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16☆薬師エミリー・ウォルナットの転機《中編》


「リリィ・ハルモニア様が帝国に来られたのは1年ほど前です」



 令嬢の右手の火傷に、遮光瓶の中から取り出した網目状のレースのような薄い生地を慎重にのせながら、エミリー・ウォルナットは語りだす。



「元々は《聖ハルモニア王国》の王女様だったそうです。聖ハルモニア王国は同じく1年前に大きな震災があり……王国全土は壊滅的な被害。国民のほとんどが死傷したそうです」



 薬液が()みませんか? と令嬢の顔をうかがうも、令嬢は「えぇ」とだけ答えて、「それで?」と話の続きを促す。



「噂によると、リリィ様はその震災の唯一の《生き残り》だそうです。聖女様でもあるリリィ様は、震災の日。偶然もスペクトル帝国に貴賓として訪れていたそうで、被災せずにすんだそうです。そして、神殿の高位神官である《べッファ様》は身寄りをなくしたリリィ様を(おもんぱか)り、皇帝陛下に直訴し、今は帝国の神殿預かりで過ごされていらっしゃると聞きます」



「そう……それで、聖ハルモニア王国はどうなったのかしら?」



「それは私にはよく……噂では、帝国の新たな領地として皇帝陛下が開拓に着手されていると。………あ、ですが、これは全て正式な発表ではなく、あくまでも噂なので……!! 聖ハルモニア王国はここからかなりはなれた国ですし……だからこそ、皇帝陛下が王女であった聖女リリィ様と婚約し、正式に帝国の領地にするのでは、とも言われていますが……」




 あくまでも、噂の域を出ないという事ね、とベアトリーチェが嘆息し、厳しい顔をする。




「では、彼女はあくまで貴賓であり、《帝国の聖女》として活動している訳ではない、ということ?」


「そうですね。元々他国の王女様ですし、神殿預かりになっているので基本神殿から出てこられることはありません。たまに、神事の際にベッファ様の背後に立たれているのを目にしたことがありますが……」



 遠目で良く見えなかった。

 美しい銀色の髪の毛をされていたのは覚えているが、《聖女様》は思っていた印象と違っていたな、という第一印象だった。


 曖昧な反応を返すエミリーに、ベアトリーチェは穏やかに、「高位神官は、そのベッファという者だけ?」と話を続ける。



 穏やかな空気だ。

 あれだけ恐ろしい噂を立てられていたとは思えないほど、スカーレット公爵令嬢は気品あふれる優しい口調でエミリーに話しかけてくれる。


 まるで、春の日差しにめぐまれた貴婦人のお茶会の様。


 古びた薬局内で、目の端に大の男がひっくり返って失神しているとは到底思えない空気感がそこにはあった。



「いえ、帝国にはお2人の高位神官様がいらっしゃいます。大神官様が亡くなられた後は、そのお二人が活動されておりますが、聖女様をみられているのはベッファ様で、聖水の精製をされたりするのが《ラザロ高位神官様》です」


「ラザロ……?」



 その名前に、ぴくりと令嬢の美しい眉が吊り上がる。

 ご存じでなかったのだろうか。確かに、帝国で有名な神官といえば、《外交担当》で主に前にでてくる《ベッファ》様だ。自分と同じような茶髪で穏やかな御顔立ち。目が細いのか、常にほほ笑んでおられる印象だ。


 対して、《ラザロ》様は硬質なイメージが強い。

 プラチナブロンドに、四角い眼鏡をかけている。冷たくて、話し方もそっけない印象だ。しかし、神聖力はずば抜けており、この方が高位神官となられたおかげで薬品が多く調剤されるようになった。



「その二人にはどうしたら会えるかしら? 神殿に行けば会えるの?」

「………お二人ともお忙しい印象がありますが、ベッファ様なら、うーん……」



 エミリーがうんうんとうなりながら清潔な布をのせ、丁寧な手つきで包帯を巻く。その様子をじっと見つめながら、ベアトリーチェが「……神殿は、祈りの時間などで解放されていないの?」と尋ねてくる。



「最近は物騒ですから、高貴な方々しか神殿への出入りは禁じられています」

「高貴な方々ねぇ……」


 

 なので、街の人々は祈りの時間になると神殿の方向へ向かって祈りをささげるのだとか。

 エミリーの言葉に「だから神殿前に民が集っていたのね」と納得したようにベアトリーチェが一人呟く。


 

「……なるほどね。ところで、話は変わるけど。先ほど創部に張り付けたのは、網目のレースに薬液をしみこませていたモノかしら?」

「さ、左様でございます!」



 包帯を結び「これで完了!」と安堵したタイミングで声をかけられ、エミリーの声が裏返る。得体のしれないものを使われた、と疑われたのだろうか。背筋に冷たい汗が伝う。



「きゅ、……吸水性の高い糸を、網目状に編んで薬液に浸しておりました! 試作品ですが、この方が長く消炎鎮痛効果が持続するかと思いまして……あっ、でも編んだ後にちゃんと聖水につけて消毒をおこなった上で薬液に浸しておりますので……毎日の交換が必要ですが…その………」



「糸を編んで? 自分で編んだの?」


「えっと、はい。裁縫が得意で……編み物から発想を得まして……」


「………」



 令嬢がきょとんと瞳を見開かれている。


 あ、綺麗。

 零れ落ちそうなキラキラとした瞳。太陽の光を浴びた薬草の新芽の輝きに近いその瞳は、思わず手を合わせたくなるほどの尊さを秘めていた。


 なんだろう。胸がどきどきする。

 聖女様を目にした時よりも、もっと内側が温かくなる気持ち。見惚れていると、ベアトリーチェがふっとほほ笑んだ。その顔に、一瞬何かを思い出しかけたが。




「お前は、ここに常駐している薬師なの?」



 かけられた言葉に、胸の奥がすっと冷えた。

更新遅れてすみません。嘔吐下痢しておりました。健康第一で頑張りたいです。

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