晴天の霹靂(1)
「ん……着いたわね」
つい二、三秒前までこくこくと可愛らしく船を漕いでいたビアンカは、車が止まるや否や、目を覚ました。
どうして寝ているのに目的地に到着したことがわかるのか、いつ見ても不思議だった。
もしかしたら、かなり浅い眠りなのかもしれない、とも思う。
でも目が覚めた時のビアンカは、いつもちゃんと寝ぼけ眼をしているのだ。
「……えっと……何?」
じっと見入っていると、ビアンカが戸惑ったように尋ねてきた。
俺は慌ててかぶりを振る。
「あ、いや……なんでもない。寝不足なのか?」
「うーん、そういうわけでもないけど……こうぽかぽかと良い天気だとどうしても……」
ビアンカはそう言って、あくびを噛み殺した。
「とりあえず、……そう、ハルは荷台の荷物を下ろしてくれる?」
「わかった」
俺は、ビアンカの指示に頷いて、車を降りる。
今日は、ビアンカの言う通り、随分と良い陽気だった。
日差しは暖かいし、爽やかな風が吹いている。その中に懐かしい匂いを感じた。
木々の匂いと土の匂いと鉄とか油とかよくわからない匂いが混ざった、俺の良く知る、鉱山の匂いだった。
最後にここに来た時の鼻が痛くなるような刺激臭は、すっかり消えている。
その匂いで鉱山の再稼働が近いことを実感しながら、車の荷台を開けた。
中には、革の塊がぐしゃぐしゃと広がっている。
なんだこれは、と思いながらそれをかき集めていると、後ろからビアンカの「あらら……」と言う声が聞こえた。
「ビアンカ、これは何なんだ?」
首だけをビアンカの方に向けて、尋ねる。
ビアンカは俺の肩越しに、その革の塊を眺めていた。
「これは、外套よ。……って言ってもわからないわよね。私も寒波の時しか着たことないし」
ビアンカはそう答えると、俺の腕の中から革を引っ張り取り、「まあ、こういうものよ」と言いながら、両手で掲げるように広げた。
それは前開きのシャツの裾と袖を引き延ばしたような――確かに大寒波の時によく見かけた防寒具だった。
ビアンカはそれから、「ハルも着てみたら?」と言って、革を掴んだ両手を俺の方に押し付けてきた。
俺は一旦荷台から手を引き、渋々それを受け取る。
ちらりとビアンカの表情を窺うと、ビアンカはどこか楽しそうに口の端を持ち上げていた。
正直なところ、着たくない。
この外套とやらは、採掘用の手袋と同じ革でできているのだろう。
手袋でさえ嫌々はめているのに、体をすっぽり覆うような衣類に身を包まれたくない。
――でも結局、ビアンカの期待の眼差しに負けて、袖を通した。
「……ビアンカ、脱いでいいか」
「前のボタン、閉じてないわよ」
「……」
俺は閉口し、もたもたとボタンに手をかける。
首元から膝辺りまで、びっちりとボタンが並んでいて、一つ閉じる度に不快感が何倍にも増した。
動きにくい上に、とにかく暑い。
心地よい陽気を全て台無しにする衣類だと思った。
「うん、まあ、大丈夫そうね」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ビアンカは満足そうに頷いている。
「……ビアンカ、脱いでいいか……」
再度尋ねると、ビアンカはあっさりと「ああ、うん、どうぞ」と言った。
俺はもたもたと、それでもなるべく迅速に、ボタンを外す作業に取り掛かった。
ビアンカは、尚も俺をじろじろと観察しながら、「やっぱり革が厚くてボタンのつけ外しがしづらいのが難点よね……」などと呟いている。
「ビアンカ……寒波でも来るのか?」
俺は、ようやく脱げた外套を荷台に押し戻しながら尋ねた。
「いいえ、防寒着じゃないのよそれ。今後、消火剤を撒く時にはそれを着てもらおうと思って」
「ああ、そういうことか……」
確かに同じ革で出来ている手袋も、火から身を守るために装着しているものだった。
「着心地が最悪なのは、承知しているわよ。とにかく、それを着ないといけない事態が起こらないことを祈るばかり……」
ビアンカはそこまで言ってから、ふと口の端を下げ、「いえ、起こらないように対策するわ」と言い直した。
その言葉に対して俺は、何の言葉も返せなかった。
これが、鉱山の主として理想的な姿勢だということはわかる。
でも、極私的な感情として、そんなに気負わないでほしい、とどうしたって思ってしまう。
思っても、とても口には出せない。
俺は黙って、ビアンカの腰辺りをしっぽでぽんぽんと叩いた。
ビアンカが不思議そうにこちらを見上げる。
幸いなことに、ビアンカの表情は少し和らいだように見えた。
「あ、そうだ、大切なこと言い忘れてた……」
ビアンカが俺の顔を見上げたまま、思い出したように呟いた。
「……なんだ?」
なんとなく、どぎまぎしながら尋ねる。
「その外套、どうしても足首としっぽの先が覆い切れないのよ。その辺は、焦げないように、自分でしっかり守ってね」
ビアンカが真面目な顔をして言った。
……やっぱりしっぽか。




