表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/139

沸き上がる感情

 執務室の端に置かれた、応接間のそれよりも一回りか二回り小さい応接セットの、その一人掛けソファに、ハルがぴんと背を張って座っている。

 私が部屋に戻ると、ハルは鋭い動きで振り向き、「ビアンカ、話したいことがある」と言った。

 

「う、うん……」

 

 そのただならぬ様子に、私の方が緊張してくる。

 このところハルはずっと様子がおかしかったが、今日は群を抜いている。

 怒っているのだろうか。

 でも今日の私には、身に覚えがない。

 ひょっとしてヘレンキース伯爵が、また何か変なことを言ったのではないか。

 ハルの向かいに腰かけ、恐る恐る見上げると、ハルは口を開いた。

 

「ビアンカ! 俺も――、俺は――。俺は本当は――」

 

 ハルの言葉は語勢こそ強かったが、どこかにつっかえがあるかのように、なかなかその先が出てこない。

 一体何なのだろう、と眺めていると、突然ハルの眉尻が、すん、と下がった。

 

「俺は、ビアンカが好きなんだ……」

「え!?」

 

 想像もしていなかったその言葉に、私はひどく動揺したようだった。

 

「え……ええと……ありがとう?」

「…………ありがとう、っていうのは、どういう返事なんだ……?」

「どういう返事って……。ハルこそ、突然どうしたの」

「……俺が好きだって言ったら、迷惑か?」

「いえ、あの、そうじゃないけど、ええと……まず、確認したいんだけど……」

 

 落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 

「ハルは私を、どういう風に好きなの……?」

「すごく、好きだ。つまり、デートがしたい、っていう意味の、好きだ」

「デ、デート……? ハルの思うデートって何?」

「一緒に出掛けて、愛をささやくことだ」

 

 ハルが大真面目な顔をして答えた。

 いささか重すぎる解釈にも思えたが、それでも私の知ってるデートと同じ単語のように聞こえる。

 

「本気で言ってるの……?」

「本気だ」

「だってハル、この間は、自分が女だったら良かったとか、そんなこと言ってたじゃない。とても、異性として好きだとは思えない」

「それは、その時は女だったら傍にいられると思ったからだ。でも本当は、男として、ビアンカの傍にいたい」

「う、嘘よ、だってハル……」

 

 いつか小望月の下で見た、ハルの曖昧な表情が脳裏に浮かび上がる。

 単に騙されるだけなら、別に構わない。でも、期待した後の落胆は、鈍い痛みを伴う。

 

「ハル、あの時、キスしなかったじゃない」

「あの時……?」

「だから、病院の中庭で過ごした夜よ! キスしても良いって言ったけど、しなかった!」

 

 かーっと、自分の中の温度が上がっていく気がした。

 私の声は変な具合に上擦ってていて、どこからか生まれた言葉が、頭で整形されないまま口から飛び出ているようだった。

 

「だって、ビアンカ酔ってたから……。酔って、自分が何言ってるのか――」

「私は、酔ってないって言った!」

「そうだけど、俺は……」

 

 ハルは口籠って、うなだれた。

 それからもごもごと口を動かし、「俺は、慣れていないんだ……」と呟いた。

 

「俺は人間のやり方がわからない……。いくら嫌じゃないって言われたって、酔ってないと言われたって、どうして良いかわからない。触れたくても、触れて良いのかも、どう触れるべきなのかもわからない。ましてやキスだなんて――。ビアンカは慣れているんだろうけど、俺は……」

「慣れているって……」

「だってそうだろう? ビアンカは――」

「好色家だって?」

 

 ハルが、はっと顔を上げた。

 

「もう、いい。出てって」

「ち、違う、俺は……」

「出てってってば!」

 

 私はソファから立ち上がり、ハルを視界の外へと追いやった。

 

「私、この後も仕事があるの。早く出て行って」

 

「……ビアンカ、違う。俺は、ビアンカのことを好色家だなんて思ってない」

 

 私は、答えなかった。

 答えられなかった。

 ぎゅっと唇を噛みしめていないと、涙が零れ落ちそうだった。

 どうしてこんなに泣きそうになっているのか、自分でもよくわからない。

 はいそうですか、と言って喜んでハルの手を取ったって良いはずなのに。

 どうしてかそれができなかった。

※一般に、「わきあがるかんじょう」の漢字表記は「湧き上がる感情」が正とされています

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ