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歓迎のしるし

 ヘレンキース伯爵の突発的な来訪があった。

 出会った当初こそ先触れなしに訪問してくることがあったものの、それ以降は常識的な貴族であった彼が、今日に限ってはそれを破って屋敷を叩扉こうひしたのだ。

 曰く、私とマルセルへの面会を希望しているらしい。

 一体、どこから何を聞きつけてきたのだろう。

 相手がヘレンキース伯爵なのだから今更不思議に思ったりはしないが、当事者であるはずの私よりも耳が早いのではないかとすら思う。

 

 寸時迷ったものの、断る程の理由もないので、使用人に言いつけて屋敷の応接間へと通してもらった。

 マルセルと共に、適当に身支度を整えた後に、応接間へと足を踏み入れる。

 ソファでくつろいでいたヘレンキース伯爵は、こちらに目をやるや否や流れるような自然さで突然の訪問に対する詫びを口にし、自己紹介し、そして当たり前のように、持参してきた煌びやかな箱を差し出してきた。

 

「これは、歓迎のしるしとして、マルセルに。そしてこちらは、ビアンカ嬢に」

 

 それぞれの手に、箱を一つずつ掲げている。

 思うところがないわけでもなかったが、今日は進んで受け取ることにした。

 私が先に受け取らなければ、マルセルは困るに違いない。

 面識のない上級貴族からの贈り物だなんて、普通ならば当惑するものだ。受け取るのが正解か受け取らないのが正解か非常に難しい問題であるし、相手の意図を勘ぐって身動きが取れないことになりかねない。

 一応の貴族である私でさえ、そうなのだから、平民のマルセルは尚更だろう。

 

 ありがとうございます、と両手で受け取りながら、横目でマルセルの様子を窺う。

 マルセルも、私に倣うように、その箱に両手を伸ばしている。

 感心するほど、慇懃且つ冷静な姿勢だった。そこに、動揺のようなものは欠片も感じない。

 束の間安心したものの、今度は逆に、そわそわとした心地になってきた。

 単なる男爵家の使用人が、突然現れた上級貴族に直々に手土産を渡されているなんて、どう考えたっておかしいな状況なのに。

 マルセルは、感情を完璧に押し隠せるタイプということなのだろうか。それとも、能天気な気質なのだろうか。

 じっと見つめてみても、その表情からは推し量れない。

 同じ屋根の下で育った仲であれば、あるいは、弟の感情の機微に気付けたのだろうか。

 

「なるほど、さすがビアンカ嬢が手塩にかけて育てた、というだけある」

 

 声を受けて視線を正面へと戻すと、ヘレンキース伯爵は意味深に微笑んでいた。

 

「手塩にかけた、というようなことはしておりませんが……」


 曖昧に言葉尻を濁す。

 どうせこの人は全てを知っているのだろうけど、だからといってこの場で何かを明言するつもりはなかった。

 

「何でも、飛び級で卒業したのだとか」

 

 ヘレンキース伯爵は、マルセルへと向き直る。

 

「努力の才能があり、学問の才能もある。ただ、実務となるとまた話が変わってくるだろう。これから長い時間をかけて学んでいって欲しい。そしてビアンカ嬢を支えて欲しい。彼女は私のパートナーだから。ビジネスパートナーというやつだね」

 

 にこりと笑ったヘレンキース伯爵に応えるように、マルセルは神妙に頷く。

 それから、「はい、承知いたしました」と答えた。その声は落ち着き払っていて、隣でハラハラしている自分が馬鹿らしくなる程だった。

 ヘレンキース伯爵はまた、笑って返した。今度はクスッと息が漏れたような笑いだった。

 

「では、私は帰ります。休日に突然押しかけたりして、申し訳ございませんでした」

 

 いえいえ――と口を開きかけたところで、マルセルが先に「では、」と声を上げた。

 

「私がお見送り致します」

「えっ!?」

 

 思わず大きな声が漏れた。

 伯爵を送ります、ですって? ここに来たばかりの平民が?

 つまりマルセルは、「能天気で常識外れ」の人間だったということなのだろうか。

 きっと、これでヘレンキース伯爵が怒り出すようなことはないのだろう。しかし、そういう問題ではないし、この先が思いやられる。

 

「いいえ、私がお見送りしましょう」

 

 かぶりを振って、遮るように新たな提案をした。

 だが、それに対しヘレンキース伯爵はやんわりと首を振るのだった。

 

「ビアンカ嬢にそう言っていただけるなんてありがたいですが、せっかくなので今日はマルセルに送ってもらいおうと思います」

 

 何故だか、何となく、そう返されるような気はしていた。

 

「そうですか。では僭越ですが、二人でお見送りさせていただけます」

「いいえ、ビアンカ嬢はもう休んでください。少し、疲れているのではないですか。このところ、とても忙しかったのでしょう。私ももう、帰るだけですから」

「いえ――」

「駄目です、休んでください。ビアンカ嬢に倒れられては、私が困ります」

 

 剣幕――と呼べるようなものでもないのに、押し切られるように束の間閉口してしまう。

 ヘレンキース伯爵は、このわずかな間を、肯定と捉えることにしたようだった。

 

「ビアンカ嬢のお見送りは、また今度お会いする時にとっておきます」

 

 にこりと笑い、私の返事を待つことなく立ち上がった。

 私もとりあえず立ち上がる。

 

「今度お会いするのは、ビアンカ嬢の誕生日パーティーでしょうか?」

「……いえ、パーティーは予定していませんので」

「まさか、冗談でしょう。誕生日はお祝いすべきです。もちろん私も、お祝いさせていただきたい」

「そう言っていただけるのはありがたいですが、パーティーは開きません。これまでも、そうしてきましたから」

「そうですか……それは残念です」

 

 ヘレンキース伯爵はいつもの穏やかな笑みを浮かべ再び別れの言葉を口にすると、マルセルを伴って颯爽と部屋を後にした。

 

 後に残されたのは、私と――箱。

 細長くて軽い、シンプルでツヤツヤとした箱。普段ならば、こんな、いかにもネックレスが納められていそうな箱は受け取らない。

 マルセルのことで頭がいっぱいになっていたせいで、つい受け取ってしまったけれど――何の名分も与えられなかった贈り物を見つめたまま、ため息をついた。

 これが平時の贈り物になってしまったとしたら、誕生祝いは一体どうなってしまうのか。

 考えただけでも恐ろしい。

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