表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/139

月がきれいで(2)

 中庭に着くと、ビアンカは、そこに設えられた高級感のある長椅子には目もくれず、花壇に囲まれた芝生の上に足を投げ出して座り込んだ。

 

「ビアンカ! 椅子なら、そこにある!」

 

 慌ててそう声を掛ける俺に、ビアンカは不満気な目を向けてきた。

 

「それは、貴族が座る椅子よ。私は今、ただの入院患者で、芝生に座りたい気分なの」

「病人なら尚更、冷たい地べたに座ったりしたら駄目だ」

「でも私、知っての通り、健康だもの」

 

 ビアンカは、やっぱり頑なだった。

 今のビアンカは健康だ。それは間違いなくて、反論の余地もない。

 一瞬迷ったものの、結局説得は諦めた。俺はどうしたって最終的には、ビアンカの望み通りにしたい、という考えに行きついてしまう。

 それに、もしそれで体が冷えたとしても、俺のしっぽで温めてあげれば良い。

 俺は一つ息をつくと、ビアンカの左隣に腰を下ろし、胡坐を組んだ。

 ビアンカはこちらを見て満足そうに頷いた。それから、中途半端に欠けた月が浮かんだ空を仰ぎ見た。

 

「ふふ、月がきれいに見えるわね」

 

 ビアンカは楽し気に呟いていたが、勢いよく上体を反らしたためか、ビアンカの上着のポケットからは、何かがコロコロと零れ落ちていた。

 

「ビアンカ、何か落ちたぞ」

「あれ」

 

 ビアンカは右手でその丸いものを拾い上げながら、思い出したように左手で上着のポケットを探り、何かを取り出した。

 

「はい」

 

 ビアンカは、左の掌を俺の方に差し出してきた。

 そこには、煌びやかな包み紙に包まれた丸い菓子が乗っていた。

 キャンディーのようにも見えるが、ウイスキーボンボンの匂いだった。

 

「月を見ながら、ハルと一緒に食べたいと思って」

「……いいのか、俺が食べて……」

「もちろん」

 

 戸惑う俺に、ビアンカは明るく返した。

 この菓子は、ビアンカの好物で、すごく美味しいと言っていて、ビアンカにとっても高級な物のようだった。

 ビアンカの為に用意された物で、俺なんかが易々と口にして良い物ではないはずなのに、ビアンカはなんの躊躇いもなく、俺に、食べて良い、一緒に食べたい、と言う。

 それだけで、胸がじんわりと温かくなって、なんとも言えない気持ちになる。

 

「じゃあ、もらう……」

 

 俺は、勧められるがまま、手を伸ばした。その手は、差し向けられた左手を素通りし、彼女の反対の手にぶつかった。

 軽く握られていた右手に手を差し込み菓子を奪い取りながら、ビアンカの表情を覗い見る。

 ビアンカは、「こっちを食べれば良いのに」と言いながらも、嫌がっているような様子はない。

 ビアンカは上機嫌なままで、それが本当に心にぐっと来て、目が離せなくなった。

 自分がどんな顔をしているのか、よくわからない。でも、ビアンカは俺を見て小首を傾げた後、左手の上にあった菓子の包み紙を開き、口に含んだ。

 リスのように頬を膨らませて、俺の手の中の菓子を指さしている。

 どうやら、俺に食べ方の手本を示してくれたようだ、と気が付いた。

 

「あ、ああ」

 

 はっとして、促されるまま菓子を取り出し、口に放り込んだ。

 甘ったるい球体に歯を立てれば、中からどろりと独特の芳香がする液体が出てくる。

 

「変な味、って顔ね」

 

 先にそれを飲み下したビアンカが、俺の顔を見てくすくすと笑っていた。

 確かに、変な味だ。美味くも不味くもない。

 だけど、そんなことはどうでも良かった。

 

「ビアンカ、本当に酔ってないんだよな?」

「ええ」

 

 楽しそうなビアンカを見ているうち、熱に浮かされたような気持ちになっていた。

 

「じゃあ俺、ビアンカに謝りたいことがある」

 

 ビアンカは、「謝りたいこと?」と復唱しながら、尚も微笑みを浮かべていた。

 ビアンカは多分、酔っている。

 酔っていて、だから、俺が触れることも、全部許してくれているように見えた。

 今謝るなんて卑怯だ、と自分でもわかっている。それでも、今を逃したら、永遠にその機会を逃してしまうような気がした。

 

「俺、会ったばかりの頃、ビアンカにひどいことをした。なのに、俺は自分のことしか考えていなくて、謝れなかった……今までずっと……」

「別に、ひどいことなんてされた覚えないわよ」

「嘘だ。ビアンカは、嫌がっていた。それなのに、俺……」

 

 喉が張り付いて苦しい。

 一旦唾を飲み込み、呼吸を整えた。

 

「薬を飲ませる時、俺が、口移しで飲ませたんだ。本当に、ごめん……」

「……なんで謝るの? 私のこと助けてくれたんでしょ?」

「そう、だけど。でも、ビアンカに嫌われるのが怖くて、ずっと言い出せずにいた」

「じゃあ、それで私がハルのことを嫌いになることは絶対にないから、何も問題ないわね」

「でも、嫌だっただろう」

「全然?」

「ビアンカはいつも、口ではそう言う。でも、俺は気付いているから……。ビアンカが目を覚まして、俺が抱きしめてしまった時だって、ビアンカは、俺のこと、嫌がってただろ?」

 

 自分で口にしながら、だんだんと悲しくなってきて、声は尻すぼみになっていった。

 

「まさか」

「でも、ビアンカは、俺の背中を叩いていただろ……」

「え?」

 

 ビアンカは呆けた声を出した後、みるみる表情が変わっていき、「あれは、違うわよ!」と焦ったように言った。

 

「さすった方が良かったのかしら? とにかく、あれは人間の愛情表現というか……つまり、嫌がっていたわけではないから!」

「……そうなのか?」

「そうよ。ハルにされて嫌なことなんて、一つもないもの」

「……それはさすがに、言い過ぎだと思う」

 

 小さな声で返すと、ビアンカは「うーん」と言って、思案するような素振りを見せた。

 

「でもハルは、本当に嫌になるようなようなひどいことは、絶対にしてこないもの」

 

 ビアンカが、にこりと微笑んだ。

 一気に鼓動が早くなって、意識が遠のく。

 俺は、彼女の顔に浮かんだ赤くて美しい三日月を眺めながら、うわごとを紡ぐように、口を開いていた。

 

「……じゃあ、例えば今、俺が抱きしめてキスしても嫌じゃないって、そう言えるのか?」

「そうよ」

 

 形の良い唇から出た、たった三文字が、甘美な誘惑のように聞こえる。

 心臓が、バクバクとうるさい。

 

「ビアンカ、やっぱり酔ってる」

 

 俺はいたたまれなくなって、ビアンカから目を逸らした。

 視界の隅で、ビアンカがこてんと、小首を傾げるのが見える。

 

「でも、ハル……」

 

 ビアンカがそう言いながら、膝に置いていた俺の右手にそっと手を添えた。

 その手が温かくて、はっとして再びビアンカの顔を覗き込んでしまう。

 

「私、本当に酔っていないのよ」

 

 ビアンカは俺の視線を受け止めると、とっておきの秘密を打ち明けるみたいに、そう言った。

 月明かりに照らされたビアンカの顔は美しくて、その頬は薄っすらと赤く染まっている。

 ほら、やっぱり酔ってるじゃないか。

 でも、俺も、酔っているのかもしれない。

 気付いたらビアンカを抱きしめていて、ビアンカは俺の耳元で、ふふ、と笑っていた。

第一章完。


ここまで読んでいただき、深謝です!

ビアンカは沢山怪我を負ってしまったので、ちょっとお休みさせます。

ありがたいことに、ブックマーク登録などしていただいているので、続きを書けるように頑張りたいと思いますm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ