表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/139

長い旅路(2)

2023/8/31 加筆修正しました。

 小さな宿屋の一室で契約書にサインをした後、一息つく間もなく、マーサ達と共に宿を出た。

 空は、宿に着いた時よりも暗く感じる。

 日の傾きと、雲の多さのせいだろう。

 雲は強い風に吹かれて、かなりの速度で流れていた。

 

「降りそうっすねえ」

 

 マーサの部下の一人が、空を仰ぎ見て呟いた。

 私としては、できれば雨に降られるのは避けたいところだった。

 この後も車は、慣れていない道を走るのだ。

 明るいうちに、天候が荒れることなく、目的地にたどり着くことが望ましい。

 

 だけどその願いも虚しく、私たちが宿を出て五分くらいで、ぽつぽつと雨が降り出してきた。

 ぽつぽつと言えども、大粒の雨だった。

 

「ああ、これは強くなるね。ビアンカ、もっと速足でも大丈夫そうか?」

 

 マーサの言葉に、私は「ええ」と返す。

 私たちは歩調を速めた。

 

 それから間もなく、マーサが言う通り雨脚は強くなった。

 強い風と共に、横から雨が叩きつけてくる。

 靴は歩きやすいものを選んでいたが、よそ行きのドレスが風に靡いてどうにも動きづらかった。

 しかもこのドレスが、どんどん雨を吸って肌に張り付いてくる。

 ちらりと周りの様子を伺うと、しかし、大きくて重量のある革を担いだ男衆たちは、全く意に介した様子もなかった。

 さすが、マーサの部下は鍛えられている。

 それとも、こういう天候に慣れているのだろうか。

 

「ああ、あの車かな」

 

 しばらくして、マーサが車を視線で示しながら言った。

 

「ええ」

 

 目的地が見えると、マーサ達は自然と、より一層急ぎ足になったようだった。

 私もなんとかその歩調に合わせて進む。

 

 そうしてどうにかこうにか車に着いた頃には、私はそれなりに疲れていた。

 それを押し隠し、「革は荷台に運んでくれる?」と言うと、男衆たちは揃って「はい!」と元気に返事をした。

 本当に元気だった。

 彼らは微塵の疲労も感じていないようで、意気揚々と次々に革を積み入れていく。

 私とマーサだけが何もせず突っ立っていた。

 私はその作業をぼんやりと眺めていた。当然マーサも同じものを見ているのだろう、と思っていたけど、マーサはふいに「ははあ」と意味ありげな声を出した。

 見れば、マーサの方は窓ごしに車の中に視線を向けている。

 マーサが何を見たのかは一目瞭然だった。

 でもマーサは、それ以上は何も言わなかった。

 

 それからすぐに、「詰み終わりました!」という元気な声が聞こえた。

 

「ありがとう」と、彼らに声をかける。

 それから、マーサに向き直った。

 

「ありがとう、マーサ。助かったわ。次は屋敷で、ゆっくり会えることを楽しみにしているわ」

「ああ、こちらこそありがとう。また革を入荷したら連絡するよ」

 

 あっさりとした別れだった。

 本当はマーサと話したいことが、沢山ある。

 でも残念ながら、今はそんな時間はなかった。

 私は忙しなく車に乗り込んで、置物みたいに静かなハルの正面に座った。

 運転手に合図を出す。

 車が発進し、窓越しに見えるマーサ達の姿はどんどん小さくなっていった。

 私がそれを眺めている間、ハルはなんとなく居心地悪そうに縮こまっていた。

 マーサ達の姿が見えなくなって、車内に視線を戻すと、ハルはようやく緊張を解いたようにおずおずと口を開いた。

 

「ビアンカ、ずぶ濡れだけど、大丈夫なのか?」

「ええ、大丈夫よ。これから向かう第二鉱山はそんなに遠くないし、着いたら着替えるわ」

「そうか……? あと、俺の姿を見られた気がするけど、大丈夫だろうか……」

 

 ハルはどこか沈んだ声で尋ねてきた。

 

「全然大丈夫よ。あの人たちどこから来たと思う?」

「…………どこなんだ?」

「キヨよ。知っているでしょ、キヨ」

「ああ……」

 

 この村に着いてから、ハルの眉尻はずっと下がりっぱなしだった。

 でも、私が「キヨ」という国名を口にした時、それは一層顕著になったように感じた。

 

「噂通り、ハルを見ても、全然驚いていなかったわね」

「……そうだな」

「じゃあ、やっぱりハルたちは、キヨに行こうとしていたのよね」

 

 ハルたちは、クシカとキヨに挟まれたこの国で猟師に捕まった。

 その上ハルは、キヨでの獣人の扱いを知っている。

 ならば、ハルたちはキヨを目指していた、と考えるのが自然だった。

 

「……そうだな」

「……私は、ハルたちには結構働いてもらったし、ハルたちが望むなら、さっきの人たちに口利きすることもできる」

 

 私は、前々から考えていたことを口に出した。

 キヨは他国よりも技術発展が遅れているものの、差別意識は各段に低い。

 獣人や魔力持ちにとっては、より安全な国と言えた。

 

「ビアンカが、それを望んでいるのか?」

 

 しかし私の思惑とは裏腹に、ハルは顔を歪めてそう言った。

 

「え?」

「獣人がいると、面倒が増えるからか? それとも、俺が余計なことばかりしたからか?」

「全然違うわよ! ただ――」

 

 ハルは、何か大きく勘違いをしているようだった。

 私はそれを訂正しようと口を開いた。

 

「ただ……へくしょん!」

 

 なのに、口から出てきたのは大きなくしゃみだった。

 

「あ、ごめんなさい……」

 

 羞恥が勝り、声がしぼむ。

 

「……ビアンカ、寒いのか?」

 

 対するハルの声も、なんとなくしぼんでしまったようだった。

 

「大丈夫よ」

 

 たしかに、くしゃみは出た。

 濡れた衣服も着実に体温を奪ってはいる。でも、凍えるような寒さではない。

 痩せ我慢ではなく、本当に「大丈夫」なのだけど、ハルは怪訝そうな顔でこちらを見ている。

 

「……やっぱり寒そうだ」

 

 ハルはそう言って、おもむろに立ち上がると、私の隣へと座り直した。

 その眉尻は、これ以上ないくらい下がり切っている。

 私がその眉に注視していると、今度は腰に暖かいものを感じた。

 それは、ふさふさとしていて――ハルのしっぽだった。

 

「嫌かもしれないけど、我慢してくれ」

 

 ハルは、俯き気味にそう言った。

 

「嫌じゃないよ……ありがとう」

 

 そう返すと、ハルは、はたと顔を上げた。

 

「……嫌じゃないのか?」

 

 ハルは、やっぱり何か勘違いしているようだった。

 

「嫌じゃない。言っておくけど、獣人がいて面倒だなんて思ってないわよ。別に、ハルたちが行きたくないならそれで良いの」

「行きたくない。俺は、俺たちは、ビアンカのところにいたい」

 

 私がきっぱりと言うと、ハルも同じようにはっきりとした口調で返した。

 それを聞いた時、なんだか色んなことがわからなくなってきた。

 私は一体どんな答えを望んでいたのだろう。

 キヨに行きたいと言われれば、安心して送り出せたはずだ。それは間違いなかった。

 けれど、それとは正反対のハルの言葉を聞いて、私は安心してしまった。

 この国は、ハルたちにとって住みづらい場所なのに。

 

「そう、ならいいわ……」

 

 私はどうにも複雑な気分になって、窓の外に視線を逃がした。

 雨はいつの間にか止んでいて、美しい夕映えが見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ