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薬の値段(3)

「本当に、あなたたちは随分と仲が良いらしい。こんなこと、想像できるはずもありません」

 

 ヘレンキース伯爵は、くつくつと笑いながら、そんな脈絡のない話をし始めた。

 いつも何が彼の琴線に触れているのか、まるでわからない。

 

「普通なら、素直に飲むと思いますけどね」

「そうでもないでしょう。警戒するのは、当たり前のことです」

「ええ。でも、彼らの警戒は、あなたが思っている警戒とは別のものですよ」

 

 ヘレンキース伯爵は、断言するかのように言った。

 

「……伯爵様、まさか心も読めるとかおっしゃいませんよね?」

 

 私がうろんな視線を向けると、ヘレンキース伯爵はまた笑いだした。

 

「まさか、さすがの私にもそんなことはできません。ただ、彼らの考えていることは想像がついてしまうんですよ。男の勘、とでもいいましょうか」

「男の勘……そうですか」

「あなたが心配しているのは、この薬が彼らにとって害がないか、ということでしょう? でも彼らは違う」

 

 ヘレンキース伯爵は、「そうだろう?」と言いながら、ガロに視線を向けた。

 

「耳を治してビアンカと会話したいけど、彼女に迷惑はかけたくないと思っている。違うかな、ガロ?」

 

 ガロはその視線を正面から受け止めて、じっと睨み返していた。

 

「心配しなくても、この薬を使ったからと言って、彼女のことを後から強請ったりはしない。正直に言うと、これはお詫びの品なんだよ。私は彼女に色々と迷惑をかけてしまったからね。だけど、この先また私が彼女に迷惑をかけてしまった時、そんな耳じゃ彼女を守れないんじゃないかな? 君たちがビアンカを守りたいと思うなら、体調は万全にしておくべきだと思うけどね?」

 

 ヘレンキース伯爵は、にこにことしながら小首をかしげた。

 ガロは、相変わらずヘレンキース伯爵を睨んでいた。ハルもまた、険しい顔をしていた。

 しばらくそうしていたが、ガロは不意に目を逸らすと、「ハル、薬をくれ」と言った。

 ハルが黙って、ガロに小瓶を渡す。

 ガロは、蓋を開けると、ぐいと煽って一気に飲み干した。

 先程までの長考はなんだったんだろう、と思うくらいの、思い切りの良い飲みっぷりだった。

 

「伯爵様、もしかして――」

「いや、人の心を操ったりもできませんよ。ただ、男っていうのは、こういう単純な挑発に弱いものなのです」

 

 ヘレンキース伯爵は、満足そうに笑っている。

 そういうものなのだろうか。

 ヘレンキース伯爵の言葉が、あの無口で岩みたいなガロのなにがしかのプライドを傷つけたのだろうか。

 女の私からしてみれば、ガロの心なんて微塵もわからない。ガロが、私を守りたいと思っているなんて、到底思えない。

 でも、ガロは薬を飲んだのだ。

 男という生き物は、時々、ひどく難しい。

 

「ガロ、異変はない?」

 

 声を掛けると、ガロはこちらに顔を向けた。

 

「私の声、聞こえる? ああ、それとも、即効性はないのかしら」

「いいえ、即効性はあるはずですよ。突然聞こえるようになって、びっくりしているかもしれませんね?」

 

 ヘレンキース伯爵は私に話しかけながらも、ガロに視線を投げかけていた。

 ガロはほんの一瞬、煩わしそうな顔をしたが、すぐに元の顔に戻って、口を開いた。

 

「ああ、ビアンカの声が聞こえる」

「……そう、良かったわ」

 

 はっきりと言われて、肩から力が抜けるのがわかった。

 本当に、ちゃんと万能薬だった。

 

「ヘレンキース伯爵様、この度は本当にありがとうございました」

 

 私がヘレンキース伯爵に向き直りそう言うと、ヘレンキース伯爵は一瞬の間の後、くすっと笑った。

 

「これはお詫びの品だと言ったのに、あなたはお礼を述べるのですね。そんなに嬉しかったですか?」

「それは……そうですね」

「なら、良かったです。この薬に対価は必要ないと言いましたが、私の好感度稼ぎではあったので」

「好感度、ですか……?」

「ええ」

 

 そう言うと、ヘレンキース伯爵は立ち上がって、私の目前へと歩み寄った。

 

「ビアンカ嬢、私と結婚していただけませんか?」

 

 そのわけのわからない唐突な申し出に、和みかけていたその場の空気が、一気に変わった気がした。

 もちろん良くない意味で、だった。

 ハルはギラギラとした目で伯爵を睨みつけている。ガロでさえも、何かいつもと違う表情を浮かべているようだった。

 そんな中で、ヘレンキース伯爵だけがにこにこと朗らかに笑っている。

 

「私が伯爵家の夫人にふさわしいとは到底思えませんが」

「私は伯爵家にふさわしい家柄の者を求めているわけではありません。私の配偶者の第一条件は、私の事情を理解し尊重してくれることです。その上で、私が愛せるような女性であれば尚良い。あなたは、そんな私にとっては理想の女性なのですよ。私と結婚していただけるのであれば、あなたのことを何一つ不自由させないと約束いたします。誰にもあなたに手出しさせません」

 

 私は口を開きかけたが、ヘレンキース伯爵はそれを遮るように言葉を続けた。

 

「それから、獣人を伴って嫁いでいただいてもいっこうに構いません。そんな待遇ができるのは、私くらいのものでしょう?」

 

 駄目押し、とでも言うように、そう付け足した。

 確かに、ヘレンキース伯爵の言う通りだ。獣人を連れた女を娶りたい人間なんて、そうそういないだろう。

 でも、残念ながらその申し出は、私にとってそれほど魅力的なものにはならなかった。結婚願望が乏しい者にとって、どんなに素晴らしい結婚条件を挙げたところで、それは意味のないものだった。

 

「ありがたいお言葉ですが、お断りいたしますわ」

 

 そう言ったが、ヘレンキース伯爵の顔色は変わらなかった。

 

「そうですか。……私も今日一日であなたの信用を得られるだなんて思っておりません。ただ、今日は、私の意思を伝えたかったのです」

 

 ヘレンキース伯爵はあっさりとした口調で言った。

 

「……そうですか」

 

 曖昧に答えると、ヘレンキース伯爵はにこりと笑った。

 

「今日はこれで失礼いたします。ああ、そうだ、彼らにはちょっと嫌われてしまったようですが、今回のことを外で漏らさないよう、言い含めておいてくださいね」

「ええ、もちろんです」

「それから、この度はキーリー男爵家とビアンカ嬢にご迷惑をおかけしたこと、改めて心よりお詫び申し上げます」

 

 ヘレンキース伯爵は、頭を垂れてそう言った。

 高位貴族が私に頭を下げている。これは止めるべきなんだろうか――。

 ほんの少しの間迷ったものの、結局素直に謝罪を受け止めることにした。

 

 落ち着いて考えてみると、ヘレンキース伯爵の目論見は半分成功しているのかもしれない。

 到底結婚したいとは思えないが、明らかにマイナスだった好感度は、今回の件を経てゼロを超えてしまったように思う。

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