ゆらゆら揺れる
「なんで笑ったんだ?」
部屋から出てきたハルは、こちらに気が付くと、ぎょっとした顔で尋ねた。
「笑ってたのは、あなたよ」
私はシオンの部屋のドアの外鍵を閉めながら、答える。
「俺は、笑っていない」
「そうかもね」
ハルは、ふさふさといかにも楽し気に揺れる自分のしっぽに、気が付いていないようだった。
そんなかわいらしいしっぽを見せられたら、笑いが漏れてしまうのも仕方がない、と思う。
「じゃあ、あなたは自分の部屋に戻ってね」
歩き出しながらそう言うと、後ろではっと息を呑む音が聞こえた。
私は足を止め振り返り、首を傾ける。
彼のしっぽは既にいつものような不愛想な表情に戻り、顔だけが戸惑ったような表情を浮かべていた。
「あ……その……他の二人にも会わせてもらえないだろうか……。二人がビアンカに危害を加えないように、俺が説得するから……いや、違うか……」
ハルは、言いなれないことを言っているようで、せわしなく視線を泳がしながら、もごもごと話していた。
「……いいわよ」
「え?」
「私ももう帰りたいから、一人五分。それで良い?」
「……いいのか?」
ハルは、はっと顔を上げると、聞き返した。
「いいもの、見せてもらったしね」
私は再び歩き出しながら、「ガロからで良いわよね?」と聞いたが、ハルはそれには答えず、「いいものってなんだ?」と尋ねた。
まあいいか、とガロの部屋の鍵を開ける。
「クッキー。あなたの口の横についてる」
私がそう答えると、ハルははっとした顔で、手首で口の周りを拭い、逃げるようにガロの部屋へと入っていった。
クスッと笑いが漏れる。
これくらいの意地悪は、許されるだろう。
私は、廊下の壁に背中を預けて目を瞑り、「いいものってなんだ?」と必死な顔で尋ねるハルの顔を思い出した。
――ハルは多分、私が理解できないのだろう。
あの時のハルの表情には、仲間を助けようとして失敗した――と気持ちが、ありありと現れていた。
今も、それなのに何故許されるのか理解できない、と考えているのだろう。
私は「慣れているから」と答えたが、ハルには多分理解できない。
私は、自分が痴女のように扱われることに、もうずっと前から慣れている。
ただ、死にそうな顔をしているハルに不意を突かれて、いつものようにうまくかわせなかった。
だけど、私もまた、彼らの気持ちを決して理解できない。
私は、平民やそれよりももっと悪い立場の人達の気持ちをわかっている気でいたけれど、そんなことは全くなかったと思い知らされた。
彼らはきっと、私が想像していたよりもずっと劣悪な環境で過ごしてきたのだろう。こんなちっぽけなベッドを見ただけで動揺してしまうくらいなのだ。
気遣うつもりで、彼らを傷つけてしまうことが、きっとたくさんある。
正直なところ、自信を失いかけていた。
ユーリとガロはろくに口も利いてくれない。ユーリは手負いの捨て犬のように警戒心が強いし、ガロは群れのボスにしか従わない、狼そのもののようだった。
ハルが彼らを説得してくれるというならば、そこに一縷の望みをかけたくなった。
ぼんやりと思考に耽っていると、ガロの部屋の扉が勢いよく開き、ハルが逃げるように出てきた。
「もういいの?」
「ああ、もういい」
「そう、じゃあ、次はユーリね」
ハルはぶすっとした顔をしていた。
うまく説得できたのだろうか、と少し不安な気持ちになった。