長い旅路(1)
2023/8/31 加筆修正しました。
北部の村は、それはもう遠かった。
おかげ様で、よく眠れた。
仕方がない。急な準備に手間取り、昨晩はあまり眠れなかったのだ。
それでも、さすがに熟睡はしていなかったらしい。
眠りながらも、頭の一部は確かに働いていて、車が完全に止まったことを感じ取った。
ああ、着いたのか、とぼんやりと目を開く。
目の前にハルがいた。
それ自体はおかしなことではない。
でもハルはおかしな程じっと私を見ていて、かと思いきや、今度はぎょっとしたように身を退いた。
そういえば、昼休憩のために停車した時も、同じようなことがあった気がする。
「……ビアンカ、起きてたのか?」
「ん……? なんで……?」
まだ、頭が寝ぼけているようで、ハルが何を知りたがっているのか、うまく理解できなかった。
とりあえず、ハルは眠らなかったんだな、と思った。
途中で、ハルも寝て構わない、と声を掛けたけど、移動中に眠るなんてハルからしたらありえないことなのかもしれない。
「いや……その、起こす前に起きるから、いつも……」
ハルはごにょごにょと言った。
だんだんと私の頭も覚醒してきて、ハルの言いたいことがわかった。
「あ、なるほどね。私は大分車に乗りなれているから、寝てても停車したことに気付けるのよ、不思議なことに」
「……そうか、すごいな。なら、良いんだ」
ハルは、どこか安堵したように見えた。
「とりあえず、村の前に着いたみたいね。うーん……」
窓から外を見れば、田畑と緑が広がる村が見えた。
山々に囲まれていて、いかにも辺鄙な村、という感じがする。
小さな家屋が並んでいて、道は狭い。私の車がずかずかと踏み込んで良い場所には見えなかった。
そう考えていると、窓の外に運転手の姿が現れた。困ったような表情を浮かべている。
彼はドアを開けると、「ビアンカ様、どういたしましょうか」と言った。
おそらく、私と同じことを考えているのだろう。
「そうね、車はここに停めておくことにして、あなたはここで待っていて。大きな村でもないし、ここからは歩いて行ってくるわ」
そう答えると、運転手は安心したように「承知いたしました」と頷き、運転席へと戻って行った。
私は、それからハルに向き直る。
ハルの眉間には薄く皺が寄っていた。
「ハルも、ここで待っていて」
「……一人で大丈夫なのか?」
ハルが訝し気に聞いてきた。
「ええ。彼らはいつも荷運びを手伝ってくれるし、今日も多分大丈夫よ。結構良い人たちなのよ」
「……そうか……」
「とにかく、遅くなっても困るし、急いで行ってくるわ」
夜も明けきらぬうちに屋敷を出たが、既に日が傾き始めている。
今夜泊る予定の第二鉱山は、ここからそれほど遠くはないが、できれば暗くなる前に着きたい。
兎にも角にも、さっさと事を進める必要があった。
「じゃあ、ちょっと待っててね」と言い残し、外に出た。
便りによれば、取引相手はこの村で唯一の宿に泊まっているらしい。
小さな村だし、すぐに見つかるだろう、と急ぎ足で村の中心を目指した。
村には、ひんやりとして湿り気を帯びた風が吹いている。
緑が多いせいだろうか。それとも地形によるものだろうか。私が知る空気とはどこか違う。
ほんの少し肌寒さを感じるが、澄んでいて、こういうのもなかなか良いな、と思った。
しばらく歩いていると、宿に着くより前に、いくつか見知った顔を見つけた。
私の尋ね人は宿に留まらず、うろうろと村の中を歩き回っていたようだった。
「マーサ!」と声を掛ければ、その女性は、「来たか、ビアンカ」と言って、笑顔を見せた。
「悪いね、こんなところまで来てもらって」
「いいのよ。マーサも大変な時なのに、売ってもらえるだけありがたいわ」
「そうかい。じゃあ、一旦宿に戻って、契約書にサインして、商品の受け渡しを……って、一人で来たのか? ライアンは?」
「ライアンは、今日は屋敷で留守番なの。悪いんだけど、村の外の車まで運んでもらえたりするかしら……?」
「ああ、それは問題ないよ。男衆に運ばせるから」
マーサは、にかっと笑った。
後ろでその部下たちも、任せてくれ、と言わんばかりに笑みを浮かべている。
マーサは商人としては気難しかったが、人としては親しみがあって素敵な女性だった。
焼けた肌と赤毛が、彼女にはとても良く似合っている。
彼女もいつも沢山の男たちを従えているが、私とは全然違う。
快活な性格には憧れも感じるし、なんとなく勝手に第二の母のように思っていた。
「本当はゆっくり話したいところだけど、見たところ、あんまり時間がなさそうだね」
「ええ、そう、本当に残念なんだけど。革だけ受け取ったら、すぐに帰るわ」
「そうかい。じゃあ、急ごうか」
私たちは、足早に宿へと向かった。




