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好色男爵と獰猛獣人  作者: 亥口一人
番外編
131/139

誘惑する少女の話

番外編では、諸事情でボツしたエピソードなどをアップしていく予定です。

裏で起こっていたというよりは、キャラの性格、時代背景、ストーリー展開がちょっと異なっていたら起こりえたかもな~というようなストーリーが多くなるかと思います。

そういった都合上、説明っぽい描写が多くなるかもしれませんが、ご容赦下さい。


今回の話は、第一部の後半くらいに起こり得たかもしれない話です。

 キヨは、私達の暮らすドグマの北に位置する国だ。

 私の屋敷からそう遠くない、陸続きの場所にある。にもかかわらず、二国の間には、文化的な隔たりがあった。

 ドグマは技術を重要視しているが、キヨはそうではない。人間や自然を大切にしているからこそ、狩人だとか、獣人だとか、ドグマではそうそうお目にかかれないタイプの人々が多く暮らしている。

 

 マーサは、キヨ国民の一人だった。彼女は、狩人であり、商人でもある。

 彼女は、時々部下を引き連れて私の屋敷を訪問し、皮革の取引を行う。

 最初こそ交渉に難儀したものだったが、もはや慣れたものだった。

 数量を指定し、金額を交渉し、取引を行う。一通り終わった後は、商館に宿泊することが常だった。何しろ、遠方から来ているのだ。

 

 今日にしたって、取引自体は何の変哲もない普段通りのもので、つつがなく進行していた。

 けれども、全てが普段通り、というわけにはいかなかった。取引とは別のところに、特異な点がいくつもあって、それが状況をおかしな方向へと進めているようだった。

 その始まりとなった要因の一つが、「彼女達を商館に泊めることができない状況」だった。

 その状況の下、私はマーサに、商館は従業員の寄宿場所になっていて貸し出せない、代わりに今日は本館に泊まっていって、と伝えた。

 すると、マーサが帯同した少女――ミアが、「それって、獣人のことでしょう?」と言って、笑った。

 初対面にもかかわらず、物怖じしない少女だった。この性格に加え、赤髪と浅黒い肌――全てマーサ譲りなのだろう。彼女は、マーサの姪だと言う。

 ミアは、「ねえ、私、その獣人が働いているところを見てみたい!」と続けた。

 

 

 ■■■

 

 

 鉱山での勤労を終えて、ハルとユーリが帰ってきた。彼らには、「魔石を詰めた革袋を商館へ運ぶ」というわずかな仕事が残ってる。

 ミアには、これを見学して満足してもらう他ない――というのが、私の出した結論だった。

 ミアのことは良く知らないが、彼女はキヨ人だし、何よりマーサの姪なのだ。少なくとも、ハル達に危害を加えることはないだろう。

 

「わあ……イヌ科ね」

 

 二人の姿を認めると、庭の片隅で私と並んで立っていたミアが、感心したように言った。

 

「すごい、二人ともイヌ科なのね……」

 

 キラキラと目を輝かせるミアを見ながら、頭の中に小さな疑問符が浮かぶ。

 ドグマで生まれた人間ならいざ知らず、生まれも育ちもキヨのミアにとって、獣人は見慣れたものなのではないのだろうか。何故ミアは、これほどまでに感嘆しているのだろう。

 それとも、イヌ科獣人が二人並んでいるのは、珍しい光景なのだろうか。けれども、イヌというのは元来群れを成す動物だ。その血を引く彼らも、多少なりともその性質を受け継いでいるに違いない、と考えてみれば、やはりそれほど不思議な光景とも思えなかった。

 

「……あなたにとっても、珍しい光景?」

 

 さりげなさを装って、尋ねてみる。

 するとミアは、きょとんとした顔で、小首を傾げた。

 

「キヨにはオオカミとかキツネとか、イヌ科の獣人が少ないの、ビアンカさん、知らなかった?」

「……そうだったのね。恥ずかしながら、今初めて知ったわ」

 

 そんなこと、知る由もなかった。考えたこともなかった。

 私の知る、たった四人の獣人達は、いずれも犬のような三角耳を持っていたから。

 ミアは、ツンと澄ましたような顔をして、ハルたちの方に視線を戻した。

 

「クシカには多いみたいだけど、キヨまでは結構距離があるから、なかなか辿りつくことができないみたいなのよねー」

 

 引き延ばされた語尾には、気怠さのようなものが滲んでいた。けれども、それは無関心からくるものではなかったらしい。ミアは、次の瞬間には、鼻息を荒くして捲し立て始めていた。

 

「本当にひどい世の中よね! 彼らは選ぶことができないんだもの。あんなに力持ちで、能力があるのに。本当なら、優しい雇用主のもとで働いたり、高給な場所で働いたり、出来て良いはずなのに。選ぶ権利さえあれば、もっと良いところに、行けるはずなのに」

 

 ズキリとする。

 きっと、優しい子なのだろう。不憫な獣人のことを想って、そう言っているのだろう。

 けれどもその言葉は、小さなトゲを孕んでいた。古い木材に手を掠めた時のように、軽い痛みを伴いながら私の胸に刺さった。

 その痛みに気を取られて、突然広場へと駆け出したミアへの反応が、遅れた。

 

「――ミア! ここで見学するだけって、言ったでしょう!」

 

 慌てて、叫ぶ。けれどもミアは、

 

「やっぱり、もっと近くで見てみたいし! ちょっとだけ、いいでしょ?」

 

 と笑うばかりで、足を止めなかった。

 

 これだけ大声で話しているのだから、当然、ハルとユーリもこの事態に気が付いただろう。

 はたとそちらに目を向けると、ユーリは、それでもまるで気が付いていないかのように視線を動かさず、足早に商館を目指していた。ハルだけが訝し気な表情を浮かべながら、その場に留まっている。別に、ミアを待つ義理などないはずだが、ユーリをかばうためなのだろう。

 私も、ドレスの裾を持ち上げて、手綱を放してしまったミアの元へと急いだ。

 

「こんにちは。ねえ、あなたでしょう。この間北部の村で革の取引をした時に、ビアンカさんと一緒に来ていた獣人って」

 

 いち早くハルの元へとたどり着いたミアは、朗らかな声で言った。

 ハルは、答えなかった。誰だこいつは? とでも言いたげな視線を、必死に走る私の方へと投げかけている。

 

「私はその商人の姪のミア。あなたの名前は?」

 

 ミアは、ハルの怪訝な視線に怯んだ様子もなく、明るく問いかけを続けている。

 私はというと、ようやくミアに追いつき、彼女の斜め後ろで息を整えているところだった。

 

「……ハルだ」

「そう、ハルね!」

 

 淡泊な答えだったが、ミアは跳ねるような声で復唱した。

 それから、革袋を担いだままのハルを見回すように、きょろきょろと顔を動かした。

 

「あなたって、オオカミでしょう? やっぱり、オオカミって力強いのね! ねえ、どうかしら、私達と一緒に来ない?」

 

 その言葉にぎょっとし、ようやく平静に戻りつつあった、その息を呑んだ。それは、とても無邪気で、そして、とんでもなく非常識な言葉だった。引き抜きするにしても、普通は現雇用主のいないところでするものだろう。「ハルはうちの従業員よ!」と私が割って入って然るべき場面に違いなかった。

 けれども、私の口から出たのは「え!?」という小さな驚嘆の声だけだった。

 そうすることしか、できなかったのだ。

 道理を通したくても、心の隅にわだかまる小さな靄のようなものが、それを邪魔する。

 もしもハルが、乗り気だったから? 問答無用で断る私のことを、ハルはどう思うだろう。

 

「はあ……?」

 

 当のハルはというと、聞かれている意味が解らない、というような顔をしていた。

 そんなハルに対して、ミアはふふ、と鈴を転がすように笑う。

 

「あなたがキヨに来てくれるのなら、もっと良い仕事を紹介してあげる」

「そういう話なら、いらない」

 

 今度は、間髪入れずに答えが返ってきた。それと共に、ふ、と自分の肩が軽くなったような気がした。

 けれども、話はそれで終わり、とはならなかった。赤毛を纏った頭が、こてん、と傾いたかと思うと、「あら、あなた、知らないのねえ……」としみじみと呟くような声が聞こえた。

 

「あなた、もったいないことをしているのよ。だってあなた、この国で初めてまともに人として扱ってくれた人に、ただ付き従っているだけじゃない。でも、世の中には、ビアンカさんよりももっとあなた達に良くしてくれる人がいるし、ここよりもっと――」

「うるさい」

 

 低く唸るような声で、朗々と連ねられていた言葉が遮られた。

 私は、少し驚いていた。ハルがこんな風に苛々と、人の言葉を遮ることが今まであっただろうか。

 ミアだって、驚いたに違いない。

 けれども、何秒か経って、ハルが一番、驚いたような――いや、焦ったような顔になった。

 

「俺は今、仕事中なんだ。それに、ビアンカにも話がある。商館に、来てくれ」

 

 ハルは空いていた左手で私のドレスの袖口を掴むと、商館に向かいすたすたと歩き始める。

 

「え、ちょっと……」

 

 反射的にそんな声が出たものの、足は素直にハルの後ろをついて歩き出していた。

 歩を進めながら、上半身だけで振り返り、「ミア、マーサの所に戻って待っていて」と背後に声を掛ける。その言葉はミアの耳に届いたようだったが、どこか茫然とした表情の首肯が返ってきただけだった。

 彼女にとっては、完全に予想外だったのだろう。

 私にとっては――どうだったのだろう。

 視線を持ち上げ、ハルの顔を盗み見る。そこには、どこか不機嫌そうな表情が浮かんでいた。

 以前馬車の中で、「キヨには行きたくない」と言った時の、困惑が滲むそれとはまた違うものだった。

 

 そのうち、商館が目の前に迫り、ドアが開き、そして閉じた。

 ハルが私のドレスから手を離したかと思うと、視線がばちりと合った。

 

「何であの女には、何も言い返さないんだ」

 

 ハルが突然問うてきた。

 

「え?」

「あの女は、偉いのか?」

 

 そう尋ねられて、ハルの言わんとしていることが何となくわかった気がした。

 今まで私は、ハルたちに近付こうとする不躾な輩を払いのけてきた。それが、自分より爵位の高い貴族であっても、だ。その私が、ミアのような平民の娘を放っておいたのだから、不自然に映ったのかもしれない。

 

「そうよね、ごめんなさい」と言いながら、苦い思いを噛みしめる。彼女は、ハルたちに害を為すようなことは決してしない。だからこそ安易にハルたちに近付けてしまった。彼らはミアのことなんて何も知らない、ただ、人間の一人、としか認識できないというのに――。

 

「ハルもユーリも、びっくりさせちゃったわよね。ミアは別に偉くはないわ。でも、悪い人でもないから。善意で話しかけてきたのよ」

「善意……?」

 

 ハルは、尖った声音でその言葉を繰り返した。

 

「あの女は、何も知らないんだろう。俺のことも、ビアンカのことも。だからあんな風にビアンカのことを――……」

 

 ハルはそこで言葉を止め、私のことをじっと見た。

 何だろう、と思ってその目を見つめ返しているうちに、ハルは首を一振りして、再び口を開いた。

 

「――いや……、とにかく、前にも言った通り、俺たちはもともとキヨを目指していたけど、今はここで働きたいと思っているし、ビアンカより良い雇い主なんていない」

 

 その言葉は、何故だろう、むくれ面から発せられたとは思えないくらい優しく響いて、私の胸に刺さっていたトゲをきれいさっぱり消し去ってくれた。

発案理由:他の女の子に絡まれているハルが書きたかった。商館の存在意義を描写したかった。

ボツ理由:稀少な革の商人が、そうそう頻繁にビアンカの屋敷に来るはずがないから。


ミアは最初から名前ありで設定に組み込まれていたはずなのに、本編ではついぞ出番がありませんでした。

ここで供養。

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