オマケ-2/バレンタインデー
多くの男女が心ときめかせるバレンタインデー。
意中の相手に思い切ってチョコレートを渡そうと、昂揚感やら緊張感にドキドキしているコもいるに違いない。
「寒い日の残業終わりの鍋って最高過ぎる」
「ニンニクが絶妙に効いてるね」
バレンタインデーの夜、付き合っているアラサーリーマンカップルの野宮と久世はあっさり塩スープのモツ鍋をがっつり食べていた。
「久世サン、チョコもらったの?」
マンション二階の野宮宅にて。
一本目の缶ビールをそれぞれ空け、お次はロゼ、歯応えのあるモツやらニラやらもやしやらをハフハフ食べながらコタツでまったり飲み交わす。至福の晩酌タイムだった。
「ウチはそういう雰囲気じゃなくて。本社に異動になってからはもらったことない」
「あ、じゃあ前のとこではもらってたんだ? 何せ久世サンだもんな、さぞいっぱいもらったんだろーなー」
「そう言う野宮さんは今日どうだったの」
「あーー……」
「もらったわけだ」
二人で選んで購入したペアグラス。その中でゆらゆら波打つバラ色のお酒。新調したばかりのコタツカバーはネットストアでどれにしようか野宮が決めかね、久世に決めてもらって買ったものだった。
「やばいよ、久世サン、このモツぷりぷりしすぎ」
「いくつもらったの?」
「あ、まだその話題続くかんじ?」
「自分から振ってきたくせに」
三階の自宅へ帰らずに野宮宅へ直行した人事課リーマンの久世、ネクタイを締めたまま無地のセーターを腕捲りし、華奢なグラスを緩やかに傾けた。
「えーと、七つ、もらいました」
総務リーマンである野宮、下だけスウェットに履き替え、ワイシャツの裾をウエスト部から不格好に食み出させていた。
「七つも?」
「総務もだけど広報とか、みんな律儀に配ってくれるんだよ」
「ふーーーーーーーーん」
コタツの向かい側でやたら長い相槌を打った久世に、内心、野宮は大いに照れた。
(久世サンってば、やきもちやいてる、へへへ……)
「だけどさ、バレンタインデーにモツ鍋食うって色気ないよな」
内心、有頂天になっている野宮の言葉に久世は首を傾げてみせる。
「そうかな」
「だってバレンタインデーって言ったらチョコだろ。ケーキでもいーけど、甘いお菓子が定番じゃ? それなのにモツ鍋ガツガツ食ってる」
久世は取り皿にとっていた脂身たっぷりの白モツを一つ、おもむろに箸で摘まみ上げた。
「へっ?」
無言で顔の前に差し出された野宮は目を丸くさせる。
「あーん」
そう言われると、鍋の熱気で火照っていた頬をさらに紅潮させ、素直にぱくっと食べた。
「モツの方がすけべだと思う」
「ぶはッ」
野宮は口の中に入れたばかりの肉片をつい吐き出した。粗相が過ぎる恋人に久世は呆れるでもなく笑う。テーブルに転がった肉片を指先で摘まむなり、自分で食べてしまった。
「あ!」
「ん。コリコリしていて、食べ応えがあって、ちょっとクセはあるけど栄養価も高くて夢中になる。そんな自分は肉食動物なんだって実感しない?」
「し……しない……そんなこと言う久世サンがただ単にすけべだって思う」
久世はまた笑った。
本当は。
今日、野宮は久世にチョコレートをこっそり用意していた。
ただ、素面で渡すのは恥ずかしくて程よく酔っ払ってからにしようと考えていた。
「今日さ、赤ワインも買ってるから、これ空いたら飲もうよ」
久世にも普段より酔っ払ってもらうつもりでいた。
「締めはどうする? ラーメンあるけど、ごはん入れて卵落として雑炊にしてもいーよなー」
「悩ましい二択だね」
「あ~~。コタツ最強」
「いきなりコタツの話?」
「もうここから出たくない。コタツに住みたい」
夜八時過ぎ、渋味が効いたフルボディの赤ワインに切り替えた二人はのんびりまったり鍋を突っつき合う……。
「んんん……?」
気がつけば零時を過ぎて曜日が変わっていた。
コタツに潜り込んでいた野宮は、寝惚け眼で頭を起こそうとし、自分を抱き枕にして寝ている久世にふにゃりと笑った。
(久世サンも一緒に寝落ちするなんて珍し……)
テーブルの上はいつの間にか片付けられていた。
空になったボトルとグラスが真ん中に一纏めにして置かれていて、暖房の効いた室内には鍋の残り香が漂っていた。
「ふわぁ……あ、そーだ……」
染め直したばかりの茶髪をしんなりさせた野宮、久世の両腕の輪からもぞもぞ抜け出すと、ビジネスバッグに入れていたチョコレートを取り出した。
今日、職場の近くの洋菓子店で帰りがけに買ったものだ。
ホワイト系の包み紙にブルーのロゴ入りリボン、笑顔の店員からそわそわしながら受け取ったチョコを寝ている久世の懐に押し込んだ。
「よし」
まだ多少酔いが残っていて頭がふわふわしている野宮は満足げに頷き、お水を飲もうとキッチンへ向かいかけて。
「どこ行くの」
寝ていると思っていた久世に呼び止められて目を丸くさせた。
「あ……久世サン、食器とか片してくれてありがと」
「うん」
「水、持ってこよーか?」
野宮の問いかけには答えないで、横になったままの久世は懐に押し込まれていた長方形の箱を掲げてみせる。
「僕にくれるの?」
「……はい、そーです」
「まさか七つもらった分の一つ?」
「は? 違うよ? 俺がちゃんと買ったやつ」
「ありがとう」
「……どーいたしまして」
「こんなところに入れたら溶けちゃうよ」
久世はチョコレートの箱をテーブルに乗せると中腰になっていた野宮を手招いた。
手招かれた野宮は、もぞもぞ、また久世の両腕の輪の中へ向かい合う姿勢で戻った。
「うん、やっぱりこっちがいい。紘の方がチョコより甘くておいしい」
「……凛一、飲ませ過ぎちゃったかな、ごめん」
手触りのいいセーターに片頬を埋めていたら両手で顔を挟み込まれて、ゆっくり、上向かされた。
「紘もチョコみたいに溶ける……?」
日々何やかんやで付き纏う仕事のストレスやら疲労感を忘れて二人はキスした。
幾度となく口を開閉させ、互いに角度を変え、アルコール摂取で渇いていた唇を濡らし合った。
「……ニンニクくさ」
「たまにはこういうキスもいいんじゃない?」
「うん……もっと……」
「ねぇ、その前に」
「ん……? なに……?」
「紘がもらったチョコレート全部見せて?」
「え」
「気になるから七つ全部見たい」
「え~……もうお菓子入れに直したし……」
「ああ、お菓子入れに……ふ……かわいい……今の、もう一回言ってみて」
「お菓子入れに直したし」
「かわいい」
食い気味に惚気を連発して久世は野宮をぎゅうぎゅう抱きしめた。
「凛一、コタツがグラグラしてグラスが倒れそーです……」
「僕の紘はかわいいね……ぜんぶかわいい……」
(相当酔っ払ってるみたいだ……。飲ませた手前、ちょっと悪い気もするけど……)
「Sっぽい凛一もいいけど、隙があって甘えたがりな凛一もいーなー……」
(この久世サンゾーン、最高すぎて、本当に溶けそーだ)
さすがに二人くっつくと狭く感じるコタツ。野宮は自分の腹に抱きつく久世の黒髪を撫でる。いつも甘えさせてもらっている恋人を甘やかした。
「この凛一、きゅんきゅんする……ギャップ萌え……」
本当は。
ざっと後片付けをして水も小まめに飲んでいた久世はそこまで酔っ払ってはいなかった。
懐にチョコを押し込んできて「よし」なんて口にした野宮が愛しくて仕方なく、どうしようもなく底抜けに甘え甘やかしたくなって、酔っているフリをした。
「凛一、いいこいいこ……すンごい好き……」
(アラサーにもなって、バレンタインデーにチョコをもらって、こんなにも嬉しくなるなんて)
今日だけは存分に甘えさせてね、僕の紘……?
冬の寒さがしぶとくしがみつく二月の深夜、溶けかねない勢いでぬくぬく甘え合う二人なのだった。