噂とまこと(1)
軽いノック音がした後、「失礼します!」と上擦った声が聞こえ、それから二人の若い女性が顔を覗かせた。
一人は金髪で、もう一人は茶髪。名前はたしか、リリアンとアビゲイルだったはずだ。
二人はベッドに座る私の顔を見て瞳を輝かせた後、その視線を少し横に平行移動して、顔を曇らせた。
その視線の先を追うと、ハルが椅子に腰かけたまま、彼女たちを睨んでいる。
怒っているわけではない。ただ、見慣れない人間の来訪に、警戒しているようだった。
「どうぞ入って。お元気そうね」
なるべく親し気に声を掛ける。
すると、ハルも二人が何者なのかすぐに思い至ったようで、警戒を解いた。
ハルも、東第四発電所で、二人の姿を目にしていたはずだ。
あの日、リリアンはしきりに「アビーを助けて」と叫んでいたし、その「アビー」の本名がアビゲイルだった。
「し、失礼します!」
「失礼します……!」
二人は緊張を滲ませながら、どこかぎこちない歩みで、部屋の中へと入って来た。
二人の用件は明らかだった。アビゲイルの腕には花束が、リリアンの腕には花瓶と菓子らしき箱が抱えられている。
二人が部屋の中ほどまで来た時、ハルがふいに立ち上がった。
「ビアンカ、俺は、廊下に待ってる……」
なんとなくしょんぼりとした雰囲気だった。
ハルには申し訳ないけれど、そうしてもらった方がお互いのために良いだろう。
と、思ったけれど、私が何かを言うよりも先に、リリアンが「いいえ!」と大きな声で言った。
「従者さんもこちらにいらして下さい!」
「じゅ、従者さん……?」
ハルが戸惑ったように、繰り返す。
「そ、そうです。従者さんも私たちの恩人ですから。ご歓談のところお邪魔して申し訳ないですが、少しだけビアンカ様とお話させて下さい」
続いてアビゲイルが、真っ赤な顔で、ぺこぺこと頭を下げながら言った。
ハルが、おろおろと私の方を見下ろす。
「ここにいれば、良いと思うわよ?」
「そ、そうか……? じゃあ、俺は部屋の隅にいる……」
ハルはそう言うと、部屋の隅にぽつんと置かれていた椅子を持ってきて、さっきまで自分が座っていた椅子の横に置いた。
「ありがとう、ハル」
ハルはどこか嬉しそうに頷くと、先程までその椅子が置かれていた空間に立った。
その様子を見ながら、心の中で苦笑する。
最近のハルは、なんだかとても甲斐甲斐しい。
私は正真正銘健康だと言うのに、まるで新聞記事を現実にするかのように「泊まり込みで献身的な看病」を続けてくれている。
「二人とも、かけてちょうだい」
視線を来訪者の方に戻し、席を勧めると、二人は声を揃えて「「失礼します!」」と言って座った。
「あの、ビアンカ様。あの時は、本当にありがとうございました。大したものではないのですが、お見舞いのお花を受け取っていただけますか」
アビゲイルは深々とお辞儀をした後、緊張した面持ちで両手を差し出した。
「ありがとう」
受け取った花束は、小さくて素朴だけど、殺風景な病室に映える明るい黄色をしていた。
今は非常事態だから、何もかもがいつもより少し大変で、彼女達も苦労しているに違いない。その中で、花を調達してくれたその心遣いが、素直に嬉しかった。
「あと、こちらのウイスキーボンボン――」
続いてリリアンの口から出た言葉に、思わず心が反応してしまう。
もし、私に獣の耳としっぽがついていたら、ぴくぴくと動いていたかもしれない。
「――と花瓶は、ヘレンキース伯爵からの預かり物です」
そこまで聞いて、ああ、なるほど、と思う。
ヘレンキース伯爵も、相変わらずまめまめしくて、しかも的確だ。
随分と忙しくしているだろうに、なんだかんだとこちらに気をまわしてくれている。
「そう、ありがとう」
苦笑しながら受け取ろうと手を伸ばしかけた時、アビゲイルが「あのう……」と言って、ちらりとハルを一瞥した。
「実は、ヘレンキース伯爵様から伝言を預かっていまして……。一つは、入院中は禁酒です。ウイスキーボンボンで我慢してください。とのことです」
「……そう」
「もう一つは、花は従者さんに生けさせてくれと……」
アビゲイルの声はかなり控えめだったけれど、ハルには十分はっきりと聞こえたらしい。
ハルはアビゲイルが言い終わるや否や、承った、とばかりにこちらへと歩いてきた。
ただ、近くまで来たは良いものの、緊張に身を固くした二人を前にして、ハルもぴたりと動きを止めてしまった。
「変な言伝ね」
そう呟くと、三人して私の方にぱっと顔を向けた。
「すみません……」
何故か、アビゲイルが謝る。
「いえ、あなたが謝る必要なんて全くないけれど。でも、ハルは――」
ハル達は花の匂いが苦手だって、ヘレンキース伯爵も知っているはずなのに。と言いかけて、ひょっとしたらアビゲイルに対して失礼な言葉になるかもしれない、と思い直した。
「ええと、私が後で生けるわ」
そう取り繕うと、ハルが訝し気に「なんでだ?」と聞いた。
「なんでだ、って……」
言いながらハルを観察してみるが、ハルは本気で不思議そうにしている。
ユーリは確かに、花の匂いが嫌だと言っていた。
ひょっとしてそれは、獣人は花の匂いが苦手、といういう意味ではなく単にユーリの好みの話だったのだろうか。それに、この黄色い花は匂いが強いけれど、花というよりも柑橘類の香りに近い気がする。ハルはこの匂いが苦手ではないのかもしれない。
じっと眺めていると、ハルの顔はだんだんと困り顔になっていった。
「俺がやるから、ビアンカは休んでいてくれ」
そう言うと、私とリリアンの腕から、それぞれ花束と花瓶を奪い取り、部屋を出て行ってしまった。




