デートと言う名の
瑠璃色のストレートヘアにマラカイトのような深緑の瞳。すらりと引き締まった長身。そこに纏う菫色の衣装は、慎ましくも気品の漂う石で彩られている。
私とのデートを望んだその人は、私の立ち姿を舐めるように見た後、微笑んだ。
「ふふふ、やっぱり似合うわね。次は、これを着てみてましょう」
その見目も、押しの強さも、彼女の弟そっくりだったが、笑い方だけは少し違う。
少女のように声を立てて、ほんの少し無邪気さを滲ませる笑い方。それが、ヘレンキース伯爵の笑みとはまた別の種類の断りづらさを醸し出していた。
私は、なんとなくキンモクセイを思わせるようなドレスを指先で示す彼女に、愛想笑いで返した。いい加減疲れていたが、どうにも上手くかわせない。
間もなく、取り囲む女性達に空色のドレスを脱がされ、新しいドレスに袖を通し――。
「うん! やっぱりビアンカさんにはこれくらい可愛らしいドレスの方が似合うわね!」
とても同意はできそうにないが、これでようやくお着換えごっこから解放されると胸を撫でおろし、曖昧な謙遜を口にしながらへらへらと笑ってみせた。
我ながら、何ともぎこちない気がする。
それもこれも、圧倒的に経験値が足りていないせいだ。
何せ、貴族の女性にこんな風に歓待されるのは初めてなのだから。
社交界に出てからは、社交辞令には社交辞令を、悪意にはそれなりの敵意を返してきたが、彼女にはどう対応すれば良いのか、未だに測り損ねている。だから、とっさに良い言葉が出てこない。
「次はお化粧ね。今のメイクも悪くないけど、このドレスには合わないもの」
まだ続くのですか――という言葉は、一旦飲み込む。
この言葉はきっと、何の意味も成さない。
「あのう……アメリ様。ご自身のドレスは選ばれないのでしょうか?」
貴族らしい優雅さを意識しながら、朗らかに尋ねてみたが、彼女は、「私はいらないわ。だって、あなたに会うために最高のドレスを仕立てて着てきたんだから。着替える必要なんて、見当たらないでしょう?」と、私の数段上の優雅さを見せながら答えた。
「ええ、そうですね……」
アメリ様は、にこりと笑って私に移動を促す。私も頑張って笑顔を返す。
――デートって何だっけ。
その疑念が、ぐるぐると頭を廻る。
会話を交わしているうちは、なんとか無視できた。でも、化粧台の前で口をぴたりと閉じて座っていると、頭の中でハテナが止まらなくなってくる。
アメリ様は、ヘレンキース伯爵の姉で、辺境伯に嫁いだ身の上である。常は辺境も辺境というような遠い土地で暮らしており、こちらには私的な付き合いのある友人もいない。
――という説明を受けた後、そういうわけなので姉とデートしてくださいませんか、と彼女の弟君に依頼されたことが、この謎の会合の始まりだった。
そういうわけ、というのがどういうわけなのか判然としないが、「家の秘密についてあれこれ気を回さず、お話できる女性が傍にいてくだされば、姉も寂しくないと思いますから」と、駄目押しのように付け足された。
だから私はてっきり、どこかに出掛けて、ティータイムにでも付き合わされるのだろう、と思っていた。
なのに、蓋を開けてみれば、私はヘレンキース家の屋敷の一室で着せ替え人形となっている。
一体、どういう心づもりなんだろう。鏡越しにそっとアメリ様の様子を窺うと、そのきれいな緑色の目と目が合った。
「ふふ、やっぱり可愛いわ。今から、画家を呼んで絵姿でも描いてもらおうかしら」と言った後、私を見ながらくすくすと悪戯っぽく笑って、「やっぱり温室でお茶にしましょう」と言った。
大したことをしているわけでもないのに、何だか妙に振り回されている気がする。
ひょっとすると、温室でお茶、というのも、私の思うティータイムとは違うかもしれない。
と、一応は警戒していた。
でも、警戒してどうなるものでもない。
結局私は、全ての身支度を終え温室に通された後、想像のほんの少し斜めを行く情景に足をぴたりと止めることとなった。
テーブルの上に限っては、思い描いていた通りにアフターヌーンティーの準備がされている。しかし、そこに控えていた給仕役は何故かワインボトルを持っていた。
「こんにちは、ビアンカ嬢。その装いも、大変お似合いで素敵ですね。今日はわざわざご足労いただいたので、ビアンカ嬢のお好きなワインも準備致しました。存分に楽しんでいって下さいね」
その場には、どういった訳か、ヘレンキース伯爵もいた。
私は、ヘレンキース伯爵がアメリ様の相手をできない間、彼女をもてなす役として呼ばれたのではなかったのだろうか。
それに何故、私がワインが好きだと知っているのだろう。
たしかに、パーティーではワイングラスを手にすることが多いけれど、本当に、ただ手にするだけだ。
「パーティーではほとんど口にされないでしょう? 今日はどれだけ飲んでいただいても構いませんので」
「酔ってしまったら、うちに泊っていけば良いわよ」
「それは良い考えですね、姉上」
「ふふふ」
仲の良さそうな姉弟は、そっくりな顔を見合わせてにこにこと笑っている。
なんだか恐ろしい、と思っていると、アメリ様が振り返って私の方を見た。
「ね。酔っても酔わなくても、今日は泊まっていってくれない?」
「……ありがたいお話ですが、明日は朝から仕事がありますので帰らなければなりません」
「そう……残念だわ。一晩くらい傍にいてほしかったんだけど。ビアンカさんってば、本当に可愛くって、私の思い描いていた、可愛いらしい妹そのものなんだもの」
これは、何て答えるべきなのだろう……。
考えあぐねていると、ヘレンキース伯爵が「そうですね。今日のビアンカ嬢は、一際可愛らしいです」と言って笑った。
「でしょう? 普段はキリッと振舞っているのかもしれないけど、今日はすっごくキュートでしょう?」
どう反応しよう。
たしかに、私は今、とてもキュートな装いをしているのだ。
年甲斐もなく、という程でもないけれど、なんとなく落ち着かない。
鮮やかな色も、ふんわりとしたプリンセスラインも、幼さを強調するようなメイクも、すごく慣れない。
でも、姿見を見た時、意外なくらい不調和な感じがしなかった。その鏡像を思い出して、また妙な気持ちになる。
「ふふ、可愛いって言う度に、可愛い反応するのも可愛い」
アメリ様が妖精のように笑って、私はまたしどろもどろになる。
「……すみません。慣れていないもので……」
「慣れていないって? 可愛いって言われ慣れていないってこと?」
「ええ、はい……」
「何故? こんなに可愛いのに? 恋人は褒めてくれないの?」
「……ええと、恋人、ですか……」
私が言い淀むと、アメリ様は今度はむすっと口を尖らせた。
「駄目よ、そんな恋人! 捨てちゃいなさい!」
「姉上のおっしゃる通りです。そんな駄目な男は捨てるべきです」
仲良し姉弟が、呼吸を合わせて憤慨してみせている。
私はいよいよ、どういう顔をして良いかわからなくなってきた。




