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好色男爵と獰猛獣人  作者: 亥口一人
番外編
135/139

子爵の(彼への)復讐

前話の続き。

 この状況に、喜びさえも感じる。

 頭を打ち付け大量の血を流したものだから、どこかおかしくなってしまったのかもしれない。

 ――いや、違う。俺は、最初からずっとこうだった。ずっと、この首をねじ切ることを望んでいたのだ。この上官――もとい、人間のクズの首を。

 

 そこで過ごした日々は、ほんの少し思い出しただけで、反吐が出そうになる。それでもあの頃の俺たちは、必死に耐えて、どうにか毎日を乗り越えていた。

 食事を減らされても、耐えた。

 殴られても、耐えた。

 何をされても、黙って額突き、従った。

 俺たちよりももっと辛い状況にある獣人は、ごまんといる。

 だからこそ、泣き言を言う気にもなれなかった。

 

 けれども、俺たちは、捨てられた。

 俺とガロを囮にして、あいつらは逃げた。笑いながら逃げた。

 

 あの時、俺たちがどれ程の目にあったのか、あいつらは知らないだろう。

 知らないだろうが、知っていたとしても、こいつは腹を抱えて笑うに違いない。そういう腐った人間だった。

 きっと、同じような目に遭うまで、俺たちの気持ちなんて、わからない。同じような目に遭わせないと、この先ずっと獣人を虐げながら生き永らえるに違いない。

 

 片手で襟首を持ち、片手をその首にかける。存外に細い首だった。

 

「う……」

 

 奴が、小さく唸り声を上げる。

 

「なんだ? 命乞いをするのか? 額づくか?」

「や、やめ……」

 

 小刻みな震えが、両手に伝わって来る。

 今、こいつの命は、完全に俺の手の内にあった。

 少し力を入れればすぐに、息絶えるのだろう。

 細い首だった。花の芳香が漂っていて、これが戦場に生きる男の首だろうかと、微かな疑念が頭をもたげる。

 そのせいなのか、何なのか、いざその気になっても、首にかけた右手には僅かな力も入らない。頭の芯が痺れているようだった。脳がどこかおかしくなって、神経がちぎれてしまったかのように、指が動かない。なぶるように首を撫ぜるだけで、それ以上のことができない。

 

「や、やめて、お父さん……」

 

 その薄茶の瞳から雫が落ち、つう、と頬に一筋の線を描いた。

 今更涙なんて、と思う。

 何で、涙なんて、と思う。

 何で、泣いているんだ。

 何で、彼女は、俺の腕の中で苦しんでいるんだ――?

 

「ビアンカ……?」

「わ、私が悪かったから……」

「な、なんで……」

 

 信じられない気持ちだった。何が起こったか、わからない。

 茫然とした後、はっと自身の状態に気が付き、慌ててビアンカの体を床に下ろした。

 ビアンカの状態を確かめようと、覗き込む。ビアンカは、「うう……」と尚も苦し気に喘ぎ、濁った目はどこか遠くを見ている有様だった。息を呑み、必死にその肩を叩く。

 

「ビアンカ、目を覚ましてくれ、ビアンカ!」

「う……」

「ビアンカ、俺だ、ハルだ。戻って来てくれ……!」

「ハ……ル……?」

 

 淀んでいた瞳が焦点を取り戻し、ゆっくりと俺の方を見た。ビアンカは、目を見開いたまま、ぜいぜいと肩で息をしている。

 背中に腕を差し入れてゆっくりと起こしてやると、その双眸に溜まっていた涙がぽろりと零れ落ちた。

 

「あ、私……」

 

 ビアンカが茫然としたような表情で、頬を拭う。

 

「ご、ごめんなさい、私が――」

「なんで、ビアンカが謝るんだ。ビアンカは何も悪くない」

 

 俺の、せいだ。俺が先に、負けたのだ。

 あんな風に簡単に、過去に呑まれたりして。ハイム子爵の思い通りに踊らされたりして。

 ビアンカをろくに守ることもできず、それどころか、傷付けるところだった。

 

「ビアンカ、今度こそ俺がどうにかするから、少しだけ、待っていてくれ」

 

 立ち上がり、忌々しい窓へと歩み寄る。

 俺たちを閉じ込めるために用意された、分厚く固いガラスなのだろう。でも、そんなことは関係なかった。

 渾身の力で拳を叩き込めば、いとも簡単に、あっけなく砕け散った。

 

「ハル!? 大丈夫!?」

 

 ビアンカが焦ったような声を上げて、駆け寄ってきた。

 血が滲む俺の拳を見つめている。

 

「別に、これくらい」

 

 ――これくらい、ビアンカのためならば何ともない。

 あの時の俺は、どうしてあんなにも無力で弱かったのだろう。

 こんな壁一つ壊せない自分に、もう二度と戻ったりはしない。

ボツ理由:前話に同じ。あと、状況がファンタジーが過ぎたから。この部屋がどこの何なのかは不明。

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