貴族たちの思惑
――今日も、私は悪目立ちしているみたい。
パーティー会場に入った瞬間から、そう思っていた。
いつもよりいやに視線を感じたのは、きっと最近鉱山で起きた事故の噂によるものなのだろう。
暇な貴族たちにとって、あの火災は、なかなかに面白い話題だったらしい。
そんな、時の人たる私が会場にいるものだから、彼らはじっとしていることができないようだった。
貴族たちは私に、「鉱山の件、大変でしたねえ」などと、すり寄るように話し掛けて来た。
彼らは概して、どこか不快感を感じさせる笑みを浮かべている。
適当に礼を言ってかわそうとすれば、「大変ね、魔石の収入がないから、そんな古ぼけたドレスなのかしら? あら、ごめんなさい、前からそんなドレスでしたね」と笑う。
そうでなければ、「男たちを解雇せずに置いたままらしいわよ。やっぱり鉱夫ではなく情夫として囲っていたということかしら。いやだわ」などとと、品のないことを聞こえよがしに言ったりする。
その中でただ一人、ヘレンキース伯爵だけが、「こんにちは、ビアンカ嬢」と親し気に話し掛けてきた。
そのせいで、私は貴族たちの注目を一層浴びることとなった。
「鉱山でのこと大変でしょうが、ご不便していませんか? 私で助けられることがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」
「お心遣いをありがとうございます、ヘレンキース伯爵様」
「そう、かしこまらないで下さいビアンカ嬢。あなたは私の大切な友人ですから」
ヘレンキース伯爵は、にこりと微笑んだ。
私はそれに、曖昧に微笑んで応えた。
――一体何がどうして、私がヘレンキース伯爵の友人などという話になるのだろう。
内心には訝しい気持ちしかなかったが、口には出さなかった。
出せなかった、という方が正しい。
沢山の目が、好奇を湛えてこちらを見ていた。
「ビアンカ嬢は、今日も貸し馬車でいらっしゃったのですか?」
ヘレンキース伯爵は、微笑みを貼り付けたまま、話を続けた。
「ええ、そうですね」
「では、今日は私の馬車で男爵家までお送りいたしましょう」
「はい? それは――」
「では、決まりですね。そこの君、キーリー男爵家の貸し馬車に送迎キャンセルを伝えてくれるかな? キャンセル料がかかるようなら、ヘレンキース伯爵家に請求するよう伝えて下さい」
ヘレンキース伯爵は、勝手に決めると、近くにいた給仕係に指示を出した。
こうなってしまってはもう、私には止める術もなかった。
「……ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。ではまた後程」
それからパーティーが終わるまで、貴族たちは私のことを遠巻きに見ていた。
内心では、「ヘレンキース伯爵がキーリー男爵に誑かされた」と思っているに違いないが、ともすれば伯爵への侮辱にもあたりかねないその言葉を口にすることはできないのだろう。
それでも何かしらの嫌がらせはされるだろうと警戒していたが、それも徒労に終わった。
結局何事も起こらないまま、私は今日も無事に壁の花の任を終えることができた。
これで、いつものように解放心と共に帰れたら良かったのだが、今日に限ってはそうもいなかった。
ヘレンキース伯爵にエスコートされ乗り込んだ馬車は、座面がふかふかで乗り心地が良いのに、居心地は全く良くない。
それもひとえに、正面にヘレンキース伯爵がいるせいだった。
ヘレンキース伯爵は、私を見るとくすっと笑った。
「ご機嫌が悪そうですね。先程までのポーカーフェイスが崩れていますよ」
「伯爵様こそ、優し気な微笑みが剥がれていますよ」
「ふふ……皮肉を言い合えるなんて、私たちはやはりもう、友人ですね?」
「まさか、私が伯爵様のご友人になれるはずもありません。私はもともと皮肉屋なのです。ハイム子爵からもそう報告を受けているのでは?」
そう言うと、ヘレンキース伯爵は「ふむ……」と唸った。
「ハイム子爵と同等に扱われるのは、ちょっと癪に障りますね。そうですね、ビアンカ嬢も私のことをファーストネームで呼んでいただけませんか? カレル、と呼んでください」
「それはできません、伯爵様。それより、何か私にご用があったのでは?」
突っぱねるように言ったが、ヘレンキース伯爵は意に介さない様子で「ええ」と言いながら、にこりと笑った。
「私の婚約者になって、私のことをファーストネームで呼んでいただけないか、というご提案です」
私の口からは「はあ……」と曖昧な返事が出た。
「そろそろ鉱山を再開したいと思っているのでしょう? 私としても、そうしていただけないと困るところです。あなたの鉱山がこの地域の電力を担っているのですから。魔石の蓄えも、そう長くは持たないことでしょう。でもまだ、あなたを躊躇させる何かがあるようだ。それが何であれ、私の婚約者になれば、誰かに故意に荒らされることもなくなるし、孤立無援みたいな状況になることもなくなると思いますよ」
「……前半は理解致しましたが、後半の話には同意致しかねます。実際には、私が伯爵様の婚約者などになったら、伯爵様に恋慕するご令嬢やその周りの者たちに嫌がらせを受けるかと思いますが」
そう反論すると、ヘレンキース伯爵はくすりと笑い、「ビアンカ嬢、それは小説の読み過ぎです」と返した。
「貴族社会では、個人の感情よりも家門の損得が優先されるものですよ。もし仮にあなたが噂通りの悪女で私が誑かされているのだとしても、私があなたを大切にしているのであれば、他の貴族たちもそれに従うものです」
「……」
私は貴族社会を良く知らない。
ヘレンキース伯爵が真実を述べているのか、私を丸め込もうとしているのか、判断するだけの材料がなかった。
「信じていただけないのであれば、まずは私の親しい友人として振舞ってみませんか? それであなたが嫌がらせを受けるかどうかを確認してみましょう」
「そんなことをすれば、伯爵様は私のような悪女に騙される安い男だと誤解されるのでは?」
「私は一向に構いませんよ。誤解されたとしても、彼らに何ができるわけでもないですから。あなただって、今更情夫と噂される男が一人増えたところで、気にしたりしないでしょう? だから、まずは友人として振舞って下さい。そうでなければ、私は勝手にあなたのファーストネームを呼ぶ勘違い男として後ろ指を指されることになります。あなたを助けたいだけなのに、それはあんまりです」
「……伯爵様の理論で言えば、勘違い男だと揶揄されたところで、貴族たちが伯爵様を害することなどできないのでは?」
「それとこれとは、話が別です。これは男の沽券にかかわる問題なのです」
ヘレンキース伯爵は、大げさに振舞いながら、熱弁した。
――また、「男」か。
ヘレンキース伯爵は、私が反論のしようもないところから攻めてくる。
全く理解のしようもなかったが、どうせヘレンキース伯爵の弁舌に勝てるはずもない。
私は、これ以上の議論を諦めることにした。
「……わかりました。恐れ多いことですが、私と伯爵様は友人ということにいたしましょう」
「では、カレル、と」
「それは、婚約者になった時にとっておくのはいかがですか?」
もちろん、婚約者になる気などさらさらなかった。
ヘレンキース伯爵もそれは承知していると思うが、「まあ、それで良いでしょう」と、にやりと笑った。
「でも、今後のパーティーへの送り迎えは私が致します」
「はい?」
「貸し馬車は、それなりに財政に響くでしょう? ですから、私の馬車で移動してください。そして浮いた資金は、鉱山の再開に充てて下さい。これはあなたのためでもありますが、この地域に住む全ての民のためでもあるのです」
そういう言い方をされれば、私はヘレンキース伯爵の提案に頷かざるを得なかった。




