ある男の言葉(1)
夕飯後、ビアンカが風呂に入ったのを見計らって、ウォルターの元へと駆けつけた。
幸いにも彼は自室には引っ込んでおらず、調理場でしゃがみこみ、がちゃがちゃと何か作業をしている。
「ウォルター、聞きたいことがあるんだが……」
声を掛けると、ウォルターは立ち上がり、こちらを振り返った。
「……はい。私にわかることでしたら」
「今は、作業中か?」
「鍋を仕舞っていただけなので、もう済みました。立ち話も何なので、医務室にでも行きましょうか」
抑揚のない問いかけに、ああ、と返して頷いた。
ウォルターとはあまり話したことがない。友好的にも見えない。でも、何故だか信用できる気がする。
ひょっとしたら藁をも掴む気持ちの末、そういう錯覚に陥っているのかもしれないが、とにかく俺はこの男と話がしたかった。
俺は促されるまま医務室に入り、簡素な椅子に腰かけた。
机を挟んで、ウォルターも同じ造りの椅子に腰を落とす。
「その……ウォルターは恋人がいるか?」
「いません」
勢い余って前置きも何もなく本題に入ったが、ウォルターは特に気にした風もなく、淡々とした口調で返した。
「じゃあ、今までいたことは?」
「随分昔には、おりました」
「そうか……! じゃあ、どうしたら人間の女性と親しくなれるか、教えてくれ!」
一条の光を見出したとばかりに食いついたものの、ウォルターの反応は芳しくなかった。
虚ろにも見える目で、俺のことをじっと見つめている。
「……あなたが親しくなりたい人間の女性というのがビアンカさんのことなら、私の馴れ初めなんて何の役にも立ちませんよ。あなたもビアンカさんも、一般論で語れる方ではありませんから」
見透かすような言葉を浴びせられ、ぐっと一瞬詰まる。
頭には言い訳の言葉が浮かんだが、すぐにそれを振り払った。
どう考えたって、ウォルターの言う通りだ。この期に及んで、羞恥を感じている場合でない。
「……ああ、ウォルターの言う通り、俺が親しくなりたいのはビアンカだ」
「……そうですか。しかし、親しくなりたいというのも、漠然とした話ですね」
「実は、手をつないだら、怒られたんだ」
そう言うと、ウォルターの眉がぴくりと動いた。
「手を……合意なく?」
口調は変わっていないはずなのに、どこか剣呑さを感じる。
俺は、慌てて口を開いた。
「い、いや、前にビアンカは、俺に手を握られても嫌じゃないって言ってたんだ。その後抱きしめた時だって、嫌がってなかった。でも鉱山で手を握った時、怒って俺の手を振り払って去って行ってしまった。多分俺のやり方が悪かったんだろうけど、何が悪かったか俺にはわからなくて……」
まくしたてるように話し終えると、数秒の沈黙が落ちた。
ウォルターはぼんやりとこちらを見ている。
どうしよう、もう少し説明を加えるべきか、と思った頃、ウォルターがおもむろに口を開いた。
「……私はビアンカさんじゃないので断言はできませんが、話を聞く限りでは、それは怒っていたのではなく、照れていたのではないでしょうか」
「え」
間抜けな声が漏れた。
まさか、ウォルターはユーリと同意見だと言うのか。
「人間云々以前に、ビアンカさんはほんの少し不器用な方ですから。何をする時も、何でもないような顔をしていますよね」
「それは……そうだな」
と同意しつつ、内心では、実はそういうわけでもない、と思う。
ビアンカは傷つかないわけではない。それで、最近のビアンカは、俺の前にいる時だけは少しだけ弱さを見せてくれている、はずだ。
「もしもハルさんの前でだけ、別の顔を見せているのなら」
「え」
ウォルターが俺の考えを見抜いたようなことを言うので、またしても変な声が出た。
だが、ウォルターは構わず続ける。
「その顔はハルさん以外に見せては駄目ですよ」
「……もちろんそのつもりだ」
「なら、下手に他の人がいる前で手などつながない方が良いと思いますよ」
「人間は、人前で手をつながないのか?」
「一概にそうとは言えませんが――」
そこまで言ったところで、風呂場のドアが開く音がした。
「少なくとも今のビアンカさんは、人前で手をつなぎたがる女性ではないでしょうね。つなぐなら二人きりの時が良いでしょう。もし、これ以上質問があるようでしたら、明日の朝にでも聞いて下さい。きっとビアンカさんはそれほど早く起きてこないでしょうから」
ウォルターは早口で言い終えると、さっと立った。
「わかった。ありがとう」
立ち上がりながらそう返すと、ウォルターはほんの少し笑みを浮かべたように見えた。




