煤けた洞(2)
宿舎の医務室に着くと、ガロがベッドに横たわり、その近くの椅子にシオンが腰かけていた。
ガロは掛布団を被ってはいなかった。見る限り、包帯が巻かれているのは左前腕だけで、ルドの言っていた通り、大きな怪我ではなさそうだった。
「ガロ!」
ビアンカが声をかけながらガロに近付いた。
ガロはそれには答えずに、上体を起こす。なんとなく、顔色が悪かった。
「ビアンカさん、ハル……」
横で、シオンが泣きそうな声を出した。
見れば、耳としっぽは完全にへたり込んでいる。
「ガロが……。ガロの耳が、聞こえないみたいなんだ……」
ビアンカが息を呑む音が聞こえた。
でも、ビアンカはすぐに、「とにかく、三人とも、一度屋敷に戻りましょう。帰って、医者を呼びましょう」としっかりとした口調で言った。
その声に、シオンは頷いたが、ガロは反応を示さなかった。
信じたくはなかったが、ガロの耳は本当に聞こえていないようだった。
「ガロ、立てる? 歩けそう?」
ビアンカは、ガロの前でゆっくりと口を動かし尋ねたが、ガロはじっとビアンカの顔を見つめるだけで動かなかった。
伝わらないことを悟ったらしいビアンカは、ベッドの上に乗ったままのガロの脚を引いて下ろそうとし始めた。
小柄なビアンカにガロの体を動かすことなんてできないだろうに、ビアンカは俺の存在をすっかり忘れてしまっているようだった。「ハルはガロとシオンのことを探して、助けてあげてほしい」と、俺に言っていたはずなのに。
「俺がやる」
俺は、ビアンカの横から手を伸ばし、ガロの長い両脚に左手を掛けた。
右手をガロの背に添え、左手を強い力で引けば、ガロの両足はすとんと床に着いた。
「あ、ありがとう、ハル……」
ようやく俺のことを思い出したビアンカは、そう言うと、ベッドから少し距離を取った。
俺はそれを確認すると、今度はガロの左側に座り、右腋に手を腕を差し込んだ。
「立つぞ」と声を掛けて引き上げると、ガロはすんなりと立ち上がった。
「悪い、ハル……」
「いや、歩けそうか?」
「ああ……」
どうもおかしかった。
会話が成立しているように聞こえる。
「ガロ、もしかして聞こえるの?」
シオンも、俺と同じように感じたようだった。
しかし、ガロがシオンのその問いかけに答えることはなかった。
「もしかしてガロ、低い声なら聞こえるのかな……。僕とビアンカさんの声だけ聞こえないみたい……」
シオンが、不安げに言った。
シオンが言うことは、正しいように聞こえた。
ルドは、ガロの耳の不調のことなど一言も口にしなかった。ルドがガロを医務室に連れてきた段階では発症していなかったのだろう、と考えていたが、もしかしたらそういうわけでもないのかもしれない。ルドも、声は低い方だった。
「ガロ、俺の声が聞こえるか」
「ああ……」
「ビアンカとシオンの声は聞こえないのか?」
「ああ……聞こえない……」
「そうか……」
それで、答えははっきりとした。
「……とにかく……帰りましょう。ハルはそのままガロを支えてあげて。耳の怪我は……眩暈とかが起きやすいから」
シオンの仮説が証明されると、俺たちの様子を見つめていたビアンカが口を開いた。
俺は、「ああ、わかった。ガロ、行くぞ」と声を掛け、ガロと共に歩き出した。
ガロは「ああ……」と返し、俺の歩調に合わせて歩く。
足取りは、しっかりとしているように感じた。
「ハル、ガロに、火を消してくれて本当にありがとうって伝えて」
ビアンカが、俺の後ろから声をかけた。
「ガロ、ビアンカが、火を消してくれて本当にありがとうって言ってる」
「ああ……」
ガロに伝えると、ビアンカは再び口を開いた。
「それからハルとシオンも、いてくれて本当に助かったわ。後は……後のことは、私がどうにかするから」
固い声で、そう言った。




