26★僕は君とは結婚できない
「ご無事ですか!? ラザロ・サチェルドーテ高位神官!!」
応接間の扉が、ノックもなしに勢いよく開かれる。
飛び込んできたのは、淡く爽やかなペールグリーンの長髪をひとまとめにした20代前半くらいの男性。
手には、診療道具が入っているであろう鞄と、なぜか《鞭》。ムチ?
しかも、馬用。
王子のようにさわやかで、甘い顔をした垂れ目の男性は、親の仇を見る様な鋭い目線でベアトリーチェをきつく睨むと、ぽかんと口を開けているラザロを目にし、そう叫んだ。
「――は、ハーレクイン卿っ?!」
どうしてこちらに、と、ベアトリーチェではなくラザロが反応する。
「……どうしても何も、僕はスカーレット卿に呼ばれてきたのです」
娘が倒れ、高位神官を呼んでほしいと言われたが、心配なので君にも見てもらいたいと。
心底嫌そうな顔でそう続けるハーレクイン卿に、ベアトリーチェは「――なるほど。謎は全て解けた」と言わんばかりに瞳を光らせた。
つまり、過保護な父ダリ・スカーレットが、娘の一大事に高位神官だけでは不安だと、若くして医師の資格を持つ天才《ルカ・ハーレクイン卿》を呼んだらしい。
しかし、それをふまえても冒頭の「ご無事ですか、ラザロ神官」の意味が分からない。
ハーレクイン卿は、優しげな顔立ちとは裏腹に、ひどく冷たい目でベアトリーチェを見た。
「――お久しぶりですね、スカーレット嬢。お元気そうで何よりです」
「……えぇ、そちらも息災の様で」
わたくしがお元気そうでいたことが《罪》であるかのような、呆れかえったと言わんばかりのぶしつけな視線。
帝国を支える三大公爵家の一つ。
翠亀の紋章であり《帝国の医療》ハーレクイン公爵家。
その嫡男であり、21歳の天才医師・ルカ・ハーレクイン卿。
その天才が、ウジ虫を見るかのような瞳でベアトリーチェを見てくる理由はただ一つ。
過去、ベアトリーチェが幼少の頃。
帝国の催事で父に連れられて参加したパーティーで初めてルカ・ハーレクイン卿を紹介され、そのあまりの王子様っぷりに胸をときめかせて、一時期「王子様!」としつこく追いかけまわした所業にある。
誰に対しても紳士的で優しかったルカは、次第にベアトリーチェだけにつらく当たるようになった。
理由はわからないが、彼のベアトリーチェの行動が彼の逆鱗に触れたらしい。
何度も怒鳴られ、毛嫌いされるうちに、自然と彼から離れ―――そして、今は皇帝陛下であるダンテに夢中になってからは、見ることも少なかった。
しかし、ベアトリーチェの悪行はしっかり彼の耳にも届いていたらしい。
おそらく、男狂いのベアトリーチェが仮病で高位神官を呼び出し、ふしだらなことをするとでも疑われたのだろう。
「ハーレクイン卿。その、ムチは何です……?」
ベアトリーチェとルカ。
一触即発の空気の中、どうしても鞭の存在が気になって仕方なかったらしいラザロが、ごくりと息を飲みながら意を決したように指摘する。実に、素直な男だ。
「あ。これは……」
ルカが、ちらっとベアトリーチェをみる。
「その――何かあった際の、護身用で………」
こいつ。
馬用の鞭を、わたくしに使おうとしたわね。
《やば。コイツ、アンタに鞭つかおうとしてたんじゃん》
「こっっっっわ……」
《ラザロ、心の声が声に出ちゃってるわよ!!》
「ち、違います!! あくまで、護身用で、そんな……!!」
《神の声》は聞こえてないらしいルカが、額に汗をにじませながらラザロに弁明しようとしているが、「そこはわたくしの眼をみて弁明してほしかったですわね」とも思うが、もう正直どうでもいい。
一応、横目でラザロを見てみると結構ガッツリとドン引きしていた。
それこそ、神が俗っぽい事を口にした以上に、顔に「やべぇ奴じゃんコイツ」と書いてある。
そして、ラザロはベアトリーチェの方を見―――「この男と令嬢を二人きりにしたらマズイ」と、言わんばかりに目を見開き、次の瞬間には神官の顔で――やや口元をヒクつかせてはいたが。ベアトリーチェとルカの間に割って入る様にして「あ~~…せっかくご足労頂いたようですが、令嬢は私が治療いたしましたので、ハーレクイン卿もひとまず今日は私と帰りませんか?」と、ルカの手をガッと掴んだ―――その時だ。
ドサッ!!
バラバラ………
ルカの手から診療道具の入ったカバンが落ち、床に激突した衝撃で中身が飛び出す。
その中には、縄。
麻酔用の薬。
注射器。
拘束具(手首用)。
拘束具(体幹用)。
「……は、ハーレクイン卿……!?!!」
数秒間。
応接間の時が制止したかと思うと、ラザロの顔が劇画調になり「テメ……お前、マジか??! マジもんのマジなのか……?!?!」と化け物をみるような目でハーレクイン卿を見、ヘラとウォルターは親子そろって悲鳴を飲み込みながら両手で口をおさえ、神は《おっ! 本物のサイコパスド変態じゃん!!》と口笛を吹き、ベアトリーチェは「思った以上に嫌われていたな……」と後方で腕を組みながら、恋愛小説にあるまじき《地獄絵図》を静観していた。
「ち、違います!! 令嬢の現状が把握できなかったので最悪の事態に備えようと――!!」
「そうでしたか。ですが、それらの備えは不要のようですね。ハーレクイン卿」
尚も誤解だと言い募ろうとするルカに、ベアトリーチェが落ち着いた声で制す。
「このように、今はラザロ高位神官様のおかげでピンピンしております」
なので、本日のところはお引き取りくださいと、ベアトリーチェが美しいカーテシーを披露し、流れるように退室を促したところで、その場にいた全員が意識を取り戻したかのように「そうですな、では出口へご案内しましょう」とウォルターが動き、ヘラも凄まじい動きでルカの診療鞄にばらばらになった物品をぶち込み、ルカに押し付けるように手渡す。
「それでは、令嬢! また後日お伺いします!」
「えぇ、わざわざご足労感謝しますわ、ラザロ高位神官様」
ベアトリーチェの機転にラザロも正気を取り戻したらしく。
犯罪者の腕を掴む警察官のような気迫でルカの腕をしっかりと掴んだ上で、彼を引きずる様にして足早にウォルターの背に続こうとした。
「――――まってください、ラザロ様!!」
応接間から出ていこうとするラザロを、全身で引き留めるルカ。
振り返ったラザロの顔が「帰るっつってんだろこのボンボンがよぉ!!」と貧民街顔になっていたが、ベアトリーチェが「ラザロ! 落ち着きなさい!!」と目線だけで威圧すると、むぐぐっと口を噛んで耐えていた。
相変わらず見かけによらず面白い男だ。
「………まだ、何か御用が? ハーレクイン卿」
「スカーレット嬢。ちょうどいいので、この場ではっきりさせていただきます」
ルカは、ラザロに腕を引っ張られながらも、殺人者を射抜くような鋭い目線でベアトリーチェを見据え、息を吸った。
「………ベアトリーチェ・スカーレット嬢。僕は、あなたと《婚約》する気は毛頭ありません」




