挑発めいたもの
「はあ……」
真っ暗な応接間の中で、人知れずため息をついた。
門の傍で佇む二人は、険悪な雰囲気ではない。
会話の内容からも、カーテンの隙間からうかがい見る姿からも、穏やかな結果に落ち着いたことがわかる。
だけど俺はユーリに、「ビアンカは今日パーティーに行っている。帰りに門を通るはずだから、その時許しを請うたらどうだ」と言ったはずだった。
部屋に閉じ込められ、怯えて食事も摂れないユーリを見て、思わず提案したことだった。
俺の言い方が悪かったのだろうか。
ユーリの思う「許しを請う」は、俺の想像していたものと大分違った。
これで良かったのだろうかと考えていると、階上でドシドシと不穏な足音が聞こえた。
もとより不機嫌そうだったその足音は、二階をうろうろと歩き回った後、より一層重みを増し、ついに階段を下りてきた。
足音は、真っすぐに応接間へと向かっている。
俺は内心で、ため息をついた。
振り返ると、ガチャリ、と音がして、ドアが開いた。
「ガロ、こんなところで明かりもつけず何してるんだ」
ハルは苛々としたように、言った。
これは質問ではない。
実際、ハルは俺の答えを待つことはせず、大股で俺の隣まで来るとカーテンを大きく開けた。
窓の外ではちょうど、ビアンカとユーリが別れの挨拶を交わしているところだった。
「どういうことだ」
「……俺がユーリに、ビアンカに謝るように言ったんだ」
「なんで俺に言わないんだ」
「ビアンカとユーリの問題だからだ」
「……」
ハルは苦い表情で、窓の外を見ていた。
今や二人は別れ、ユーリは一人、こちらに向かって歩いている。
そのユーリの視線が、こちらの視線とぶつかった。
俺がユーリを見張っていたことは、ユーリも承知しているだろう。
だが、ハルまでここにいるとは思っていなかったのではないか。
そう思ったが、ユーリは特に驚く素振りを見せなかった。ただ、じっと睨むような視線を向けた後、ふい、と目を逸らした。
「はあ……」
隣から、苛立ちが込められたため息が聞こえた。
「一応言っておくが、ユーリはビアンカに手を上げるようなことはしていない」
「ああ」
「ユーリに言いたいことがあるなら、ユーリがちゃんと飯を食って落ち着いてからにしろ」
「ああ、わかってる」
ハルは、吐き捨てるように返事をした。
ハルは渋々ながらも、このまま自室に帰るのだろう。
ユーリも、面倒事は避けたがる質だから、きっとこのまま自室に戻る。
だから、二人が次に話すのは明日以降になるだろう。と、思った。
しかし、予想に反して、ユーリの足音は一階の廊下を進んでいた。
俺とハルは、ドアへと向かいかけていた足を止めて、互いに目を合わせた。
ハルは怪訝な表情を浮かべてた。
ユーリは何の躊躇もみせず応接間に踏み込んで来ると、固い声で「ハル」と呼んだ。
「……なんだ」
ハルは、不機嫌そうに返事をした。
「俺はビアンカに、ハルがビアンカを守るから、俺たちのことを追い出さないでくれって言った」
「は?」
ハルは、わけがわからない、と言った風だった。
一部始終を見ていた俺でもどうしてそんな話になったのか理解できないのだから、ハルがそのような反応をするのは当然だろう。
「ハルだって、ビアンカと離れたくはないんだろ」
「ああ……だけど俺は、お前に言われるまでもなく、ビアンカを守るつもりだ」
ハルはユーリを睨みつけた。
ユーリもその目を睨み返していたが、そのうち目を逸らし、「むかつく……」と呟いた。
「何がだよ」
「ビアンカに助けを求められて、喜んでるんだろ」
「……別にいいだろ」
「それだけで満足、みたいな顔しているのもむかつく。本当は違うくせに」
「……」
「本当は、俺がビアンカに触るのも嫌なんだろ」
「違う。それは、お前がビアンカを傷つけるからだろ」
「俺はもうビアンカを傷つけねーよ! それをわかっていたはずなのに、ハルは俺の手を払いのけただろ」
「だから、それは――」
「理由なんてどうでも良い! とにかく俺は、ハルがぼーっとしているなら、俺は、すごく可哀そうな獣人を演じて、ビアンカの同情を引きまくるからな。それでビアンカが困ったとしても、俺にはもう、それ以外にビアンカをつなぎ留める方法がないんだからな!」
ユーリが叫ぶように言った。
ハルは、顔を顰めて固まっている。
ハルがこれ以上この挑発めいたものに乗らなかったのは幸いだったが、それでもそろそろ止めないといけなかった。
ユーリは仮にも謹慎中で、ライアンの目をかいくぐってここにいるのだ。
ライアンの耳は大して良くないが、それでもいつ騒ぎを聞きつけてここにやって来るかわからない。
「そのくらいにしておけ、ユーリ。ライアンにばれたら面倒だ。もう部屋に戻れ」
俺がそう言うと、ユーリは俺の方に視線をよこした。
「……ああ、そうする」
ユーリはぼそりと言うと、興味をなくしたようにそっぽを向いて、そのまま足早に応接間を出て行った。
ユーリの足音は遠ざかり、二階でドアが開閉する音と共に消えた。
「はあ……」
それを見計らったように、ハルがため息をついた。
「俺にどうしろって言うんだ……」
「別に、どうもしなくたって、俺たちが放り出されることはないだろ」
「そうだろうけど……」
「あの伯爵と結婚したとしても、それは変わらないと思うが」
俺はそう返したが、ハルは腕を組んで難しい顔をしていた。
「はあ、俺たちも部屋に戻るか」
ハルは、疲れたようにそう言った。




