17☆薬師エミリー・ウォルナットの転機《後編》
「お前は、ここに常駐している薬師なの?」
かけられた言葉に、胸の奥がすっと冷える。
「――あ、いえ……」
思わず、視線が下に下がる。どんな顔をしていいかわからない。
「……私は、薬師ではなく、ただの売り子で……」
「そんなに良い腕を持っているのに?」
「わ、私は女なので……本当は、処置もしてはいけなくて……」
「ふうん? 日常的にしているのかのような手際のよさだったけど?」
言いながら、ベアトリーチェは「薬草の扱いに慣れているようだし、薬品の組み合わせにも迷いがない。事前にわたくしの手の状態をよく観察していたし、薬局内にある既存の薬液と手持ちらしい薬草もすり合わせて調合する姿は、かなりの手練れのようにみえたけど?」と饒舌に語り出したのに、呆気にとられる。
見てくれていたんだ。ずっと。
そのことに、ぽっと頬が赤らむ。
「あと、その《女なので》というのはどういう意味かしら?」
「あ……その、この国での調合は基本《男性》しか扱えないのです。女性は、その、《月の穢れ》があるので……」
「……はぁ?」
明らかに令嬢の美しい顔が歪む。
重みのあるその声にびっくりしてきゅうっと口をつぐむと、「あぁ、悪いわね。ついね……《穢れ》ねぇ……その割に聖女性を女性に求めるのだから……」と何やらぶつぶつ呟いている顔が怖い。
「あ、あの~……?」
「では、この棚に並ぶ不純物の多い薬は、誰が作ってるの?」
「え? ……ええっと、こちらは全て神殿に付属する調剤所で……なぜ、不純物が多いと……?」
「どう考えても《聖水》ベースでできていないわ」
そういうとベアトリーチェは立ち上がり、近くにあった陳列棚に手を伸ばすと、薬瓶を手に取る。そして目の高さまであげると、ふりふりと左右に薬瓶を振りながら、厳しい目線でその内容物を見つめる。
「薬液を作るなら聖水をベースにしてつくるか、なければ精製水を使う。使用した水の不純物が多いと有効成分がうまく混ざり合わず、薬効をうまく発揮できない。更に、薬の組み合わせによっては時間がたてばたつほど水と油のように分離してしまう」
ベアトリーチェがもつ薬瓶の中身は、わずかに分離しているようだった。
「――これは、聖水でない水を混ぜ、薄めてつくっている」
「さ、さすがです」
「ということは気づいていたのね」
ベアトリーチェの射抜くような目線に、エミリーはまたびくりと肩を跳ねる。そう、不純物の多い薬だとわかっていても、売らざるを得なかったのだ。
つまり、私も《共犯者》。
「何度か申し上げましたが……カッシオ様が「女は口を出すな」と……売る相手も薬をよくわかっていない上流階級の者にしか売らないようにと価格をわざと吊り上げていましたので………本当に必要とされている方には、こっそり私がつくった薬をあげていました……その、母が《薬師》だったので……」
「お母様譲りの腕なのね」
氷のようにひどく冷たい目線で失神したままの男を一瞥していたベアトリーチェの瞳が、興味深そうにこちらを見る。その視線から目をそらしながら、手を握り、エミリーは口ごもる様にぽつぽつと話し出す。
「……小さい頃の話でしたので、母の姿は……うろ覚えですが……でも、結局、母は《魔女》と呼ばれて……」
幼い自分にはよくわからなかったが、神官よりも上質な薬剤を作っていたらしい母は、ある日突然、いわれのない罪で投獄された。そして、それを父が不当だと抗議して投獄した貴族の元へ行き――結局、二人とも帰ってくることはなかった。
そこから自分は孤児になり、孤児院へ引き取られたのだ。
「――そう」
話を聞き終えたベアトリーチェは、怒りを堪えたような、深い悲しみを感じているかのように暗い表情だった。
「つらい話をさせたわね」
「いえ……!! その、むしろ私なんかの話を真剣に聞いてくださりありがとうございます!!」
慌てて明るい声を作るも、まだベアトリーチェの表情は晴れない。その姿に、つい「ベアトリーチェ様は、噂とは異なる御方なんですね……」とこぼしてしまった。
「うわさ?」
「あ、えっ、と……その……」
「ふふ、わかってるわ――私は《有名人》のようだから」
「そ、そういう意味では……ッ! その、私のような下民に、お傷の手当てをさせてくださるなんて、光栄です!!」
ありがとうございます!! と立ち上がり、一番伝えたかったことを叫ぶように言いはなつ。
「未熟者ですが、ベアトリーチェ様にお褒め頂いたことを誇りに……! 今後も精進させていただきます!!」
「……そう。そういってもらえて、わたくしこそ感謝するわ」
やっと、ベアトリーチェの顔に穏やかな笑顔が戻る。ほっとしていると突然目の前に、ドンッッと大きな麻袋が、受付台に置かれた。
人の頭分はある大きさだ。
なんだろう。人の頭だろうか―――なんて、気が狂ったような事を考えていると「これは駄賃よ」と言われて、飛び跳ねた。
「貴重な情報もありがとう。あぁ、あとこれは別途インセンティブね」
言いつつ、ドドンっと更に一回り大きな麻袋を横に連続して置かれる。
むしろ、こんな質量の金をどこに隠し持っていたのか。そして、なぜそうも軽々と持ち上げられるのか―――現実離れした光景に思考が停止していると、令嬢が麻袋から手を離す。
「これで、眼鏡と破れた衣服代はまかなえるかしら?」
手を離すと、麻袋の口がゆるんで中身がみえた。そこに見えるのは眩いばかりの、金。金と、金。
ぱっと見ただけで、眼鏡と服どころか、一生遊んで暮らしても釣りが出そうな額だ。
「―――い!! いただけません!! こ、こんなに!! だめです!!」
「初診料と処置代よ、技術料含めたら適正価格だろうから気にしないで」
言いつつ、令嬢は「あぁ、あとこの男も頂いていくわね」といまだ意識を失ったままの店長の頭をハイヒールでゴリっと踏んだ。その目線はまるで肥溜めを見ているかのよう。「護衛騎士を呼んで運ばせるか……」と、その細腰に手を当てて考えている令嬢に、恐る恐るエミリーは話しかける。
「か、カッシオ様を………どう、されるのですか……?!」
「え? この男はレディに暴行を働こうとしていたのよ?」
重罪でしょ?
その顔は清々しいほど美しかった。
「か、かっこいい……」
「エミリー・ウォルナット」
「は、はい!!!」
「その金でわたくしはこの《店》と、《エミリー》を買い取るわ」
「え………?」
言葉の意味をうまく理解できなかったエミリーが、呆然とベアトリーチェを見つめていると、ベアトリーチェはそのマスカット色の瞳を猫のようににんまりと細めながら、楽しそうに「今日から、お前が、この店の《店主》よ」とわざと言葉を区切りながら指さした。
「その素晴らしい腕を存分に発揮しなさい。足りない金があればスカーレット家まで来なさい」
三大公爵家の名にかけて、惜しみない支援をすると誓うわ。
その言葉を聴いて、内容を理解した途端、全身が震えた。
そして、どうしようもないくらいに、涙が溢れて止まらなかった。
親を亡くして以来、ずっと《夢に出てきた彼女》の声の温度と全く同じだったから。
『あぁ、お前の手は緑の手なのね………素晴らしい手だ』
しわくちゃの細い指先が、愛おしそうに自分の小さな手を撫でる。薬草ばっかりいじって、泥と緑の汁に塗れた自分の手を綺麗だと褒めてくれる優しい声。
顔を上げると、虹色の瞳をしたおばあさん――大聖女様が、嬉しそうにほほ笑んでいた。
『エミリー、お前は素晴らしい薬師になれる。夢を忘れず、走り続けなさい』
その先の幸せを、わしが祈り続けよう。
夢の中でしか会えない《大聖女》様。
私は夢の中で、素晴らしい薬師になれたけれど、大好きな大聖女様の寿命を延ばしてさしあげることはできなかった。
「ありが、とうございます……!」
頑張ります……全身の震えが止まらないエミリーの頭にぽんと優しい手が乗り、「お前はもう、十分がんばっているわ」との優しい声が降る。
「よくここまでがんばったわね」
温かい手。ぼろぼろと零れ落ちる涙がとまらない。
今度こそ、私を認めてくれた人のために全身全霊を尽くそう。薬草で緑に汚れた手を握りしめながら、エミリーはそう心に誓った。
★★★
スカーレット公爵家の門が勢いよく左右に開かれる。
「帰ったわよ」




