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好色男爵と獰猛獣人  作者: 亥口一人
番外編
134/139

子爵の(彼女への)復讐

第一章後半の話。

 ハイム子爵という男は、なかなかどうして馬鹿な男だと思う。

 一度目の襲来の時は、ハルたちを犯罪者に仕立て上げようと、屋敷前で馬鹿みたいに大騒ぎしていた。もとを正せばヘレンキース伯爵の差し金ではあったようだけど、あれほど杜撰で穴だらけの筋立てが、かの鬼才の考案であるはずがない。ハイム子爵のやり様は、発案者が余程の馬鹿なのか、そうでなければ、私のことを大うつけだと侮っているのだろう、と思わせるものだった。

 愚かなハイム子爵は、再度来襲し、今度は鉱山に火を放った。生憎、その罪が表沙汰になることはなかった。彼は今も社交界にいる。でも、ヘレンキース伯爵には相当しぼられたに違いない。彼らの間にあった生ぬるい空気は冷え切り、ハイム子爵は居心地悪そうにしていることが多くなった。

 所詮は虎の威を借るだけの馬鹿な男だったのだ。そう思った。

 その所感は、多分、間違ってはいない。けれども、もっと深掘りしておけば、別の側面も見えていたのだろう。

 この男は、虎の関心を独占したいがために別の狐を排除する愚者だった。そのことに気が付く前に、三度目の事件が起こった。

 

 

 ■■■

 

 

 足を踏み入れた直後のことだった。

 ガチャン、という音がして、その空き部屋は一瞬のうちに密室となった。

 振り向くと、分厚いガラス板の向こうで、男が老獪な笑みを浮かべている。

 嵌められたのだ――そう気が付き、警戒を怠った数刻前の自分を呪いたくなった。

 プシュ、と聞きなれない音がした。

 音のもとを探して頭を回らせれば、部屋の上部から、紫煙のような濃い靄が注がれ始めているのが目に映る。

 それが何だかわからないのに、いや、わからないからこそ、一瞬にして、得体の知れない恐怖に心が蝕まれた。絶望にも近かった。

 私とハルは、ここで死ぬのだろうか――。

 その時、バン! と肩に大きな衝撃を感じた。

 

「ビアンカ! 俺が窓を破るから、ビアンカは向こうの端にいてくれ! なるべく端の空気を吸うんだ」

 

 ハルが私の肩を揺さぶって、私に話しかけていた。

 鼻の奥がツンと痛む。その場所を掌で押さえ、「わかったわ」と言った。

 ハルがこくりと頷いて、背を向ける。幾分か冷静さを取り戻した頭の隅で、もっと気の利いたことが言いたかった、と思った。

 けれどもそんな言葉を持ちえない私は、部屋の隅に下がり、ハルのすることを見守る以外にできることがなかった。

 丸腰のままガラス板に対峙するハルの背を、ただただ見つめるだけ。ハルは、拳か肘かを使って、窓を割り破るつもりなのだろうか。それで、体の方を壊したりしないだろうか、そんな風にただただ心配するだけ――。

 少し、苦しくなってきた。一旦、ハルに背を向け、部屋の角でこわごわと小さく息を吸う。それからもう一度、ハルを振り返った。

 ハルは――

 私を見ていた。金色に、メラメラと燃えるような瞳で、真っすぐに私のこと見据えていた。グヴゥ……と聞きなれない音が響く。

 

「よくも、やってくれたな……」

「ハル……? どうしたの――」

「どうしたって!? お前がやったんだろ!?」

 

 ハルの口から出たとは思えない、怒りに満ちた咆哮だった。

 初めて出逢った時でさえ、これ程の憎悪の念を滲ませてはいなかっただろう。たがが外れてしまった、とか、そんなかわいいものではなかった。ハルは、ほとんど狂ってしまったかのような表情を見せていた。

 

「落ち着いて、ハル、私が一体何をしたって――」

「お前が俺をここに連れて来たんだろ!」

 

 ドガン!

 空気を揺らすような音がして、びくりと体が竦んだ。

 ハルが、後ろ手にガラスを殴った音だった。

 こんなにも大きな音がしたというのに、ガラスには、傷一つ入っていない。けれども、既に、ハルの関心はそこにはないようだった。

 拍動が速くなり、呼吸が乱れる。両手で口を押さえるが、そうしたところで平静を保つのは難しかった。

 

「いつだって、お前のせいで――」

 

 男が、じりじりと、こちらに近付いて来る。

 血走った眼は、見慣れたものだった。大股で歩き、その行く道にある物を、何の気なしに蹴飛ばす。ガシャンと音を立てて空瓶の欠片が散らばる。それを後で誰が片付けるだとか、そんなことは、この男にとってはどうでも良いことなのだ。

 

「全部、お前らのせいだ! あいつが男児を産んでいれば、こんな面倒臭いことにならなかった!」

 

 右手が薙ぎ払われ、書類が辺りに散らばった。

 

「俺が悪いのか? 違うだろう? お前が悪い。あいつがろくな人生を歩めなかったのも、全部お前が女だったせいだ」

 

 違う、こんなはずじゃない。

 宥めようと思うけれども、声が出ない。

 どんなに駄目な父親だとしても、妻子を殴ることだけはなかったはずだ。――本当に?

 今、この男の両手は、私の襟元を掴んでいるというのに、本当に私の認識が正しいと言える? 私が殺されないと、そう言える?

ボツ理由:ヘレンキース伯爵の警告を無視して三度復讐を実行できる程、子爵の肝は座っていなかったから。


次話に続きます。

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