違う、優しさ
書類の束を整理しながら、ちらりと隣を窺う。
今日のマルセルは、随分と静かだ。
もしかして、ちょっと疲れているのかもしれない。
マルセルは、ここへ来て間もないのだ。それだけでも気疲れしそうなのに、ビアンカの誕生日会の主催までやってのけた。
それに、仕事だって沢山している。優秀だからこそ沢山仕事が回される、というやつだと思う。
僕は最近、自分がいかに学がないか、思い知らされていた。商人として働く親の姿を見ていたからと言って、家で本を沢山読んでいたからといって、学校で専門的に学んできたマルセルには遠く及ばない。
マルセルなら、ビアンカの仕事もサポートできる。でも、僕にはまだ、無理だ。
僕には雑用のようなことしかできない。だけど、逆にいえば、雑用のようなことならできる。
「マルセルさん、今日はこの書類を整理したら終わりだよね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、あとは僕がやっておくよ」
僕が提案すると、マルセルは顔を上げて、きょとんとした表情になった。
「いや、僕も一緒にやるよ」
「ううん、マルセルさん、何か疲れて見えるよ。昨日もビアンカさんと一緒に、鉱山とか行って来たんでしょう? 僕は昨日、一日座って勉強していただけで元気が有り余っているから、僕がやるよ!」
僕は、精一杯明るい声を出した。それで、マルセルが少しでも笑ってくれたら良い、と思って。
マルセルは、丸く見開かれていた目を、すうっと、細めた。
あ、笑ってくれるみたいだ、と思った。
でも、そこに浮かんだのは、妙に重たげな苦笑だった。
「ありがとう、シオン。でも、大丈夫だよ」
「そう? 無理しないでね?」
「うん。…………シオンは、あんまり獣人らしくないね」
何気なくぼそりと呟かれたその言葉は、僕の心のどこかにグサリと刺さった。
「ああ、ごめん。悪い意味じゃないよ。ただ、すごく優しいんだな、と思って」
マルセルは、僕が返事をしないことに気付いて、言葉を足した。
わかっている。マルセルは、悪意があって言ったわけじゃない。
だけど、だからといって僕の心が慰められるわけでもなかった。
きっとマルセルは、獣人のことを粗野で乱暴だと思っているのだろう。
それがマルセルの偏見からくるもので、シオンは噂に聞く獣人とは違うね、という意味だったら笑顔で受け入れられたはずだった。
でも、そうじゃない。彼は、シオンは他の三人とは違うね、という意味で言ったのだ。
ユーリの態度があんなだから、マルセルがそう考える気持ちもよくわかる。
実際僕は、他の三人と違う。生まれも年齢も違う。ありとあらゆることが違う。
ハルたちは仲間を傷つける者に容赦しない。乱暴で、仲間思いだ。秘めた優しさを簡単に口にしたりはしない。僕とは、全然違う。
僕は、半端者で、ハルたちみたいにはなれない。
「……ごめん、やっぱり変なこと言ったかも。忘れて」
マルセルは、更に言葉を付け加えた。
妙に沈んだ声に聞こえて、ふと横を見ると、マルセルは、僕以上に落ち込んだような顔をしていた。
僕を傷付けたことに、傷付いているのだろうか。
マルセルは、不思議な人だ。僕が今まで見てきたどんな人とも違う。人の機微にすごく敏感で、変な荒波を立てるようなことをしない。
僕は、マルセルが何でそういう風なのか、なんとなくわかる気がしていた。
それは多分、その特徴的な容姿のせいなんだろう。見た目が怖いから、物腰を柔らかくすることで、上手く人間関係を築いているんだろう、と僕は思っていた。
でも、それだけじゃない、と今わかった。マルセルは、人を傷つけることが嫌なのだ。きっと、枠に入れない人たちの痛みやすい部分を知っていて、傷付けられる痛みを知っているんだろう。
「……ううん。……でもね、ハルたちも本当は優しいんだよ」
僕がようやく言葉を返すと、マルセルは穏やかな声で、そっか、とだけ言った。
それから、ふう、と息をついた。
「やっぱり僕、疲れているのかも。ごめん、お言葉に甘えて、あとはシオンに任せても大丈夫?」
「うん、もちろん」
僕は、こくりと頷いた。
その時、ちょうど良くノック音がして、ビアンカが部屋に入って来た。
もう間もなく終業の定時時刻だから、僕たちの仕事の進捗を確認しに来たのだろう。
お疲れ様、とお決まりの労いを口にしながら、僕たちの方に寄ってきた。
「ビアンカさん、ちょうど良かった! マルセル、少し疲れているみたいだから早く上がってもらっても良いかな? あともう少しだし、残りは僕がやっておくから!」
僕の言葉を受けたビアンカは、ちょっと驚いたような顔をした後、眉を八の字に歪めて、マルセルに視線を向けた。
「それは良いけど……大丈夫……?」
その声と表情は、あまり見慣れないものだった。
心配する気持ちが、たっぷりと滲み出ているような、そんな感じがした。
「ええ、疲れているだけだと思うのですが、すみません、お先に失礼します」
マルセルは、心配されて、ちょっと気まずそうだった。
ぺこぺこと頭を下げながら、そそくさと部屋を出て行く。
ビアンカは、尚も心配そうな目で、その背中を見送っていた。ドアが閉じた後も、ぼんやりとその戸を見つめている程だった。
「ビアンカさん……?」
「ん……?」
声を掛けると、はっと意識を取り戻したように僕の方を振り向いた。
「ビアンカさんも、疲れてる?」
「いいえ? そんなことないけど。ちょっとマルセルが心配だな、って思ってただけよ」
「そう……? 納品トラブルって、やっぱり大変……?」
「まあ、そうね……。うん、そうね、経緯報告書が完成したらシオンにも読んでもらうのが良いわね。後学のために」
単純な僕は、その言葉で簡単に気を良くしてしまう。
ビアンカは、僕に沢山学ばせてくれる。いつか僕にも、難しい仕事を任せてくれるつもりなのかもしれない。勝手な期待が膨らんで、自然と耳がぴくぴくと動いてしまう。
ビアンカはふふ、と顔を綻ばせた後、「じゃあ、悪いけど後はよろしくね」と言って、部屋を出て行った。




