男爵と狂犬(1)
手足を拘束され、麻袋を被されたまま、車に乗せられた。
ガタガタと揺れる荷台で、互いに励まし合っていたが、次第に会話はなくなっていった。
気が遠くなるような時間が過ぎ、麻袋越しに光を感じる。
男たちの会話、笑い声、コインのこすれ合う音が聞こえ、俺たちは荷物のように担がれ運ばれた。
扉が開く気配がし、花の香りがした、と思った時、ドサリと床に落とされた。
「ありがとう、ライアン。たしかに、狼の獣人が四人……でも一人は子供かしら。あの狸ジジイ、そんなこと一言も言ってなかったのに」
女の声が聞こえた。
「まあいいわ。彼らの頭の覆いを取ってあげて」
「……承知いたしました」
女が指示を出すと、俺をここまで運んだ男の匂いが再び近付き、視界から茶色が消え、男の顔が現れた。
そのライアンと呼ばれた男は、人間にしては体格が良く、腰には剣をさしているが、火薬の匂いはしない。
ライアンは俺には見向きもせずに、俺の隣で転がるユーリの横に跪き、その頭の麻袋をほどき始める。それが終わったらガロ、シオン、と順にほどいていった。
「はじめまして。私はビアンカ・キーリーよ」
人間の顔に狼の耳を生やしたような、その四つの獣人の顔が出揃うと、眼前に立つその女は、再び口を開いた。
無機質な声に似つかわしい、色素の薄い冷たい双眸でこちらを見下ろしている。
ビアンカ・キーリー……キーリー男爵――。猟師の男たちの言葉が脳裏に蘇る。
「悪いけど、話をする間、手足はそのままにさせてちょうだいね」
ビアンカは、牙をむき出しする狼たちを一瞥し、わずかに柳眉をひそめてそう言った。
「もうわかっていると思うけど、あなたたちは私に買われたの。あなたたちにやってもらいたい仕事があって、ね」
「……俺たちを奴隷にするつもりか」
「あなたたちは奴隷ではなく、流民よ。この国に奴隷はいないわ」
威嚇するように尋ねると、ビアンカは首を横に振った。
奴隷ではない? 俺たちを「買った」くせに?
そんな俺の気持ちを見透かしたように、ビアンカは続ける。
「ああ、買ったって言い方が悪かったわね。労働力の斡旋料よ。あの猟師は、私がすぐ金を払わないなら廃棄すると言ってきたわ。それで放逐されるなら本望でしょうけど、あなたたちの様子を見る限り、そうとは思えないわね」
ビアンカは、俺たちの打撲痕を一瞥して言った。
「私の言ってること、わかるかしら」
ビアンカは他の誰でもなく、俺の目をまっすぐと見下ろして言った。
ビアンカの説明は今一つ要領を得ない。
だが、自分に従う他ない、と脅していることだけはわかった。
「……わかった、あんたに従う」
隣で、ユーリがはっと息を呑む音が聞こえた。
心配するな、と心の中でその音に応える。
「従うなら、俺たちの命は保障される、そういうことだろ?」
ビアンカは、ふっと息をついた。
「そうね、最低限の生活は保障するし、対価も用意するわ。それじゃあ詳しい話をするから、……その前にライアン、食事と、救急箱を持ってきて」
「……承知いたしました」
ライアンは仏頂面で返事をすると、踵を返し廊下へと出た。
部屋に残されたのは、四人の獣人とビアンカのみで――その警戒心の無さに、唖然とした。
本当は、しばらく様子を見て、機会を伺おうと思っていた。
でも、今の状況はどうだろう。これ以上なく、絶好の機会だった。
この女は、油断している。俺たちの力を知らない。俺たちに行く当てがないと思っている。俺たちを従えられると思っている。
今、この女を人質にとれば、また四人で逃げ出せるはずだ――。
俺はぐっと手足に力を込め、戒めを引きちぎった。そのまま立ち上がり、ビアンカの喉元に手を伸ばす。
だが、その手が届くよりも早く、ビアンカの手が俺の襟もとを掴んでいた。気付けば足を払われ、視界が反転し、背中から落ちていた。
ドカッと鈍い音が響いた。
「ビアンカ様!」
ドアが乱暴に開けられ、抜刀したライアンが入ってきた。反転した視界の中で、ライアンが顔をしかめるのが見えた。
「……一筋縄ではいかなそうね。この人は地下室の空き部屋に入れて。他の三人は、用意した部屋に移してから、手当してちょうだい」
ビアンカは、冷ややかな声でそういった。
こめかみを冷汗が伝うのを感じた。
――失敗した。油断していたのは、俺の方だった。