36☆グイード・アジュールの苦悩①
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『こんな大勢人のいる狭い場所で、剣を振りかざす騎士がいるか。愚か者めが』
その一声で、全身が凍り付くあの感覚。
俺は、その《恐怖》を知っている。
「おかえりなさいませ、グイード様」
「あぁ……」
「グイード様ッ!!」
皇宮で《スカーレット親子》を拘束、確保した日の夜。
グイード・アジュールは、皇宮から、アジュール公爵邸へと向かった。
そして、公爵邸に到着すると同時に《別邸》から飛び出してきた少女に呼び止められる。
振り返ると、そこにいたのは先日保護したばかりのグイードの《腹違いの妹》――エミリー・ウォルナットだ。
彼女は、最初出会った時にきていた、ボロボロのワンピースではなく、体型に合ったシンプルな服を着て、息を切らしながらグイードに駆け寄ってきた。
「エミリー! 俺を出迎えてくれ………」
「ベアトリーチェ様は!?!!」
グイードにしがみつく――というより、小さい体ながら胸倉に掴みかかる様な勢いと形相でエミリーが詰め寄る。てっきり、腹違いの兄を出迎えてくれたのだと思い込んで気を抜いていたグイードは、「ごはッ」と呼吸をせき止められた。
「ベアトリーチェ様はご無事ですか!? お怪我は?! まさか、投獄なんてことは……!!」
「え、エミリー、おちつ………」
「落ち着けません!! ベアトリーチェ様はご無事なのですか!? どうなのですか?!! あと私を今すぐ薬局に返してください!!!」
「それはできない」
矢継ぎ早に話しかけるエミリーの肩に優しく手を添えて、軽く引き離す。手袋越しでも、その肩が骨のようにやせ細っているのが痛々しい。
「君は《重要参考人》だ。状況が落ち着くまで、別邸から外に出ることは許さない」
「そ、んな……」
エミリーの大きな瞳に絶望がにじむ。
うなだれる小さな頭。茶色の髪は侍女たちの手入れで少し艶を戻していたが、それでもまだ乾燥している。栄養状態も悪い。何年も苦しい想いをしてきたであろうはずなのに、どうしてあのような小屋に戻りたいなどというのだろう。
そこに、何か重要なものを隠しているのだろうか――いや、エミリーの澄んだ瞳を見る限り、やましいことがあるとは思えない。
「エミリー、あの場所に取りに行きたいものがあるのなら代わりの者に取りに行かせよう」
「違……違う、んです………」
ぽたぽたと、地面に水滴が落ちる。
どうやら泣いているようだ。グイードは驚いて「ど、どこか痛むのか?」と尋ねるも、エミリーは首を横に振るばかり。
「店に……もどりたい、だけなんです……やっと、夢が……かなったと……」
「エミリー……」
かわいそうに。彼女は、まだ《悪夢》から目覚めていないのだろう。
悪女に騙されていたとも知らずに、自分の店が持てたのだと言う。あの稀代の悪女が対価もなしに、エミリーのような純粋な子供に店を任せるはずがない。
きっと、いや、必ず何か裏があるのだ。
「悪女に騙されて辛い想いをしたな。此度の事件が解決し、君の《無実》をはらしたら、正式にアジュール家に養子として迎え入れるよう父に掛け合おう。そうしたら、君は晴れて公爵令嬢になれて、今まで以上に自由が―――」
「私は……《公爵令嬢》にも《貴族》にもなりたいわけではありません!!」
小さな体から出たとは思えない怒声。
見上げたエミリーは、大きな瞳に涙を目いっぱいためて、眼鏡越しにグイードを睨むように見つめた。
「私は《薬師》になりたいのです!! あの場所で薬草を育てて、子供たちを癒しながら……ッベアトリーチェ様の、おそばで……!!」
「エミリー……」
「……ベアトリーチェ様は《無実》です」
こんなに似ていない私を妹だと信じてくれるのなら、どうか私の話を聞いてください、とエミリーが涙を溢す。
「あの方が《違法薬物》なんて、関わられるはずがありません……あの方は、薬を見極める確かな目を持っていらっしゃいます。そして、私を《地獄》から救ってくださいました。……お風呂に入れていただいたこと、お食事を恵んでくださったこと。こんな綺麗な服を着せていただいたことには感謝いたします………ですが、私はグイード様の御力にはなれません」
私は嘘はつけません。
眼鏡をはずし、ぐいっと腕で涙を拭うと、エミリーは毅然とした眼差しでグイードを見上げた。
同世代の少女よりも、二回り近くも小さく細い体。
しかし、彼女の中には確固たる意志が滾っていた。
「別邸で、大人しくしております。なので、どうか……どうかベアトリーチェ様をお助けください……そのためなら、なんでもいたします」
お願いです、お兄様―――そう懇願するエミリーにグイードはどうしてよいかわからず、ただただその小さく震える背を支えることしかできなかった。
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