな」等、他所事を考えて気を紛らわせていると。
「――最近、男とよく会っているようだな?」
斜め上からの問いに、言葉を失った。
え、誰のことだろうか。
心当たりしかなくて、全く絞れない。
言い淀んでいると、不埒な指先は、するりと皮膚の感触を楽しみつつ、うなじへと移動する。親指はベアトリーチェの顎に添えられ、くいっと上を向かされた。
目の前には皇帝の顔。
「――この肌を触れさせたのか?」
まずい。
危惧していた、《あの空気》だ。
「……陛……っ、!」
後頭部に回った指先が、意味深にうなじの窪みを下から上へとなぞる。ぞわりとした感覚に言葉が途切れ、無意識に肩が跳ねる。背中が弓なりに反ったところで、そのまま皇帝から覆い被さられるように、ソファへやわく押し倒された。
「な、にを……!」
逆光で皇帝の顔が見えない。元々室内が暗かったのもあるが、今は異様な圧のせいもあり猶更皇帝の顔が見えない。
まずい。
この空気は、さすがにまずい。
男性との経験がなくとも肌感覚で分かる―――危険だ。
さすがのベアトリーチェも危機感を感じて声を上げようとした時だ。
「陛下、軽食をお持ちしま――――っきゃあッ!!」
無遠慮に開かれた扉。
そこには、数人の侍女と、ワゴンに乗せられたサンドイッチなどの軽食とワイン。そういえば、最初に皇帝が侍女らに持ってくるようにと指示していたものだ。
この反応だとおそらくノックをしてくれていたのだろうが、神獣の騒ぎで全く気付かなかった。
そして侍女らも、軽食を提供せんと恭しく入室してきたものの―――皇帝が悪女を押し倒しているという衝撃的な状況に、首元まで顔を真っ赤にして叫んだ。
「あ、あの、も、もももうしわけッ………!!」
「――見ての通り、取り込んでいる。そこに置いて出ていけ」
「か、かしこまりました!!」
失礼します!! という高い声と共に、扉がまたもやバァンとしめられ、慌てたように去っていく足音。
あまりのことに、ベアトリーチェは絶句して声すら出なかった。
おかげさまで50話です!
いつもいいねとブクマ&評価本当にありがとうございます!!明日も投稿します!




