苦い匂い(2)
ルドと共に、車の荷台から商館の廊下へと、大仰な袋に入れられた魔石を運んだ。
ルドに倣って背に担ぎ上げると、袋からは、じゃら、という音がした。袋は、一歩歩くごとに波打ち、軋みを立てた。中には小石のようなものがぎっしりと詰まっていたのだろう。
肌に当たる面に小さな凹凸を感じたが、それでも表面は滑らかで、皮膚を掻くようなことはない。一方で、袋に面しているその場所からは、じっとりとした汗が出続けていた。
察するに、この袋は多分、採掘用の手袋と同じ素材でできているのだろう。厚ぼったくて動かしにくい、あの革製のような手袋も、その通気性の悪さ故か、汗をかく時に張り付くような不快感があった。
その作業を終えた俺は、一人応接間のソファに座り、開け放った窓の外の夕映えを眺めている。
商館の一階の部屋に入るのは、二度目だった。一度目に入った部屋は、鉱山に行く前にビアンカから手当を受けた部屋――宿舎でよく似た部屋が「医務室」と呼ばれていたので、こちらの部屋も多分「医務室」なのだろう。
応接間はその部屋と同じ並びにあり、庭を臨む窓にはガラスがはめ込まれているが、今は解放されている。ルドが開けたのだ。
ルドは、我が物顔でこの部屋に入ると、無理やり俺をソファに座らせ、窓を開け放し、自身は廊下へと出て行き今も作業を続けている。
なんでも、「ここから先の作業は、さすがに俺の独断では見せられないな」とのことらしい。
ガシャガシャと、ルドが何らかの作業をしている音を聞くともなしに聞いていると、それに混じって、敷地の外からパカパカ、ガラガラと、馬車の音が聞こえてきた。
思わず、はっと立ち上がる。
どう長く見積もっても、まだ二時間なんて経っていない。でも、なんとなくビアンカの匂いがした気がした。
ぼうっと突っ立っていると、ルドがドアを開けて部屋に踏み込んできた。
「どうしたんだ、突っ立って」
「あ、ああ……馬車の音が聞こえて……。ビアンカは馬車にも乗るんだろうか……」
ルドはにやりと笑った。
「そりゃあ、馬車くらい乗るさ。魔石の車なんて、他所じゃ目立ちすぎるだろうからな」
「そうか……」
「ああ、確かに俺の耳にも馬車の音が聞こえてきた。迎えに行って、荷物でも持ってやんな。俺はここから見てるからよ」
「あ、ああ、わかった」
促されるまま、廊下に出る。そこにあった袋は跡形もなく消えていて、ルドが作業を終えたのだとわかった。
ルドは、このまま応接間でビアンカを待つ心づもりらしい。
商館の外に出るとより一層ビアンカの匂いが強くなり、それに混じって甘苦い匂いがした。
ちょうどビアンカが、門番が開けた門を通るところだった。
ビアンカの方へと足を向ける。無意識のうちに、小走りになっていた。
彼女は俺の足音に気が付いたようで、こちらをちらりと一瞥した後、門番にこくりと頷いた。門番もまた、こくりと頷き、門の向こうへと消えていった。ガラガラと馬車が去っていく音が聞こえる。
ビアンカは、それからゆっくりと、こちらに体を向けた。
――そこにいたのは、いつもとは違うビアンカだった。
俺の知っているビアンカは、屋敷ではくつろいだドレスを纏い、鉱山では動きやすそうなシャツとズボンという装いをしている。どちらも右手の中指に小さな指輪をつけているだけで、それ以外は比較的地味なものだった。
それが今、俺の目の前にいるビアンカは、腰回りがほっそりとした群青色のドレスを身に纏い、耳と首元には赤い宝石をぶら下げている。
匂いまでもが普段と違うように感じられる。
――ワインだ。ビアンカからワインの匂いがするから、彼女がそれを飲んだのかもしれない。でもそれ以上に、ビアンカのドレスからワインの匂いがする。
濃い色のドレスだから見た目には目立たないが、その生地にはワインがべっとりと染み込んでいるようで、きつい匂いが立ち上っていた。
それだけじゃない。普段よりもおしろいの匂いがきつい。
彼女は随分とやつれていた。やつれた顔を、化粧で覆い隠しているようだった。
俺はどうにか動揺を押し殺し、ビアンカへと近寄った。近付いてみると、彼女の顔に浮かぶ疲労の色がより一層はっきりと見て取れた。
「ハル……?」
「あ、ああ、ルドと一緒にきたんだ。ルドがビアンカに話があるって言って、商館で待ってる」
「そう。じゃあ、着替えてくるから待ってて、って伝えてくれる?」
「ああ……」
ビアンカは頷いて、屋敷の方へと体を向けた。そのビアンカを「なあ、」と俺は呼び止めていた。
「それ、ワインか? どうしたんだ……?」
「ああ、これ……」
彼女は無表情に、自分のドレスを見下ろした。
「そうね……どう見える?」
「正面から、思い切りぶちまけられたように見える」
「あなたにもそう見える? ……まあ、貴族社会ではこれくらい慣れたものね」
ビアンカは、いつもの勝気そうな表情を浮かべて、そう言った。
「……」
「……どうしたの、ハル。なんか元気ないけど……ひょっとして、鉱山で同じ目にあったりした? バケツの水をかけられたりとか……」
俺が黙っていると、ビアンカが怪訝そうな顔で、覗き込んできた。
「いや、鉱山でそんな風に俺に構ってくる奴はいない。……でも昔はいた。俺は何も悪くなくても、そういうことをしてくる奴はいて……。でも俺は、毎回嫌な気持ちになって、慣れたりしなかった」
俺がぼそぼそした声で話し終えると、ビアンカはきょとんとした顔をした。
「もしかして、それで私も、ワインをぶっかけられて嫌な気持ちになっているんじゃないかと思った?」
「まあ……」
「そう……。ふふ、そんなこと思うの、ハルだけだと思うけどなあ」
彼女のいつもよりも鮮やかな唇が、三日月のように緩やかな弧を描いていた。
それは、可笑しいのか、嬉しいのか、悲しいのかわからない、淡い笑みだった。
40℃超の高熱に苦しめられ、更新が滞ってしまいました。
悔しいので、この経験はいつかきっと作品に活かしたいと思います……。




