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紙面の二人(1)

 早朝、ライアンのうるさい足音で目が覚めた。

 普段なら、この程度の物音で起きたりはしない。

 だが今日に限っては、まるで戦場で敵の足音を聞いた時のように、瞬時に脳が覚醒した。

 それは単に、ライアンの足音がいつもよりも慌ただしくあちこち歩き回っているから、というだけではない。

 昨日の不可解な爆発音とそれに続く停電、そしてハルの不在のせいで神経が昂っているようだった。

 眠っているつもりでも、耳と脳の一部は起きていて、無意識に情報を拾おうとしてしまう。

 

 ライアンの足音は、屋敷の中へと消えていった。

 そのまま布団の中でじっと耳を澄ましていると、その足音は再び屋敷から現れ、商館へと戻ってきた。足音は、階段を登り、ライアンの部屋の前を通り過ぎ、そして俺の部屋の前でぴたりと止まる。

 ゴンゴンというノック音、次いでガチャリとドアが開く音が聞こえると同時に、俺は身を起こした。

 部屋に踏み入るライアンの姿が、ぼんやりと照らし出されている。ライアンは左手にランタンを持ち、左脇には何か細長いものを挟んでいるようだった。

 薄明りに照らされた顔は、疲労の色が強い。

 嫌な予感がした。もはや予感とも呼べないような、確信に近いものだった。

 

「朝から悪いな。……ガロ、お前、字は読めるか」

 

 ライアンは出し抜けに、そんなことを聞いてきた。

 

「いや……」と返しながら、立ち上がる。

 

「そうか。じゃあ、シオンにでも読んでもらってくれ」

 

 ライアンはそう言うと、左脇に挟んでいた何かを右手で引き抜き、俺の方へと押し付けてきた。

 受け取ったそれは、細長く折りたたまれた紙束のように見える。

 

「実は、ビアンカ様とハルが怪我をして、入院している」

 

 固い声を聞いて、ぐっと心臓を掴まれた気がした。

 紙束から、ライアンの顔へと視線を戻す。

 ライアンは相変わらず疲れた顔をしているだけで、それ以上の感情までは読み取れそうにない。

 

「それは、大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃない。だが、俺も状況が把握できてない。それに詳しく説明する時間もない。とにかく、その新聞を読んでくれ。そこに、色々書いてある。それが必ずしも正しいとも言えないが……何も知らないよりはましだろう」

「……そうか。わかった」

「ランタンはここに置いていく。それから、応接間は自由に使って良い。電力はしばらく復旧しそうにないが、ランタンと窓の明かりで、うまくやってくれ」

「ああ、わかった」

 

 ライアンは俺の答えに頷くと、ランタンをベッド横の小さな机に置き、そのまま忙しなく出て行った。

 俺は、バタバタという足音が遠ざかってから、ベッドに腰かけた。息を整え、それから、ランタンの側へと身を乗り出す。

 狼獣人は比較的夜目が利いたが、それでもさすがに暗闇で文字を追える程優れた視力はない。

 俺はランタンの明かりの下で、手にした新聞をそっと広げると、紙面に目を落とした。

 相変わらず、字はほとんど読めない。

 だが、字など読めなくても、その一瞬で、全てのピースが嵌まった気がした。

 

 紙面の真ん中、燃え盛る炎を背景に、二人の男女の絵が描かれている。

 男の頭には、三角形の耳が生えている。男は、地面に両膝をつき、空を仰いでいる。大きく開いた口からは牙が覗き、見開いた目からは涙が溢れている。

 その男の酷く爛れた腕の中に、ぐったりとした女の姿がある。彼女もまた空を仰いでいるが、目は完全に閉じ、口は半開きの状態だ。身に纏う長衣には傷一つなく、それは、以前ビアンカが俺に試着させた「外套」とよく似ていた。

 その男女は美しく描かれていて、知り合いの顔には見えない。なのに、ハルの慟哭とビアンカの息も絶え絶えな呼吸が聞こえてくるようだった。

 

 嫌な動悸がして、その絵から目を逸らす。

 そうすると今度は、いくつかの見知った単語が目に入って来た。

『ビアンカ・キーリー』、『獣人』、『火』――。

 だが、どの文もそれ以上何が書いてあるのかわからない。

 細々とした文字を目で追う度、悪路を馬車で走った時のような、くらくらとする不快感に襲われた。

 

 俺は紙束を握りしめ、よろよろと立ち上がり、部屋を出た。

 ノックもそこそこに隣の部屋のドアを開ければ、眠るシオンの姿が目に入る。

 それで、ようやく、今が早朝だということを思い出した。

 陽の光が差さない上に、今や電力の明かりさえも絶たれて、時間の感覚が曖昧になっている。心臓が打つ早鐘が、それに拍車を掛けているようにも感じた。

 

「ん……? 誰? ガロ……?」

 

 踵を返し部屋を後にする直前、シオンのかすれ声が聞こえた。

 振り向くと、シオンは薄目を開けてこちらを見ている。

 

「ああ、俺だ。悪い、出直す」

「いや、大丈夫だよ。何か、急用なんでしょ?」

 

 シオンはそう言うと、のそのそと布団から這い出てきた。

 

「でも、ごめん、蝋燭に火を点けてもらっても良い? 僕、やっぱり良く見えなくて」

「そうか。ちょっと待ってくれ」

 

 夜目の利かないシオンには、昨日のうちに、マッチと蝋燭が与えられていた。

 それらは今、ベッド横の机の上に揃えて置かれている。人間の目でもぼんやりとしたシルエットくらいは見えるはずだと思うが、シオンはマッチ自体にも慣れていないようだった。

 俺は新聞を腋に挟みマッチを手に取ると、手早く発火させ、蝋燭に火を灯した。

 シオンの姿が、明かりの中に浮かび上がる。シオンは安心したように立ち上がった。

 

「そうだ、ライアンからランタンを貰ったのに、部屋に忘れてきた。後でシオンの部屋に持っていく。でも、とりあえずは、応接間に来てもらえるか? 新聞を読んで欲しいんだ」

 

「新聞……?」

 

 シオンは、不安そうな顔を浮かべた後、俺の腋に挟まれてくしゃくしゃになっている紙束を一瞥した。

 

「それって、ユーリもいた方が良いよね?」

「ああ、そうだな」

「……ハルはまだ帰って来てないんだよね?」

「……ああ」

「そう……。じゃあ僕、ユーリを起こしてくる。それから、着替えてからでも良い?」

「ああ、問題ない。俺も着替えてくる」

 

 俺は、くしゃくしゃの紙束を握りしめながら、シオンの部屋を後にした。

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