30★嵐の前の静けさ②
《まぁ自由度は確かに増したわよ。誰かさんのおかげで。ありがとねん♡》
「…………」
皆まで答える気はないようだ。
茶化しているようで、その実、神が《この世の誰よりもあなどれない存在》であることは理解しているつもりだ。
お茶飲み友達と言えど、こちら側に有益な情報を全て教えてくれるとは限らない。
これ以上の追求は無意味か。
ふう、とベアトリーチェは息を吐き、羽ペンを脇に置くと、包帯が巻かれた右手を見る。
エミリーお手製の六角形の目をした網。そのおかげか、驚くほど回復がはやかった。エミリーは毎日交換が必要と言っていたが、不思議な治癒力でわずか一日で傷が癒えたのだ。
ラザロにも正直に伝えたが、この包帯は本当に《ラザロの良心の呵責》を狙っただけの飾り。用済みといわんばかりにしゅるしゅるとその清潔な白い布を外していくと、火傷前と同じように白く美しい手。
しかし、以前とどこかが違う。
ベアトリーチェは、ペリドットのように輝く瞳でじっと右手をみつめながら「なぜ、ハーレクイン卿は《神の声》が聞こえなかったのでしょうか?」と、独り言のようにつぶやいた。
《は?》
「彼は名医ハーレクイン公爵の息子であり、彼自身も天才医師と呼ばれています。それに、彼の肩には間違いなく神獣・翠亀様がいらっしゃいました。神の存在に気付いてもおかしくないと思ったのですが……」
《え。マジで言ってる? あの真性のド変態が尊いアタシに気付くと思った?》
低い声で返されて、さすがのベアトリーチェも言葉に詰まる。
というより、ルカ・ハーレクイン卿はそこまで酷い言い様をされるほどであっただろうか。それとも、神にとって彼に恋人がいたことが、それほどまでに彼の評価を落とす要因となったのであろうか。
「誤解をされていらっしゃるようですが、彼は人に優しい青年ですよ。わたくしが特別苦手でいらっしゃるだけで、普段は階級の区別なく治療をされる《医者の鑑》です」
そう、その昔。
大聖女であった頃、誰にでも分け隔てなく接していた《王》であった時と、変わらない姿だ。
――幼いベアトリーチェが、何故《ルカ・ハーレクイン卿》を《王子様》と称し、追いかけまわしていたのか、今ならわかる。
ベアトリーチェに大聖女の記憶がなくとも、その昔《王子様に求婚され続けていた》という感覚を無意識化で覚えていたのだろう。
ちょうど父親が一番忙しい時で、男性からの《一途な愛》に飢えていたベアトリーチェは、ルカ・ハーレクインを見た瞬間、本能的にその感覚を思い出した。
だから、追いかけまわした。
彼なら、自分を一途に愛し続けてくれるだろうと。
しかし、誰にでも親切な王子様は、自分に《過剰な色目を使う女性》に対してだけは、いらぬ期待を持たせないようにと手酷くはねのけるきらいがあった。
ラザロと同じく、ルカ・ハーレクインも前世の記憶などというものは持ち合わせていないだろう。その上、今世ですでに恋人が存在する誠実な彼にとって、ベアトリーチェの好意は迷惑以外の何物でもない。
大聖女の時にあのような対応をされたことがなかっただけに少し驚いたが、ベアトリーチェ本来の性格を考えたら妥当な対応でもある。
まぁ、いつか刺されやしないか、と心配にはなるが、あの対応はベアトリーチェだけにしているのだろう。
《医者の鑑ねぇ~~~っていうか、あいつ最初からアンタしかみてなかったから、アタシに気付く以前の問題よ》
「まぁ、恋人がいるにも関わらず釣書なんてものを送り付けてしまったのですから………あ、そうでした」
この件はさすがにお父様に釘を刺しておきませんと、とベアトリーチェが思い立ったように立ち上がった瞬間、コンコンと控えめなノックが響いた。
この鳴らし方は、先日の侍女選抜試験で下位になった5人のうちのひとりだろう。
ベアトリーチェはできるだけ優しげに。ただし、毅然とした声で「何か用かしら?」と扉越しに要件を問う。
「べ、ベアトリーチェお嬢様。お忙しいところ、失礼します……その、公爵様がお呼びでございます……」
「お父様が? もうお戻りになられたの?」
確か、今日はどうしても外せない仕事とやらで《皇宮》にいるはず。
仕事がなければ、過保護な父はラザロの訪問も傍で見守ると言っていたのだ。ルカの様子を見る限り、不在で良かったと思う反面、帰ってきたらきつくお灸をすえねばと構えていた最中だった。
「い、いえ………そ、それがぁ……」
どうしましょう、とペアの上位侍女に相談しているのだろうか。尻すぼみの情けない声が扉越しに聞こえる。
同時に、声をかけてきた侍女が今、ベアトリーチェの《衣装・メイク担当》の上位侍女にしごかれている娘だということを思い出し、察しの良すぎるベアトリーチェは「……まさか」と、呻いた。
「お嬢様、アネモネ組でございます!! お時間が限られておりますゆえ、失礼いたします!」
挨拶と共に「バァン!!」と扉を開け放って入ってきたのは、先日の侍女選抜試験で見事上位に食い込んだ《衣装・メイク技術》がずば抜けた腕利きの侍女。
すでに、両手には使い込まれた自前のメイク道具類を「私、失敗しないので」といわんばかりにXの腕にして芸術的に構えている。その背後では、先ほどの情けない声を出した侍女が「よ、よろしくおねがいしまぁす……」とドレスを抱えて震えていた。
ちなみに、《アネモネ組》というのは、侍女選抜試験で上位5名の侍女と下位5名の侍女を、それぞれペアにした際の新たな呼称だ。
他にも、《ヘレボルス組》《グロリオサ組》《プリムラ組》《ヒドランジア組》などがある。
ちなみに共通点は《赤い毒花》。
これも全て、公爵令嬢ベアトリーチェに選ばれし侍女である、という誇りから自分たちでチーム名を考えて決めたらしい。
予想外の方面から生まれ始めた結束に、ベアトリーチェは「上位の娘達はあれだけ下位の娘の教育を嫌がっていたのに、1カ月後に辞める気があるのかしら……?」とほんの少し恐怖を感じていたが、侍女たちが――特に、上位の侍女らが生き生きしているので様子を見ている最中だ。
「公爵様は、ご多忙につき本日屋敷に戻ってこられません、が! どうしても! 今すぐに! 『ベアトリーチェ様のお顔が見たい』とのことで、急ぎ皇宮に来られるように、と!」
「い、今すぐ……?」
「はい。今すぐに、です!!」
句読点をしっかりと止めて、瞳をギラつかせながら話す上位の侍女に、ベアトリーチェの方が気圧される。
「ま、待ちなさい……確か、わたくしは皇宮は出入り禁止だったはず……!!」
そう。自分は幼少期からにわたる度重なる皇帝陛下への付きまとい行為からのお父様の業務妨げで、皇宮の出入りが《禁止》されているのだ。
その悪女が登城などありえない、落ち着くのです、と言わんばかりに待ったをかけるベアトリーチェに、「待ってました!!」と言わんばかりに、侍女が「ふふふ」と笑いだす。
なぜだ。なぜ笑いだす?
ここまでくるともはや恐怖だ。
「ご安心くださいませお嬢様!! その点はなんと! なんと!! 皇帝陛下からの直々の許可を得ているそうでございます!!!!」
「こ………っ」
皇帝陛下?!
脳裏にあの黒髪にアレキサンドライトの鋭い瞳が過ぎる。
彼の指先が触れた首筋がチリッとひりつき、思わず右手で抑えた。
娘の顔を見たいがために、わざわざ皇宮の出入り許可を皇帝陛下にとったといいますの?! お父様!!
「そういう事で、我々はヘラ侍女長様より、今すぐお嬢様の支度を整えるようにとのご指示を仰せつかりましたので、今からバッキバキに仕上げさせていただきます」
「がんばりまぁす!!」
「私の仕事をその目に焼き付けなさいよ!!」
「わ、わかりましたぁ! お姉様!!」
《キャ――――!! 出入り禁止の皇宮登城イベントきた―――!!!》
「…………」
尋常でないやる気のアネモネ組に、神の上機嫌な雄たけびを聞きながら、さすがにめまいがした悪女ベアトリーチェは「無理、ちょっと寝かせて……」と満身創痍のラザロのように返すことしかできなかった。
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