事実は小説より奇なり
鉱山に、ハルとビアンカがやってきた。二人の会話から察するに、どうやら「視察」のためにやってきたようだった。
ビアンカは何かを確認しているのか、うろうろと歩き回り、ハルがその後ろをついて回ってる。
ビアンカが何かを言う度に、ハルは「ああ」とか「そうだな」とか、簡単な返事をしていた。
なんだか、自分とビアンカの会話を聞いているようだった。ハルも取り立てて言葉数が多い方ではないが、こんな風ではなかったように思う。
一つ一つの話題が、ハルのぞんざいな返事で尻すぼみに終わっていく。傍から聞いていると、二人が不仲のような錯覚を覚えて、妙なな気持ちになった。
それでも、二人の足音だけは付かず離れずのまま、鉱山の中へと進んだ。
「なんだか懐かしさすら感じるわね」
反響を伴う声が聞こえた。俺の隣でつるはしを握っていたユーリが、はっと顔を上げる。
どこかで「ああ」と固い相槌が聞こえるのとほぼ同時に、ユーリが嬉しそうな声で「俺、休憩」と言った。ユーリは誰の了承を得るでもなく、そのまま入り口へと駆けて行く。
相変わらず勝手な男だった。せめて、ルドに説明してから行け、と思う。
だが、斜め後ろを見ると、当のルドは訳知り顔でこちらを見ていた。
「ガロも休憩入っていいぞ」
ルドはニヤリと笑っている。この男は、物事を明後日の方向に勘違いすることも多いが、今は正確に状況を把握しているように見えた。
「……ああ、そうする」
そう返すと、ルドは「ああ、ゆっくりしてこい」と言って、何がおかしいのか大口を開けて笑った。
ひょっとしたら、やっぱりまた何か勘違いしているのかもしれない。
でも、考えるだけ時間の無駄だろう。
俺はルドから意識を外す。
鉱山の入り口の方では、俺たちが近くにいることを気付いているのかいないのか、ハルはビアンカと会話を続けている。
――続けている?
先程まで適当な相槌を打つだけだったハルは、今度は打って変わって、ビアンカに話しかけている。
「……鉱山は、暗い、な」
慣れ親しんでいるはずの鉱山で、しかも夜目が利くハルが、不自然なことを口にした。
「……そう?」
ビアンカの返事は、声音だけでそうだとわかるほど、訝し気だ。
「それは、電気を増やしてほしい、という意味?」
「え、そうじゃない。だから、その、ビアンカは夜目が利かないだろう? ……から、あ、足元が危ない、か、ら」
「……っ」
ビアンカが息を呑む音が聞こえた。
その数秒後、曲がり角にいたユーリに追いついたところで、少し先にいる二人の姿が視界に飛び込んできた。
「何しているんだ、二人とも」
見るや否や、思わず尋ねてしまった。それくらい不自然な光景だった。
ハルの右手が、ビアンカの左手を握っている。
変な距離を開けて、低い場所にあるビアンカの手を握っているものだから、ハルの右肩はおかしな具合に下がっていた。
隣でユーリが、はあ、とため息がついたのが聞こえた。ユーリは何か知っているのだろうか。
ビアンカは森で獣に遭遇したかのような顔をしてこちらを見ていたけれど、そのうち目を細めてハルの方を見た。
「……そうね、何しているのかしら。ハル、離して」
「え、ああ、俺は、鉱山は足元が危ないから、ビアンカと手をつないでいるんだ」
ハルは俺の方を向いて、説明してきた。
足元が危ない? だからビアンカと手をつなぐ? ビアンカの鉱山で?
――全くわからない。
「何言ってるの、離して、ってば」
ビアンカは左手を振っているが、指の一本一本がハルの指に絡めとられていて、離れない。
ひょっとしたら、ビアンカからしたら必死に振りほどこうとしているのかもしれないが、軽く引っ張っているようにしか見えない。
「えっと……他に何を話せば良い?」
「手を離してって言ってるの!」
「え、ああ、わかった」
ようやくハルが手をほどくと、ビアンカはさっと手を引き、「……ルドに宿舎に来るように伝えて。ハルはここにいて」とだけ言い残し、そのまま背を向けて鉱山を出てしまった。
つかつかと、足早な靴音が遠ざかっていく。
「……ビアンカ、怒ってたよな」
冷えた空気の中で、ハルが何とも張りの無い声で呟いた。
「そうだな」
その問いに返答すると、ハルは、はあ、とため息をついた。
それを見たユーリは、おかしそうにくつくつと笑っている。
「足元が危ないからって……プッ、暇すぎて、恋愛小説でも読んでたのか?」
「は? 小説……?」
「ハルは小説なんて読めないか。じゃあ、おぼっちゃんの入れ知恵か」
「入れ知恵、って……」
「シオンみたいなガキの言うことを本気にすんなよ。あいつが知ってる人間の女って、架空の人物か母親くらいだぞ。ああ、あとガロの言うことも参考にしない方が良い」
まだ何も言っていないのに、何故俺を引き合いに出すんだ。
「おい、睨むなよ。そもそも、ガロが声を掛けたのが悪い。それに、ビアンカは怒っていないぞ。あれは照れているだけだ」
ユーリが自信満々に言うのを聞いて、俺は内心でため息をついた。ハルも、ため息を口から吐いていた。
「わかった。お前の言う通り、お前らの言うことはもう参考にしない」
「お前らって……俺もか!?」
「当たり前だろ」
「なんでだよ。ビアンカは絶対、照れてるだけだって」
ユーリは憤慨していたが、信じられるはずもない。
ユーリはハルをからかっているのだ。それに、仮に本気で言っていたとしても、真に受けるべきではない。
人間の習慣だ、とか何とか言いながら、ビアンカの首に噛みついていたことを、ハルは忘れてはいないだろう。
「じゃあ、俺の話を聞かずに、どうするつもりなんだ? ライアンに話を聞くのか? それともルドか? ……それを見るのも面白そうだけどな」
そう言って、ユーリはまたくつくつと笑った。
とてもじゃないけど、信じるに値しない男だ。
「……他にも当てがある」
「はあ? 鉱山のやつか?」
「違う」
「そりゃそうか。あいつらちょっと頭おかしいもんな。じゃあ、誰だ? 伯爵じゃないだろ?」
「違う」
「じゃあ、誰なんだ?」
「誰でもいいだろ。……ルドに宿舎に行くよう伝えて来る」
ハルは仏頂面のまま顔を背けると、そのまま鉱山の奥へと去って行った。
残されたユーリが、わざとらしく嘆息する。
「おいガロ、余計なことするなよ」
それは俺のセリフだろう。
そう言う代わりに半眼で睨みつけると、「ま、わかんねーか」と言って、ユーリは出口に向かって行った。




