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叶うのならば

「ありがとう。わかったわ。じゃあ、今日はもう上がって大丈夫よ」

 

 執務室で、業務報告を終えたマルセルに声をかける。


 このところ、マルセルはとても良くやってくれている。

 たしかに、ヘレンキース伯爵が来た時はちょっとドキッとする場面もあった。けれどもそれはマルセルが常識知らず、ということではなく、単に貴族との交流経験の乏しさによるものだったのだろう、と今では納得していた。

 いずれにせよ、マルセルはヘレンキース伯爵とも屋敷の他の使用人とも良い人間関係を築いているようだった。きっと、その柔和な雰囲気がその一助になっているのだろう。それは、屋敷に来る前も来てからも変わらない、彼の魅力の一つなのだと思う。

 ――だけど今、マルセルは口を引き結び、どこか険しい顔をしている。

 報告を終えても尚、机の前に居据わって、じっと私を見ている。

 

「……聞いても良いですか」

「……ええ。何?」

「ビアンカ……様は、誕生日を祝われるのが嫌い、というわけではないですよね」

 

 固い表情で一体何を言い出すのかと思いきや、存外に可愛らしい質問だった。

 先日のヘレンキース伯爵との会話を気にしているのだろうか。

 

「まあ、そうね」

「では、パーティーとまではいかなくても、屋敷で誕生日会を開きませんか?」

 

 マルセルが、幾分明るくなった表情で提案した。

 

「誕生日会?」

「ええ。ビアンカ様が、パーティーを開きたくない、というのは何となくわかります。それに、貴族が必ずしも誕生日パーティーを開催するわけでもない、ということもわかりました。でも、誕生日会ならいかがでしょう」

「誕生日会ねえ……」

 

 誕生日会。また一段と可愛らしい響きのする言葉だ。

 それと同時に、遠い昔の古びた言葉のようにも聞こえる。

 

「正直に言いますと、僕はずっと、憧れていました。家族の誕生日会に。でも、それが叶わないというのなら、せめて使用人として祝える場が欲しい。僕だけじゃない、他の使用人だって、ビアンカ様に少しでも何かを返せる機会が欲しいと思っているし、ヘレンキース伯爵だってあんなにビアンカ様を祝いたがっていました。ビアンカ様の手を煩わせることはしませんし、屋敷の財務に影響を与えるようなこともありません。ただ、許可さえいただければ……」

 

 マルセルの声は次第に大きくなり、最後は尻すぼみになった。

 

 本音を言えば、誕生日会は苦手だ。こうも熱烈な誘いを受けても、その気持ちが変わることはない。

 これがもしヘレンキース伯爵からの誘いであったなら、一考の余地もなく突っぱねていただろうと思う。

 でも、ここにいるのは、マルセルなのだ。

 だから、上手く断れる気がしない。断りたいと思えない。

 それは、弟が可愛いから、という理由だけじゃない。その胸中がほんの少し理解できてしまうからだった。

 私とて、家族としてマルセルの誕生日を祝うことができないのだ。

 どんなに甘やかしたいと思っても、せいぜい参考書を送りつけるくらいのことしかできない、そういう立場だった。

 

「うーん、そうね……」

「駄目……でしょうか……。それとも、何か気になることでも……?」

「やるなら、執事長に許可を取る必要があるんだけど。でも、自分のお誕生日会を開いて欲しい、なんて言うのちょっと恥ずかしいじゃない。マルセルは、私の代わりに許可も取ってくれるの?」

 

 押し負けた自分に苦笑しながらそう尋ねると、マルセルはぱっと花が咲いたように笑った。

 

「もちろんです! 必ず執事長から許可をいただきます! なので、誕生日は予定を開けておいて下さいね!」

 

 渋々の許諾だったが、姉心のようなものをくすぐる眩しい笑顔につられて、こちらも思わず笑顔になる。

 そのまま、ええ、と答えそうになる寸前で、慌てて首を横に振った。

 

「当日は、予定があるから駄目よ!」

 

 マルセルの表情が、ぴたりと固まる。

 

「お仕事、ですか……?」

「いいえ、そうじゃないけれど、先約があって」

「そう、ですか……もう既に、予定が入っていたんですね……」


 なんだか、ぬか喜びさせてしまったのだろうか。

 そんなつもりはなかったのだけど、騙し討ちしてしまったような気がして、申し訳ない気持ちになる。

 

「当日じゃなくても大丈夫、でしょう?」と尋ねると、マルセルは眉尻を下げて笑った。


「そうなのですが……。僕、急いで卒業してここに移って来て……誕生日に間に合わせることができた、これで一緒に過ごすことができる、って、勝手に思い込んでいたみたいですね……。僕が、勝手に予定を早めた、ってだけなんですけどね」

 

 私が何も言えずにいると、マルセルは「すみません、子供みたいですね、僕。はは……」と言って、頬を掻いた。


「……今のは忘れて下さい。一緒に誕生日を祝えるというだけでも、僕には幸せなことですから」

「ううん、ありがとう。私もマルセルに祝ってもらえるなら、嬉しいわ……」


 口角を上げて応える。そうしている間、頭の中では、こんな時普通ならばどうするのだろう、と、そんな疑問がぐるぐるしていた。

 普通なら、久しぶりに顔を合わせた家族を優先する? それとも、恋人? 先に約束した方? あるいは、半日ずつという選択もある?

 

 考える程にわからなくなる。

 時々、正解が見つけられなくて、酷く苦しくなるのだ。

 身勝手な自己満足で、私の人生に巻き込んでしまった人達。本当は私と関わらない方が幸せだったのではないか。私は、どうしたら補償できるのだろう、どうすればこれ以上傷つけなくて済むのだろう、と。

 

 私はこの苦しさを、自分の腕に抱えて生きていかないといけない。

 なのに、ハルがいつも見抜くから、ハルがいつも甘やかすから、気付けばハルの暖かなしっぽや手が、堪らなく恋しくなってしまう。

 ハルは本当に、こんな私をずっと好きでいてくれるのだろうか。

 わからない。わからないけど、今私は、どうしようもなくハルに会いたかった。

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