第1話 雨の夜の出会い
雨がしとしとと降り続く夜、古びたバーのカウンターに一人の男が腰を下ろしていた。
島津 仁。彼の無愛想で冷たい表情は、周囲の喧騒を一切寄せ付けない冷たさを漂わせている。グラスの酒をあおりながら、ただ一人静かに飲んでいた。
店内は、酔っ払いのざわめきと酒の匂いで満ちている。常連たちはくだらない話に興じ、時折大声で笑い合う。その中、ジンはまるで周りの騒がしさを気にも留めず、ただグラスを傾けていた。
「おい、見ねぇ顔だな。」
隣に座っていた男が、酔いの回った声で絡んできた。ジンは一瞬だけ男に視線を向けるが、すぐに興味を失ったようにグラスへと目を戻す。
「なんだ、無視か?」
男の声に苛立ちが混じり始める。しかし、ジンは無関心を装い、ゆっくりと酒を口に含むだけだ。
「おい、聞いてんのか?」男はさらに声を荒げる。
ジンはため息をつき、面倒くさそうに肩をすくめ、ようやく口を開いた。
「ああ、聞こえてる。そりゃ、うるさいくらいにな」冷たい言い方で応じ、またグラスを置く。その態度には、一切の興味や感情が見られない。
「お前俺に喧嘩売ってのか?」
男の顔が険しくなる。
ジンは視線を男に向けるが、表情を変えることなく
淡々と言い返す。
「お前に教えといてやる。話しかけた人間が無視する時は、俺に関わんなって意味だ。分かったならさっさと向こう行ってお仲間さんと馬鹿騒ぎしてろ」
その一言で、男の顔は真っ赤に染まった。勢いよく
ジンの胸ぐらを掴んで、ぐいっと引き寄せる。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ!てめぇ!」
ジンは胸ぐらを掴まれたまま、冷静に男を見据えたまま立ち上がる。相手より一回り大きな体で、無言で見下ろす。その瞳には一切の恐れも焦りもなく、ただ冷酷な光が宿っていた。
「手を離せ、二度は言わんぞ」低く淡々とした口調だが、その言葉には凄みがある。
しかし、男はその忠告を無視し、拳を振り上げる。その瞬間、ジンの目が鋭く光る。振り下ろされる拳よりも速く、ジンの拳が男の顔面に直撃した。
「…っ!」
鈍い衝撃音とともに、男は胸ぐらから手が離れ、後方へ吹き飛ぶ。カウンターの後ろへと転がり落ち、店内が一瞬の静寂に包まれる。
ジンは自分の皮ジャンの襟を整え、何事もなかったかのようにグラスを手に取る。冷たい視線を店内に向けるが、特に興味を示す様子もない。
「おい、やめろ!店の中で暴れるんじゃねぇ!」
カウンターの奥から店のマスターが駆け寄ってくる。彼はジンを睨みつけ、苛立ちを抑えた口調で言った。
「騒ぎは困る。他の客にも迷惑だ。もう出てってくれ」
ジンは一瞬マスターに視線を向けると、グラスの酒を一気に飲み干し、カウンターにグラスを静かに置いた。
「ああ、分かったよ、悪かったな。」
淡々と店主に謝り、ポケットからくたびれたお札と小銭を取り出してカウンターに置く。
ジンが店を出ようとドアノブに手を掛けたその瞬間、
背後から荒い息遣いとともに鋭い声が響いた。
「おい、待てよ!仲間をやっといてタダで帰れると思うな!」
さっきの男の仲間らしき別の男が、険しい表情し、
手にはナイフを持っていた。
店内が再びざわつき、周囲の客たちは一斉に距離を取って仁たちを見守る。
ジンは振り返り、その場に立ち尽くしていたが、冷静に男を見つめて特に動揺する様子もなく、表情を変えなかった。
「そんな物しまえ、脅しか知らんがどっちにしろ俺には何の意味もない」
ジンは軽く呟くが、男はそれを嘲笑と捉え、勢いよくナイフを仁の腹部に突き立てた。
店内が一瞬静まり返り、息を飲む音だけが響く。
「調子に乗りやがって…お前みたいなやつ、黙らせるにはこれが一番だ。」
ナイフを刺したまま男は、ジンを睨みつけたが、刺されたはずの仁は表情を微塵も変えず、無言で男を見据えていた。
ジンは刺さったナイフを男の手ごと掴み引き抜いた。
刃が抜ける際に血が滲んだが、傷口はすぐに塞がり、まるで何もなかったかのように元通りになった。
ジンが男の手を離すと「な、なんだ…?」ナイフを持った男は驚愕し、仁から後ずさりしながらその様子を見つめた。
「言っただろう…その程度じゃ、俺には何の意味もないんだ。」仁は低い声で淡々と言い、冷徹な光を宿してその場を後にした。
外に出ると、雨は相変わらず降り続いている。ジンはタバコに火をつけ、濡れた路地を歩きはじめた。
ジンの背中には、どこか重い疲れが滲んでいた。そして、そんな彼の前に、突然一人の少女が駆け込んでくる。
「助けて…お願い…」
彼女の震える声に、ジンは歩みを止めた。
ジンが振り返ると、少女の震える目が彼を見つめていた。年は9歳ほど目鼻立ちはくっきりし綺麗な黒髪で、可愛らしいカエルのポーチをかけていた。雨に濡れた髪が頬に張り付き、恐怖に怯えた表情が際立っている。
「追われてるの…お願い、助けて…」少女の言葉は、雨音にかき消されそうなほど小さかった。
仁は周囲を見渡し、少女の後ろに立つ遠く人影を見つけた。
ゆっくりとこちらに近づいてくるその男は、異様な存在感を漂わせていた。濡れたコートの下から浮かび上がる隆々とした筋肉と、古傷で醜くなった顔から不気味に光る瞳。何も語らないが、その圧倒的な威圧感がジンを射抜く。
「チッ…面倒だな…」ジンは小さく舌打ちし、少女に目をやる。
「ここにいろ、絶対に動くな」
低く冷たい声でそう告げると、ジンは男に向かってゆっくりと歩み寄った。雨の中、ブーツが水たまりを踏むたびに、微かな音が響く。
男と対峙したジンは、厳しい目つきで相手を睨む。自分より一回り大きい体から、醜い傷跡残る顔で見下ろしている無表情さに不気味さを感じながらも、仁は静かに口を開いた。
「お前、あの子に何の用だ?」
傷の男は一切の反応を示さない。ただジンを見つめるだけだった。その無言の態度が、かえっての苛立ちを増幅させた。
「おい、聞いてんのか、――」
ジンの言葉が終わるよりも早く、傷の男が突然ジンの腕を掴んだ。そして信じられないほどの怪力で投げ飛ばす。
「っぐあッ!」
ドゴォンッ!!
ジンの体が宙を舞い、激しい勢いで路地の壁に叩きつけられた。鈍い衝撃音が雨音をかき消した。
常人ならば重症を免れない衝撃に、少女は息を飲み、恐怖で動けなくなる。
男は無言のまま少女に向き直る。彼女の全身は恐怖で目を見開いたまま後ずさるが、壁に追い詰められてしまう。
「や…やめて…」
少女の声は、震えで掠れ、ほとんど音になっていない。彼女の体は恐怖に凍りつき、声を出すことすらままならない。
男がその手を伸ばし、少女を掴もうとしたその瞬間――
「おい、おい、ビックリさせんじゃねぇよ…」
ジンが立ち上がった。服は泥にまみれ、頭から血が流れ落ちて、首筋からシャツへとじわりと染みている。男は一瞬動きを止め、ゆっくりとジンの方へ視線を向け、不思議そうに首を傾げた。
ジンはそれを確認すると、首に手を当てて、顔を傾けて軽く鳴らす。ゴキッと音が響き、彼の目に鋭い光が宿る。
「チッ!やりすぎだろ…」
その異常な力と冷たい目に、ジンは無意識に舌打ちした。直感が、この男がただ者ではないことを告げていた。
ジンはゆっくりと少女の方へ振り返り、低い声で言った。「嬢ちゃん、ちょっと離れてな。」少女は怯えた表情を見せたが、素直にうなずき、少し離れた場所に身を寄せた。彼女の瞳には、恐怖と不安が浮かんでいる。
ジンはその様子を一瞥すると、再び男へと視線を向ける。冷静に構え、相手の動きをじっと見据えた。男は無言のまま、不気味な笑みを浮かべながら仁に近づいてくる。
「しかしお前、ひでぇつらだな――」
しかし、ジンが言い終わる前に、突然突進し、傷の男の拳が飛んできた。
ブン!!!
ジンは素早く上体を傾け、間一髪で男の拳をかわす。
そして、そのまま体をひねりながら繰り出した拳が、傷の男の顎に直撃し、鈍い音が響く。
ゴン!
しかし、傷の男は少し顔が上を向くが動じる様子を見せず、冷酷な目で仁を見据えている。
「チッ…!どうなっても知らんぞ。」ジンは舌打ちし、次は本気で傷の男の顔面に拳を叩きつけたーー
ドン!!
と重い衝撃とともに傷の男は壁まで吹っ飛んだが、ジンの拳にも鈍く痛みが走った。
ジンは右手を見ると指がいろんな方向に折れて曲がっていたがあまり気にせず男に冷静問う
「あの子を追う理由は何だ?」
だが傷の男はなにも聞いてなかったように、立ち上がった。
「俺に関わるなってか?」次は傷の男の顔面に折れてない方の拳を鋭くを叩き込む。
だが、その瞬間、傷の男はジンの腕を掴んだ。
鋼のような握力がジンの腕を締め付ける。「クソ… !」ジンはもがこうとするが、男の握力が一気に締め付けられ――
バキッ…バキバキバキッ…!
ビスケットとのように、ジンの腕の骨が折れていく。激痛が全身を駆け巡り、彼は一瞬顔を歪めるが、叫び声を上げることなく耐える。傷の男は無言のまま、
ジンを両足を掴み持ち上げ、まるで団扇を扇ぐかの如く地面に叩きつけた――
バチッン!!
とジンの体が地面に打ちつけられ、鈍く生々しい音が響き、頭から血が流れ出す。ジンは目の前が歪み、体が鉛のように重くなり、意識が遠のくのを感じていた。
そして、動かなくなったジンを見つめる傷の男、その瞳には何も写っていないかのような、冷たい眼差しをしていた。
しかし、その時、ジンの折れて変形した腕がかすかに動く。彼の腕の骨が少しずつ、まるで内部から修復されていくかのように「ギシ…ギシ…」と音を立てながら形を取り戻し始める。
ジンは仰向けのまま、低くつぶやいた。
「死ぬかと思ったわ」
その声は冷静で、痛みをものともしていないかのようだ。徐々に骨の痛みが和らぎ、腕が何もなかったように元に戻っていった。
ジンはゆっくりと立ち上がり、男を鋭く睨みつけた。その瞳には、冷静な自信が浮かんでいる。