嘘とまこと(1)
目を開けた時、窓から燦々と降り注ぐ陽光が妙に眩しくて、あれ、寝坊しちゃったかな、と呆けた考えが浮かんだ。
それから、目の前にハルの顔があることに気が付き、混乱した。
「……ハル?」
喉が張り付いて、掠れた声が出た。
「どう――」
「ビアンカ!」
どうしたの、と言い終わるより前にハルが私の名前を呼んだ。
それから、上半身にぐっと力がかかるのを感じた後、視界からハルの顔が消えて、白い壁が見えた。
ややあってから、知らない部屋――おそらく病室と思われる場所で、ベッドに腰かけたまま、ハルに抱きしめられているらしい、と気が付いた。でも、どうしてそんなことになっているかは、やっぱりわからなかった。
「ハ、ハル……? どうしたの?」
「ビアンカ、ビアンカ……」
ハルの声は震えていた。
それだけではなく、腕や胸も震えているようだった。
そのうち、嗚咽も聞こえてきた。
「ビアンカ、ごめん……」
「ハル? 何を謝っているの……?」
「全部、……全部、俺が……うぅ」
涙で滲んだハルの声は、本当に辛そうに聞こえる。
でも、私には何が起こっているかわからなくて、何と声を掛けて良いかわからなかった。
こんな時、どうすれば良いんだろう。
泣き虫だった私に、お母さんはどうしてくれたっけ。
ふと思い出して、片手でぽんぽん、ぽんぽん、と、ハルの背中を叩いた。
ハルの背中がぴくりと反応する。
「ごめん!」
嗚咽が止んだ、と思った途端、焦ったような声が聞こえた。
私の上半身は瞬く間に解放され、ハルの充血した目と視線が合う。
「わ、悪い……」
ハルはぱっと私から目を逸らすと、軽く握った右の掌で、あたふたと涙を拭い始めた。
その掌の先、前腕から上腕にかけて、白い包帯が巻かれている。はっとしてもう一方の腕を見ると、こちらも同じように包帯で巻かれていて、しかもいつか見た小瓶が握られていた。
さーっと血が引いたような気がした。
「そうだ、思い出した……」
思い出した。そして、理解した。
私は、啖呵を切って発電所に乗り込んだくせに、自力で脱出することもできず、助けに来たハルが代わりに大怪我を負ったのだ。しかもそのハルを残して、今まで呑気に寝ていたようだった。
ハルは故国にいた頃、魔石の事故で沢山の同族が死ぬのを見てきたのだ。こんなことになって、どんなに不安だっただろう。
馬鹿な私はそのハルを目にしながら、何が辛くてそんなに泣いているんだろう、と呆けていた。本当に馬鹿で嫌気が差す。
「ハル、外套も着ずに、私を助けに来てくれたのよね……。それで、こんな火傷……」
私の口から、カサカサの声が出た。
それと同時に、涙を拭っていたハルの右手がぴたりと止まった。
ハルがふっと顔を上げ、右手の端から覗く目と視線が合う。
ハルははっとしたような顔をして、それから右手を膝の上に下ろした。
「俺は、全然、大丈夫だ」
「それは嘘よ。今は平気でも、怪我した時は痛かったし、怖かったでしょ……」
「別に……俺が怖かったのは、ビアンカを守れないことだけだった。だから、そんな顔しないでくれ……ビアンカが気に病むことなんて、何もないんだから」
ハルは困ったような顔をしている。
ハルは、いつもこうなのだ。
こうして、私の心を軽くしてくれる。
私は気持ちがいっぱいになって、言葉を返せなかった。
ハルはそんな私をあたふたと見ていたけれど、そのうち「そうだ」と、何かを思いついたような声を上げた。
視界の端からふさふさとしたものが現れ、布団の上で丸まっている私の手の甲の上にふわりと落ちる。
「しっぽは全く焦げていないぞ」
ハルはどこか誇らしげに言った。
「しっぽは焦げないようにすると、ビアンカと約束したからな」
「……それは――」
それは、他の部分は外套で守られることを前提とした約束だった。しっぽだけ守れと言う意味では決してない。
そう念を押そうとしたのに、私の手の上で満足げに跳ねるしっぽに気が付いてしまうと、それが妙に可愛らしくて、ついつい、くすりと笑いが漏れてしまった。
するとしっぽは、一層楽し気に跳ねたようだった。
――コンコン。
なんとなく緩んだ空気の中で、ノック音が響いた。
しっぽが動きを止めたことに気付き、少し残念な気持ちになる。
音のした方に目を向けると、ドアからヘレンキース伯爵が顔を覗かせていた。
「おはようございます、ビアンカ嬢」
ヘレンキース伯爵が、ふっと微笑んだ。
「無事に目が覚めたようで、安心いたしました」
「ヘレンキース伯爵様……。色々とご配慮いただいたようで、ありがとうございます。それから、ご心配おかけし申し訳ございません」
「いえ、良いのです。あなたが無事なのであれば。もし体調が良いのであれば、起きて早々申し訳ないのですが、いくつかご報告させていただけますか?」
「ええ、もちろんです」
「ありがとうございます」
ヘレンキース伯爵は、にこにこしながら私の近くまでやって来ると、私の手の上のふわふわを、手で払い落とした。




