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晴らしようのない憂鬱

「困ったことになったわ、ライアン」


 ビアンカは、俺の部屋に入ってくるなり、開口一番そう言った。


「革の商人が、屋敷まで来れなくなったらしいのよ」

「例の革ですか。その、ノーザン、ティ、ティ……」

「ノーザン・カティヤ・エレファスね」

「そう、それです」

 

 ビアンカはいとも簡単に暗唱したが、俺はその聞きなれない動物の名前をいつまでも覚えられずにいた。

 

「荷車にトラブルがあったみたい。今、ドグマの北部の村に留まっているらしいけど、車が直り次第引き返すつもりらしいの。でもそれだと困るから、その村まで取りに行こうと思ってる」

「……まさか、ビアンカ様が行くつもりですか?」

「うーん、だから困っているのよ。あの人たちは、私以外にあの革を売ったりはしないわよ。だから、代わりの人間を送ることもできない。こんな時に申し訳ないけど丸二日くらい屋敷を空けることになるわ」

「それは……」

 

 唸ってはみたものの、続く言葉は見つからなかった。

 彼らは、商人であり、猟師でもあった。

 だからこそ、狩猟と取引に強いこだわりがあるようだった。

 彼らは、狩る動物の数を厳しく制限している上に、それらから得た皮革を売る相手も選ぶ。

 とりわけその革は特別貴重なものらしく、ビアンカ本人以外の手に売り渡す気はないようだった。

 それが、正式なビアンカの代理人だったとしてもだ。

 今その革が欲しいのであれば、ビアンカが直接赴くしかなかった。

 

「……はあ、わかりました。こちらのことは心配しないで下さい」

「ありがとう、ライアン。じゃあ、明日早朝に出るから、私は準備を始めるわ」

 

 そう言うとビアンカは踵を返そうとするので、慌てて引き留めた。

 

「待って下さい、ビアンカ様。今回は誰を護衛にするつもりですか?」

 

 誰を、と言ったが、ほとんど二択だった。

 ビアンカの護衛は俺の役割だった。でも俺は今、商館を離れられない。

 他に兵と呼べるものは門番だけだが、彼らもまた、屋敷を離れるわけにはいかない。

 それ以外で戦いができる者といえば、ハルとガロしかいなかった。

 直接聞いたわけではないが、彼らは兵として鍛えられた体つきをしている。

 ビアンカもそれに気が付いていたからこそ、度々護衛の真似事をさせていたのだろう。

 だけど最近は、目に見えて躊躇している。

 獣人達が人間の悪意によって害されることを、恐れているようだった。

 

「まさか一人で行くつもりではないでしょう?」

「まあ、さすがにね……」

 

 ビアンカは、歯切れ悪く答えた。

 それを聞いて、俺は内心でため息をついた。

 こんなことならいっそいつものように、「私は獣人を連れて行きますけど何か?」という顔をしていて欲しい。

 

「……ビアンカ様が決められないというのなら、私はハルを推薦します」

 

 俺がそう言うと、ビアンカは不思議そうな顔をした。

 本当は、こんなこと言いたくない。ビアンカに獣人の推薦などしたくない。

 でも言わなければ、ビアンカはいつまでも迷っているだろう。

 

「……何故?」

「ガロはああ見えて、注意力散漫です。逆に、ハルはいつも注意深いです。ハルは護衛に向いているでしょうし、自分の身も自分で守れるはずです」

 

 そう答えると、ビアンカは一瞬ぽかんとした後に、口の端をわずかに持ち上げた。

 

「ふうん……ライアンがそんなことを言う日が来るとはね……。案外良く見てるのね」

「それは、もちろん、監督ですから」

「そう、じゃあ、頼りになる監督さんの言葉に従って、ハルを連れて行くことにするわ。留守番はよろしくね」

 

 その言葉を残して、ビアンカは部屋を出ていった。

 ドアが閉じると、俺の口からは、はあ、と大きなため息が出た。

 ――これは、何に対するため息なのだろう。自分でもよくわからなかった。

 俺は最適解を選んだはずだった。

 ハルはきっと、ビアンカのことを守るだろう。

 見ていればわかる。

 ハルは、いつもビアンカのことを視界に入れるような動きをしていた。

 ビアンカのことを、大切に思っているのだとわかる。

 獣人でさえなければ、ビアンカのことを快く託せたかもしれない、と思うほどに。

 だけど、ハルはどうしようもなく獣人なのだ。

 そこまで考えて、また一つため息を落とした。

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