伝える方法
俺はまた、医務室に来ていた。
ガロの様子は、前回来た時と特に変わらないようだった。ガロにも色々とあったにもかかわらず。
実のところ、この部屋に医者が訪れた時、俺は廊下で会話を盗み聞きしてしまった。
医者が来ることは知らされていなかった。でも、なんとなしに階下に降りた時に、偶然ビアンカと医者の会話が聞こえてきた。
聞こえてしまったら、聞かずにはいられなかった。
だからこそ、ビアンカが泣いている理由にも察しがついてしまった。
「なあ、ガロ。……」
声を掛けると、ガロはこちらに視線を向けた。
「すまん、この間医者が来た時、会話を聞いてしまった」
「そうか」
ガロは、なんてことないような顔で短く答えた。
ガロが怒るとも思ってなかったが、それにしてもあっさりとした答えだった。
俺が盗み聞きしたことについても、それから耳が治らないことについても、本当に気にしていないのか、それともただ顔に出さないだけなのか、よくわからなかった。
ただ、安易な励ましや慰めを欲してはいないだろう、と思った。
「ハルは、ビアンカのことだけ気にしていれば良い」
そんな俺の悩ましい気持ちを読んだかのように、ガロが言った。
「その様子だと、何かあったんだろう。その後、ビアンカと」
その様子とは一体、俺のどんな様子のことを言っているのだろうか。
少々訝しい気持ちにはなったが、ビアンカと一悶着あったのは事実だった。
「ああ、ビアンカは――」
そう言いかけて、言葉を切った。
ガロの言っていた通りビアンカは悲しんでいた、と伝え、自分の気持ちを吐露したい。
でも、ビアンカが泣いていた、と伝えるのは、良くない気がした。
考えていると、トントントン、と階段を下りてくる足音がした。
「……いや、ユーリとシオンが下りてきたみたいだ」
「そうか」
それきり、二人して黙った。
なんとなく、この会話をユーリとシオンには聞かれたくなかった。
ガロも同じ気持ちなのか、それ以上何かを尋ねようとはしなかった。
間もなく、医務室のドアががちゃりと開き、ユーリとシオンが入ってきた。
「はあー、せっかく鉱山に行かなくて良くなったと思ったのに、また医務室……。ビアンカと全然会えない……」
「ビアンカさんは今忙しいんだよ! そうじゃなくて、ほら、ガロに伝えてよ!」
面倒くさそうな様子のユーリを、シオンが何やら急かしている。
「ガロ、シオンがキャッチボールしたいってさ」
「そうじゃなくて、腕の調子が良さそうなら、ボールの投げ方教えてって言って」
「はいはい、ボールの投げ方教えてくれってさ」
「腕の調子が良さそうなら!」
「腕の調子が良さそうなら」
随分と騒々しかったが、おかげで、医務室の何とも言えない空気が一気に華やいだ。
ガロの様子がほとんど変わらないためなのか、二人はガロのことを過度に心配したりしなかった。
ガロがどう思っているかはわからなかったが、俺は時々、そのことをありがたく感じていた。
「火傷は治っているから、ボールの投げ方は教えられる。その代わり、シオンに頼みがある」
「え、頼みって!?」
ガロが答えると、シオンはキラキラとした目で聞き返した。
シオンにとって、ガロに頼みごとをされるなんてことは初めてなのだろう。
「字の読み書きを教えて欲しい」
「読み書きね! うん、いいよ!」
シオンはにこにことしながら、しっぽをぶんぶんと振っていた。
声は聞こえずとも、全身で快諾を表現していたから、ガロにも伝わっただろう。
俺はシオンの言葉をガロに伝える代わりに、「俺も教えて欲しい」と言った。
はぐれ者の多い鉱山でも、文字が読めないのは俺たちくらいだった。
どうせ時間を持て余しているんだ。シオンが教えてくれるというなら、俺も覚えたい。
文字が読めるようになれば、少しはビアンカの役にも立てるかもしれない。
「うん! もちろんいいよ! ユーリは?」
「俺はやらない」
ユーリはそっけなく答えた。
「ビアンカさんと文通できるかもしれないよ?」
シオンが楽しそうに言った。
おそらく、ガロの目的もそれなのだろう。
文通、という大仰なものではないが、俺を介さずに直接意思を伝えたい、といったところだろうか。
しかし、ユーリはその言葉に鼻で嗤って返した。
「俺は文字が読めるからな。ビアンカとの文通だって、やろうと思えば今すぐできる」
シオンは驚いた顔をしていた。
それは、俺にとっても初耳で、驚くべき事実だった。
読み書きの必要がある時は、全てシオンに任せていた。ユーリは今まで一度も、自分もそれができるだなんて、口にしたことがなかった。
「ユーリ、いつから読み書きできたんだ?」
思わず尋ねると、ユーリは、「クシカの屋敷にいた時に、自然と覚えた。あの家はいつも紙が散らばっていたからな」と、何食わぬ顔で答えた。
「そうなんだ……」
シオンが、何とも残念そうな声で返した。




