紙面の二人(2)
「はあ?」
不機嫌そうな顔で応接間へ入ってきたユーリは、テーブルの上に広げられた新聞に視線を向けるなり、声をあげた。
ユーリはずかずかと大股で近付いて来ると、俺の正面の席、ドアに背を向ける側のソファにどかっと座った。
それに続くように、ユーリの隣に腰かけたシオンは、相変わらず不安げな表情を浮かべている。
「は……なんだよこれ……」
外は太陽が昇り切っていない上に、晴天とも言えない天気で、カーテンを開け放っていても部屋は薄暗い。
テーブルに置いたランタンだけが煌々と光っていて、身を乗り出したユーリの顔に、濃い影を落としていた。
「これ、ビアンカさんとハル……なの?」
シオンが独り言のように呟いた。視線は、紙面上をうろうろと彷徨っている。
「何て書いてあるのか、読んでくれるか」
「うん……」
シオンは頷くと、紙面の一点に視線を固定し、目の動きを止めた。
「美しき主従愛。発電所を火災から守った男爵とそれにつき従う獣人。」
チッと、ユーリが舌打ちをした。
シオンは不安げな表情でユーリを一瞥した後、再び紙面に目を落とした。
「……今のが題名。本文を読むね。昨日午後、東第四発電所で火災を伴う事故が発生した。運搬中の魔石が爆発・炎上したものと考えられているが、詳しい原因は調査中である。火災発生時、多くの者は屋外へと脱出したが、職員一名が取り残された。その後、職員は魔石鉱山の所有者であるビアンカ・キーリー男爵により救出された。脱水症状が見られたものの、軽症であった。火は、建物内の設備に損傷を与えたものの、耐火性の高い建物自体にはほとんど引火することなく、キーリー男爵によって鎮火されたものと考えられている。その後キーリー男爵は、彼女の従者である獣人により助け出されたが、」
シオンは一旦口を閉じた後、震える声で「意識不明の……状態だった……」と続けた。
「キーリー男爵と言えば……話題に……」
「もういい、俺が読む」
シオンはおぼつかない口調で尚も続けようとしていたが、ユーリの声がそれを制止した。
ユーリはテーブルの上の新聞を掴み取ると、両手で目の前に掲げ、「キーリー男爵と言えば、話題に事欠かない人物だろう」と流暢に読み上げ始めた。
「特に、奴隷制が廃止された我が国において、獣人を所有しているという事実は、物議を醸していた。だが、今回現場に居合わせた全ての人が彼女と獣人の勇敢さと、そして、彼らの美しい主従愛に目を奪われていた。獣人は自身の火傷を顧みず、男爵を助けてくれ、と叫び続けていた。その懇願も手伝ってか、キーリー男爵は直ちに近隣の病院に運ばれ、現在治療を受けている。キーリー男爵には衰弱が見られるものの、持参していた耐熱性の外套を身に着けてたおかげで、外傷はなかった。彼女のいち早い回復を願うばかりである。だ、そうだ。」
そこまで読むと、ユーリは新聞をテーブルの上に放った。
二人の男女の絵が、再び俺の視界の中に入る。
「それで終わりか?」
「ああ」
「ハルもビアンカも、怪我はしているが、無事ということか?」
「さあ、どうだかな。はっきりとは書いていないし、新聞なんて半分くらいはでっち上げだからな。そもそも、なんだってこんなくだらない美談みたいになってるんだ」
ユーリが吐き捨てるように言った。
当たり前だが、字の読めない俺は新聞など読んだこともない。
俺は、普段の新聞がどんなものなのか、知る由もなかった。
「多分、ヘレンキース伯爵が、そういう風に書かせたんじゃないのかな……」
黙った俺の代わりに、シオンが小さな声で呟いた。シオンは、俯いて新聞を見つめている。
それを聞いたユーリは片眉を上げ、嘲笑を浮かべた。
「あの伯爵がやりそうなことだな。だけど、評判を上げたところで、死んだら何も意味がないのにな」
その途端、シオンが突然立ち上がった。
「変なこと言うのやめてよ!」
叫ぶシオンの目は赤く充血し、しっぽは低い位置で震えている。
「おいおい、泣くんじゃねーだろうな。泣いて仲間の命が助かるなら、俺たちは最初からそうしてる」
苛々とした口調だった。
ユーリは横目でシオンを睨み、シオンも堪えるような表情でユーリを睨み返していた。
二人が、不安で、やるせない気持ちに苛まれていることは、よくわかった。
その気持ちのぶつけ所がわからず、息苦しくなる気持ちもわかる。
でも俺は自分の中のその気持ちを、どうにか心の奥底に追いやって、蓋をしようとした。
「二人とも、やめろ。喧嘩するなら部屋に戻れ」
努めて平坦な声でそう言うと、すぐにユーリはシオンから視線を離した。
嘲るような表情から一転、諦念したような表情になり、「はあ……あんな暗い部屋にいても何もできねーよ……」と呟いた。
シオンも内心で、同意したに違いなかった。
口を引き結んだまま、そのまますとんとソファーに腰を落とした。
ユーリの言う通り、真っ暗な部屋でできることなどない。
それは間違いなかったが、この薄暗い部屋でだって、何もできない。
しかも、もはや会話すらままならなかった。
俺はなんとなく、もう一度紙面の絵に目を落とした。
こんなもの、ただの絵に過ぎない。文章にしたって、ユーリの言う通りでたらめかもしれない。
でも、今改めて見る絵の中の二人は、文面を知る前よりは幾分ましな状態に感じた。ビアンカはハルの腕の中で、確かに呼吸をしているように見える。
ハルはきっとビアンカのことをちゃんと助けたはずだ。ハルとビアンカが一緒にいたというのであれば、それだけは確かなはずだ。ならきっと、二人は無事だ。そうであってくれ。




