薬の値段(2)
応接間には、なんとも微妙な空気が流れていた。
談笑するような状況でもない。二人して、冷めた紅茶を啜っていた。
そうしているうちに、コンコン、とノック音がして、応接間にライアンと、ハルとガロが現れた。
ガロは普段と変わらない表情をしていたが、ライアンとハルの顔には、それぞれ緊張と警戒の色が浮かんでいた。
それもそうだろう。ライアンは伯爵に恐縮しているだろうし、ハルはいきなり屋敷に呼び出されて知らない貴族と対面させられているのだから。
「ありがとう。ライアンは、商館に戻ってちょうだい」
「……承知いたしました」
ライアンは一瞬顔を曇らせたが、承諾し、そのまま部屋を後にした。
普段だったらあの顔で、小言を口にするところだろう。でもヘレンキース伯爵がいる手前、黙って退室するしかなかったようだった。
残されたハルとガロは、ローテーブルの横で所在無げに突っ立っていた。
「左がガロで、右がハルです」
ドアが閉じたのを確認すると、私はそう紹介した。
ヘレンキース伯爵は、二人に向けてにこりと笑う。
それを見たハルの顔は、一層強張ったように見えた。
「初めまして。カレル・ヘレンキースと申します」
「……」
「……」
二人は応えなかったが、ヘレンキース伯爵は特に気にする様子もなく、今度は私の方に顔を向けた。
「それで、どちらが怪我をしたという獣人でしょうか?」
「左の、ガロです」
「では、ハルは付き添いですか?」
「ええ。ガロは私の声が聞き取れないので、私の通訳、といったところですね」
「なるほど、そうでしたか」
「ええ。では、ハル」
私が話しかけると、ハルは耳をぴくりと動かした。
「ヘレンキース伯爵から薬をいただいたの。ガロの耳を治す薬よ。ただ、飲むかどうかはあなたたちが決めて。あなたたちは鼻が利くでしょうし、良く見て考えてちょうだい」
立ち上がって小瓶を差し出すと、ハルはおずおずと手を伸ばし、それを受け取った。
ハルは仏頂面のような、困り顔のような、そんな顔をしている。
ハルが小さな蓋を開けて瓶の口に鼻を近付けると、その眉間に薄く刻まれていた皺は一気に深くなった。
ハルは、何度か瞬きをした後、ガロの顔の方へと小瓶を向けた。
「ガロ、お前の耳を治す薬を貰ったそうだ。飲むかどうかは、俺たちで決めて良いとビアンカは言っている。ガロもにおいを嗅いで、確かめてくれ」
「ああ」
ガロは頷くと、ハルの手から覗く小瓶に顔を寄せた。
それから元の姿勢に戻ると、ハルにちらっと目配せしたようだった。
ハルは小瓶の蓋を閉じた。
「……俺は、水だと思った」
「俺もそう思った」
ハルとガロが、それぞれ言った。
当たり前だった。それは水なのだから。
危険がないか確認してくれれば良い、と思っていたけれど、彼らの鼻は私の想像以上に鋭敏なようだった。
何と答えようかと考えていると、隣でヘレンキース伯爵が、ふっと笑った。
「そうだろうね。それは無味無臭の液体だから。でも、ちゃんと効く薬だ」
「……」
「……」
二人はヘレンキース伯爵の言葉には何も返さず、代わりに尋ねるような視線をこちらによこしてきた。
「……私も、効く薬だろうとは思っているわ」
私は控えめに意見を述べた。
ガロの耳が治るのであれば、もっとうまく説明して、彼らの不安を取り除くべきなのだろう。
でも、それは難しいことだった。魔力云々を説明することはできないし、私だって心の底から信用しているわけでもない。
二人は考えるような素振りを見せた。
やがて、ハルがおもむろに口を開いた。
「ビアンカ……この薬、いくらで買ったんだ?」
「買ったわけじゃないのよ。ただ、いただいたのよ」
「いただいた……」
それからハルとガロは、二人して黙り込んだ。
そんなに安易に決められることではないのだろう。
気長に待とう、と思った。
思ってはいたけれど、それにしても、あまりに長考だった。
「……飲むのは嫌かしら?」
結局、重い沈黙に耐えかねて、私の方から尋ねた。
しかし、二人の答えは聞くことができなかった。
「いいや、薬は飲みたいが、私に借りを作ることが嫌なのでしょう?」
ヘレンキース伯爵が、誰よりも早くそう答えた。




